B1角座
B1角座 B1 KADOZA | |
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B1角座があった旧角座会館(2006年12月7日撮影) | |
情報 | |
正式名称 | B1角座 |
開館 | 2004年1月1日 |
閉館 | 2008年5月31日 |
収容人員 | 150人 |
用途 | ネタ、演芸の興行 |
運営 | 松竹芸能株式会社 |
所在地 |
大阪府大阪市中央区道頓堀1丁目4-20 角座ビル地下1階 |
アクセス |
大阪市営地下鉄難波駅14番出口から徒歩5分 大阪市営地下鉄堺筋線日本橋駅25番出口から徒歩5分 |
B1角座︵ビーワンかどざ︶は、2004年から2008年まで、松竹芸能が演芸場そのものを保有し自主興行を行った、日本の演芸場のひとつ。
概要・歴史[編集]
開館までの歴史[編集]
元々親会社である松竹が行っていた道頓堀の劇場﹁角座﹂︵1958年開館︶での演芸興行に、松竹芸能は芸人を配給して興行番組を編成していたが、同劇場は1984年に閉鎖されてしまった。ホームグラウンドであった角座の閉館をきっかけに移籍・解散したコンビもいた。︵若井ぼん・はやとなど︶[1] 1987年、松竹は同じ道頓堀にあった映画館﹁浪花座﹂の一部を改装して、﹁演芸の浪花座﹂という演芸場をオープンさせ、演芸興行を続けていた。松竹芸能は角座時代と同様に芸人を配給し、興行番組を編成していた。しかし、これも劇場の老朽化や興行成績の低下などから、2002年1月に閉館され、敷地もろとも第三者に売却されてしまった。 ︵その後パチンコ機器メーカー﹃サミー工業﹄が買取り﹃サミー戎プラザ﹄を同地に建てたが、数年後閉場し、再度取り壊された。さらにパルコが﹃道頓堀 ZERO GATE﹄を建設し、現在に至る。︶ このため、松竹芸能は2002年4月から道頓堀にあるパチンコ店﹁四海樓道頓堀店﹂4階の小ホール﹁ミナミのど真ん中ホール﹂を賃借して、演芸興行を行っていた。開館後の歴史[編集]
しかし、昔の角座を復活させたいと、道頓堀に2004年1月1日、旧﹁角座﹂があった﹁角座ビル﹂の地下1階飲食店跡に、小さな演芸場をオープンさせた。﹁B1角座﹂という名前の由来はここからきている。客席数は150席︵公称︶。昼は若手からベテランの漫才師、音曲漫談家、落語家、手品師などが出演する寄席が、夜は若手芸人が出演のお笑いライブが行われた。ケーブルテレビ等で放送されているバラエティ番組﹁わらいのちから﹂の収録場所でもあった。 2008年4月に松竹芸能は、角座ビルの再開発を理由に、2008年5月31日をもっての閉館を正式に発表した。その数年前から、角座ビルの老朽化を根拠に﹁B1角座﹂の早晩の閉館が幾度か噂にのぼっており、実際に2006年3月には夕刊フジが角座ビル全体の閉鎖を報じたが、その際松竹芸能側は事実に反する旨の抗議及び声明を行い、後日夕刊フジ側は紙面に訂正文を掲載した。また2007年1月には、階上にあった映画館の閉鎖を受け、映画館跡を演芸場に改装して、移転拡大する計画が一旦発表されたが、後に映画館跡の構造上の問題が判明したため、同年4月に計画を断念した。結局2008年2月に入り、松竹から演芸場移転の要請があったことが明らかとなり、この時点で既に松竹芸能は同年5月末での閉館を示唆していた。 2008年5月31日、正司敏江・玲児がトリを務めた昼間の寄席興行と、オールナイトイベントとして行われたライブ﹁ジョンメロン~最後は角座に大集合~﹂をもって、﹁B1角座﹂は僅か4年5ヵ月の歴史に幕を下ろした。 松竹芸能は2008年7月5日より﹁STUDIO210﹂︵旧﹁通天閣歌謡劇場﹂︶に本拠を移し、毎週土曜日と日曜日に昼夜の演芸興行を行ったが、ほぼ毎日興行を行っていた従前に比べれば、実質的に縮小となってしまった。 2013年7月28日、松竹芸能は角座ビル跡地を取得したケンズネットワークから、跡地に建設された複合施設を賃借する形で﹁松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座﹂を開場。5年2か月振りに道頓堀での演芸興行を復活させた。角座・浪花座との相違点[編集]
角座・浪花座とも、経営主体は親会社の松竹であり、松竹芸能は寄席番組の編成権など演芸一切を任されてはいたが、基本的には所属芸人を劇場に提供する立場にとどまっており、興行そのものは松竹の手によって行われていた。ここがライバル・吉本興業と異なるところである。したがって、松竹芸能に継続の意志があっても、松竹本社が見限れば演芸興行を断念せざるを得なかった。その点、松竹芸能が自主興行を行ってきたB1角座は、演芸興行を柔軟に行うことが可能であった。関連項目[編集]
出典[編集]
- ^ 「もうひとつの上方演芸」(大阪ゲラゲラ学会)
外部リンク[編集]
- B1角座 - 公式サイト