コンテンツにスキップ

飛鳥京跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飛鳥宮跡 石敷井戸
(飛鳥浄御原宮期の復元遺構)


[]


67殿調


調[]


67殿

22使1使

調195934調IIIIII3

I630 - 636

II643 - 645655

III656 - 660672 - 694

III調

調[1]殿2016103[2]

[]


西152-158197215120×11.2

[]


29.2×15.3殿殿殿殿[3]

殿100西100681

西158197使西9455殿

その他の遺跡[編集]

飛鳥京跡苑池[編集]

飛鳥京跡苑池 北池
2018年発掘調査時。

西199910調使[4]20031520159橿[4]7710調[5]
北池北東部の水祭祀遺跡(2019年発掘調査時)

2019年に小さな方の北池発掘調査が行われ、北池北東角で酒船石遺跡に似た天皇水祭祀遺跡が発掘された。これで池全体の性格が大きく変わり、現在研究中である。千田稔はこの苑池は宮殿の付属の庭園と見られていたが、湧き水があったからこそ苑池を造り、近くに宮殿を建てたとも考えられる、と仮説を立ててている。大きさ40-70センチメートルの石で、南北約13メートル、東西約8.5メートルの約100平方メートルの範囲を石敷きとしており、砂利敷きの周辺部とは異なる形にしている。2つ目の升や西側の溝付近だけ、約40センチメートルのひと回り大きな石を使用していた。階段状の護岸もありこれも酒船石遺跡と同様で、当初は8段以上あったと推定されている。重要な湧水施設は、幅約4メートル、奥行き約3.5メートルの石積み区画の中に正方形の石組みがあり今も水が湧いている。この正面は板でせき止めその上部を凹状に加工し、そこから上澄みだけが流れ出る仕組みとなっていた。水は底に粘土を貼った長さ約2.1メートルの石組み溝を通って、そこに天理砂岩[注釈 1]の切り石を敷き詰めた約1メートル四方の2つ目の升に入ってから、長さ約7メートルの底が天理砂岩の溝を流れ、さらに西の排水路に合流し、北池には注ぎ込まない[6][7]

2013年、「川原寺坏莫取若取事有者**相而和豆良皮牟毛乃叙又毋言久皮野*」(*の箇所は判読不能)などと漢字万葉仮名で刻まれた土器が見つかった(発表と一般公開は2014年)。読み下すと「川原寺の坏、取ること莫(なか)れ、若(も)し取る事有らば、**相す、而して和豆良皮牟毛乃(煩(わづら)ひむもの)、叙して又(ま)た久しき皮野*(ひや*)を言ふこと毋(な)し」となる。文言は土器の外側に刻まれており、マスメディアによれば、意味は「川原寺の坏(つき)であるから取るな。もし取れば災いが起こる」であるとしている[8]

飛鳥池工房遺跡[編集]

明日香村飛鳥小字古池に所在する飛鳥池は、近世につくられた溜池で、そこに1991年(平成3年)に産業廃棄物を埋める計画が持ち上がり、1996年(平成8年)予定が変更され、「万葉ミュージアム」を建設することになり、1997年(平成9年)から三カ年にわたる発掘調査が実施され、その結果、天武朝の大規模な官営工房遺構が検出された。

複合的な工房群が発見された飛鳥池工房遺跡では、1998年(平成10年)に「富本銭」の鋳造が確認された。鋳型やバリ銭、鋳棹などが出土している。2001年(平成13年)に国の史跡に指定された。

酒船石遺跡[編集]

謎の石造物であった「酒船石」は、砂岩を用いた湧水施設で水を汲み上げ、船形をした石槽で濾過し、亀形の石槽に水を溜めて聖水としたものであり、水辺祭祀の遺構であることがわかった。さらに、酒船石のある丘陵には全体に砂岩の切石による石垣がめぐることがわかり、丘陵全体が聖域として扱われていたことが判明した。1927年(昭和2年)に国の史跡に指定され、その後も追加指定がある。

川原寺跡[編集]

史跡川原寺跡では、寺の創建と営繕にかかわる・金属工房が確認された。1921年(大正10年)に国の史跡に指定され、その後も追加指定がある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 天理市石上地区の石上山から切り出した、やや赤みかがった砂岩で斉明天皇の狂心渠(たぶれごころのみぞ) で運ばれた(『日本書紀』斉明天皇2年条(656年))

出典[編集]

  1. ^ 『飛鳥の宮と寺』(日本史リブレット71)、pp.42 - 44
  2. ^ 平成28年10月3日文部科学省告示第144号
  3. ^ 奈良県明日香村、関西大学文学部考古学研究室『飛鳥宮跡解説書』2017年4月、p.15
  4. ^ a b 飛鳥京跡苑池で初めて門跡見つかる 天武天皇ら出入りか産経新聞、2015.9.3
  5. ^ 2019年1月30日奈良新聞〈「南池」活用へ整備案-7世紀後半の姿目標に/飛鳥京跡苑池〉
  6. ^ 2019年8月9日奈良新聞「王権の水祭祀場か-大規模な水流施設、酒船石遺跡と共通点/飛鳥京跡苑池」2020年5月19日閲覧
  7. ^ 2019年8月10日東京新聞夕刊「飛鳥京跡苑池に流水施設-7世紀、天皇の祭祀用か」2020年5月19日閲覧
  8. ^ 飛鳥京跡:「取ったら災い」警告文付き土器を公開へ

参考文献[編集]

  • 文化庁編『発掘された日本列島2004』朝日新聞社、2004年6月。ISBN 4-02-257919-6
  • 黒崎直『飛鳥の宮と寺』(日本史リブレット71)、山川出版社、2007
  • 奈良県明日香村、関西大学文学部考古学研究室『飛鳥宮跡解説書』2017年4月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度28分24秒 東経135度49分15秒 / 北緯34.47333度 東経135.82083度 / 34.47333; 135.82083