Portal:民俗学/特集項目/一覧
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ハレとケとは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。民俗学や文化人類学において﹁ハレとケ﹂という場合、ハレ︵晴れ、霽れ︶は儀礼や祭、年中行事などの﹁非日常﹂、ケ︵褻︶はふだんの生活である﹁日常﹂を表している。ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は﹁晴れ﹂であり、﹁晴れの舞台﹂︵=生涯に一度ほどの大事な場面︶、﹁晴れ着﹂︵=折り目・節目の儀礼で着用する衣服︶などの言い回しで使用されている。これに対し普段着を﹁ケ着﹂といったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを﹁晴れ﹂というが、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ﹁晴れ﹂と記した記録がある。
ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられなかった。
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Portal:民俗学/特集項目/1
ハーメルンの笛吹き男︵ハーメルンのふえふきおとこ、独‥Rattenfänger von Hameln︶はグリム兄弟を含む複数の作者によって記録された民間伝承である。この伝承は、おおよそ1284年6月26日に生じたと推定される、ドイツの街ハーメルンの災厄について伝えている。
1284年、ハーメルンに﹁鼠捕り﹂を名乗る色とりどりの布で作った衣装をまとった男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。ハーメルンの人々は男に退治の報酬を約束した。すると男は笛を取り、笛の音でネズミの群れを惹き付けると、ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。ネズミ退治が成功したにもかかわらず、ハーメルンの人々は約束を破り、笛吹き男への報酬を出し渋った。
怒った笛吹き男はハーメルンの街を後にしたが、6月26日の朝︵一説によれば昼間︶に再び戻って来た。住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。130人の少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。そして、洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。
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Portal:民俗学/特集項目/2
死神︵しにがみ︶は、人間を死に誘う、または人間に死ぬ気を起こさせるとされる神。死に神とも書かれる。本項では日本の宗教、古典、民間信仰、大衆文化における死神について記述する。
仏教においては死にまつわる魔として﹁死魔﹂がある。これが人間を死にたくさせる魔物で、これに憑かれると衝動的に自殺したくなるなどといわれ、﹁死神﹂と説明されることがある。また仏教唯識派の文献である﹃瑜伽論﹄には衆生の死期を定める魔がある。冥界の王とされる閻魔や、その下にいる牛頭馬頭などの鬼が死神の類とされることもある。
神道では、日本神話においてイザナミが人間に死を与えたとされており、イザナミを死神と見なすこともある。
しかしイザナミや閻魔は、西洋の神話のような死神とは異なるとする考えもあり、仏教には無神論に立っているために﹁死神﹂の概念はないとする見方もある。日本の仏教信仰の中で生み出された鬼神や怨霊などは、人間の命を奪うことはあっても、人々を死の世界へ導くことだけを司る﹁死神﹂ではないとする意見もある。
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Portal:民俗学/特集項目/3
トラジャ族︵Toraja︶は、インドネシアのスラウェシ島にある南スラウェシ州および西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族。総人口約65万人のうち約45万人はタナ・トラジャ県に居住している。トラジャ族のほとんどはキリスト教を信奉し、イスラム教と﹁アルク﹂︵aluk‐﹁道︵the way︶﹂の意︶と呼ばれる土着のアニミズムが続く。インドネシア政府は、このアニミズム信仰をアルクトドロ教︵Aluk To Dolo‐﹁祖法‐Way of the Ancestors﹂の意︶と定義している。彼らは、その特徴的な家屋や壮大な死葬儀式だけでなく、コーヒーのブランドにも使われる民族名からも知られている。
トラジャ族は、スラウェシ島中央部および南部の山岳地帯に居住する、トラジャ語系統の言語を話す部族である。境界が明確な村々に分散して住み、その数は20を越えた。それぞれの村は独立しており、時に敵対し戦争を行うこともあった。
﹁トラジャ﹂という単語は、ブギス族の言語で﹁高地の人々﹂を意味する﹁ト・リアジャ﹂︵to riaja︶を元にしており、オランダ領東インド政府が1909年にこの民族を﹁トラジャ﹂と名づけたことが由来となっている。トラジャ族は、複雑で壮大な葬儀の形式や、岩の断崖へ死者を埋葬する習慣、トンコナン(tongkonan)の名で知られる、尖った巨大な屋根を備えた伝統的な家屋の様式、カラフルな木彫り細工などで知られる。彼らの葬儀は、通常規模でも数百人の参列者が出席し、数日間続く社会的に重要な行事とされている。
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