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﹃魚歌﹄︵ぎょか、ぐろりあ・そさえて、1940年8月︶は、日本の歌人、斎藤史の最初の個人歌集。装幀は棟方志功。序文は前川佐美雄。本文148頁、歌数373首。
歌集名﹁魚歌﹂は、﹁魚歌水心﹂︵魚は深い水の心を知らず、いい加減な歌を吐く︶という成語に由来する[1]。1932年から1940年までの作品が収録されている。表現技法は、モダニズム的な象徴表現と伝統的な写実表現が混在する[2]。内容は、西欧趣味的なもの、二・二六事件に関わるものなどがある。しばしば引用される歌に次のようなものがある。
●はとばまであんずの花が散つて来て船といふ船は白く塗られぬ
●遠い春湖︵うみ︶に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく
●濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
●額︵ぬか︶の真中︵まなか︶に弾丸︵たま︶を受けたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
刊行当時、萩原朔太郎、保田与重郎ら、歌壇外の詩人や評論家から好評を得た[3]。この歌集、及び同年刊行の合同歌集﹃新風十人﹄︵佐美雄らとの共著︶により、史は新進歌人として認められることになった。著名な歌集であり、その収録歌は、昭和短歌のアンソロジーには必ず収められる。西欧趣味的な軽い内容の歌から二・二六事件を主題とする重い内容の歌への展開に、昭和前期の時代の推移を重ねて読む評者[4]もいる。
(一)^ ﹃歌壇﹄1995年8月号掲載のインタビュー記事﹁この人に聞く﹂における史本人の発言。インタビューアーは歌人水原紫苑。
(二)^ 筏井嘉一﹁二通りの歌ひ方﹂︵﹃日本歌人﹄1941年3月︶。
(三)^ ﹃日本歌人﹄1941年3月、特集﹁斎藤史歌集批評﹂。
(四)^ 佐伯裕子﹃斎藤史の歌﹄︵雁書館、1998年2月︶、三枝昂之﹃昭和短歌の精神史﹄︵本阿弥書店、2005年7月︶。