高橋本吉
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高橋 本吉︵たかはし もときち、1873年︵明治6年︶2月17日[1] - 1920年︵大正9年︶11月26日[2]︶は、日本の衆議院議員︵立憲政友会︶。
経歴[編集]
秋田県北秋田郡綴子村︵現在の北秋田市︶出身。東京高等師範学校を卒業した後、アメリカ合衆国に渡り、プリンストン大学で修士号を得た。1908年︵明治41年︶から1910年︵明治43年︶まで関東都督秘書官を務めた後[3]、関東都督府経済調査嘱託[4]、農商務省海外実業練習生、南満州鉄道株式会社文書係主任、ジャーディン・マセソン商会大連出張所主任などを歴任した[1]。 1917年︵大正6年︶、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。 日米問題の調査のため渡米中、シアトルで病死した[5]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『衆議院要覧 下巻 大正九年六月』衆議院事務局、1920年。
- 秋田魁新報社編集局地方部『新あきた風土記. 県北編』秋田魁新報社、1982年。
- 高橋本吉特旨叙位ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)