Wikipedia:コメント依頼/Kagefumimaru 20180725
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利用者:Kagefumimaru︵会話 / 投稿記録 / 記録︶さんについてコメントをお願いします。
被依頼者の行為の問題点の要所を先に示しますと、被依頼者はノートにて下記の振る舞いをしており、特に1点目がおこなわれるせいで、ノート:天之御中主神#節を分けることについてにおける本来の議論が停まってしまっています。
(一)ノートでの議論において、他の利用者に発した質問への回答が書き込まれても、︿その回答が、﹁質問者=被依頼者の考える簡潔な回答の形式﹂に則っていない﹀ということを理由として、その回答内容を捨て置き、﹁質問者の考える簡潔な回答の形式﹂に則って回答を書き直すことを要求するという﹁書き直し要求﹂を複数回連続して議論相手に突きつける振る舞いによって、本来の議論の流れが停まってしまう、という問題が起こっています。
(二)ノートにおいて、議論相手の主張を﹁言葉尻をとらえる遊び﹂と決めつけますが、議論相手の主張のどこが・なぜ﹁言葉尻をとらえる遊び﹂に該当するのかを明示しないので、結果的に﹁誰々は言葉尻をとらえる遊びをしている﹂というレッテル貼りが行われています。
詳しい経緯は下記のとおりです。
ノート:天之御中主神#節を分けることについてにおいて、天之御中主神の記事の節構成と導入部の内容について利用者:Leonidjp︵依頼者︶・利用者:Ryo 625・利用者:Kagefumimaruの3人により2018/7/14(UTC)から議論が起こり、そこでの議論を経て、導入部の文案として下記の2つの案が提出されました︵参照︶。
●導入部の文案A︵利用者:Leonidjpおよび利用者:Ryo 625が支持している案。約300字︶
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、『古事記』において天地開闢の折に最初に現れた、日本神話の神。
神名は、天(高天原)の中央に座し天空を主宰する神という意味。別天津神の一柱であり、古事記における造化の三神の一つ。日本書紀の第一段にも天御中主尊として登場する。中国の天帝の思想の影響下で作られた神であるとの説があるが、その影響を疑問視する説もある。平安時代の『延喜式』には信仰の形跡となる記載はないが、中世の伊勢神道では重要な神格とされ、江戸時代の復古神道では最高位の神とされた。現在は妙見社系・水天宮系・近代創建の3系統の神社に祀られているほか、出雲大社にも祀られている。
●導入部の文案B︵利用者:Kagefumimaru(被依頼者)が支持している案。約470字︶
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ、アマノミナカノヌシノカミ)は、日本神話の天地開闢において登場する神である。名は天の中央の主宰者の意。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、造化三神および別天神の一柱。『日本書紀』の本文には記述がなく、第四の一書にのみ記述が見られる。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされるが、これに否定的な論もある。 天之御中主神は後に天の中央の神ということから、北極星を神格化した妙見菩薩と習合されるようになった。現在、天之御中主神を祀る神社の多くは、妙見宮が明治期の神仏分離・廃仏毀釈運動の際に天之御中主神を祭神とする神社となったものである。また水天宮も天之御中主神を主祭神の一つとしている。 天之御中主神は哲学的な神道思想において重要な地位を与えられることがあり、中世の伊勢神道では豊受大神を天之御中主神と同一視し、これを根源神と位置づけている。江戸時代の平田篤胤の復古神道では天之御中主神は最高位の絶対神とされている。なお、﹁導入部よりも後ろ﹂の節構成と内容については3者間で概ね合意できており、それはこのような状態です。従いまして、上述の導入部の案は、それの先頭に配置されるべきものとして案出されているものです。 上述のKagefumimaru氏が支持しているほうの導入部案が妥当である旨の主張を、Kagefumimaru氏は7月24日 (火) 17:17 (UTC)に下記のように発表しました︵参照。全体が無出典です︶。 雑多な内容というのは文字数やトピックの数を云々しているわけではありません、論旨の大筋から外れる内容は避けるべきということです。導入部で妙見信仰について触れるのはどうしても必要かと思います。根源神、絶対神といった用語はたまたま私が参考にした文献でそうなっていただけのことで深い意味はありません、本文に合わせるべきで、私は大まかな構成を示しただけです。﹃延喜式﹄に記載がないという文を入れることについては私は否定的です。延喜式神名帳は神を網羅したものでも、神社の祭神を収録したものでもないので、これに名前が出てこないからといって大した意味がありません。ウマシアシカビヒコヂもスヒヂニもウヒヂニもこれには出てきません。先の神話節案では﹃延喜式﹄に触れましたが、これも省いたほうが良いかと思います。近代創建の神社に関しては教派神道教団の一部には天之御中主神を祭神に加えたものが有るといった程度で導入部に取り立てて書くほどのことではありません。あえて系統を探るとすればそういうものもあるという程度のことです。近代創建だからといって天之御中主神を祭神にする例が多いというわけではないですし、式内社でも天之御中主神を祀っている神社はそれなりにあります。出雲大社は祀り方が特異なので神社節に書く意味はありますが、導入部には不要でしょう。 依頼者︵Leonidjp︶とKagefumimaru氏はそもそも、上述のように各人の支持する導入部案が異なりますので、依頼者は自身と対立する案を支持しているKagefumimaru氏の上述の主張を批判的に検討することは当然と考え、Kagefumimaru氏の上述の主張に対してコメントをした︵参照︶ところ、それに対してKagefumimaru氏は次のように応対しました︵参照︶。 またLeonidjpさんは言葉尻をとらえる遊びに走っています、相手の発言をただ否定するために否定するのは建設的な議論の方法ではありません、まず自分の意見をまとめてください、このような発言をひたすら引用する形式ではまともな議論は不可能です。 これに対し、Leonidjpは、Leonidjpの主張のどこが・なぜ﹁言葉尻をとらえる遊び﹂に該当するのか不明である旨を述べ、それが不明なままであれば﹁言葉尻をとらえる遊び﹂という文言はレッテル貼り用のレッテルになってしまう旨を指摘しました︵参照︶。それより後にノート:天之御中主神にてKagefumimaru氏の発言回数は5回ありましたが、︿Leonidjpの主張のどこが・なぜ﹁言葉尻をとらえる遊び﹂に該当するのか﹀についての説明はなされません。※Kagehumimaru氏が依頼者の主張を、論拠なく﹁言葉尻をとらえる遊び﹂とレッテル貼りするのはこれが最初ではなく、遡ること1週間以上前にも行われています。 また、依頼者は、自身と対立する導入部案を支持しているKagefumimaru氏の上述の主張を批判的に検討することは当然と考えているがために、Kagefumimaru氏の上述の主張︵参照︶の内容を引用しつつ逐一応答したわけですが︵参照︶、このような︵引用をまじえた︶依頼者の応答の仕方に対してKagefumimaru氏は、 相手の発言をただ否定するために否定するのは建設的な議論の方法ではありません、まず自分の意見をまとめてください、このような発言をひたすら引用する形式ではまともな議論は不可能です。 と述べ、議論相手である依頼者に対して、下記の2点を要求してきました︵参照、参照︶。 ●Leonidjp︵依頼者︶は意見をまとめよ、という要求 ●引用をまじえた形式で応答することをやめよ、という要求 そして直後、Kagefumimaru氏はそれまでの議論の流れを突然断ち切るように、 そうですね、まずは簡単な議論の練習から始めましょう。 と言い出しました︵参照︶。これにより、依頼者がKagefumimaru氏の主張を批判的に検討するなかで指摘されていた問題点︵参照︶を取り扱うという従来の議論の文脈︵=上述の文脈=それは﹃天之御中主神の導入部には何が含められるのが妥当か。それを決める基準は具体的に何なのか﹄という議論でした︶が突然断ち切られました。 そして同時にKagefumimaru氏は、 私は導入部で妙見信仰について触れるのはどうしても必要だと述べました、Leonidjpさんはこれに賛成ですか?反対ですか?その理由はなぜでしょうか、その答えを簡潔にわかりやすく書いてみてください。 という質問を依頼者に発しました︵参照︶。 この質問に対し依頼者は約70分後に下記のように回答しました︵参照︶。 ●Kagefumimaru氏の質問1﹁私は導入部で妙見信仰について触れるのはどうしても必要だと述べました、Leonidjpさんはこれに賛成ですか?反対ですか?﹂ ●依頼者の回答‥︻﹁導入部で妙見信仰について触れるのはどうしても必要﹂というKagefumimaru氏の主張を聞いたうえでなお、妙見信仰を導入部に含まない案を私は支持していることが既に明らかなのだから︵参照︶、問いの答えは﹁反対﹂に決まっている、ということが未だに読解されていない様子ですね。︼ ※﹁既に明らか﹂というのは、Kagefumimaru氏のこの質問1が発せられるより前に既に依頼者は﹁妙見信仰を導入部に含まない案﹂を支持する旨を発表済み︵こちらに﹃私の支持する導入部の文案は〜﹄と明示してある︶だったということです。 ●Kagefumimaru氏の質問2﹁︵賛成または反対の︶理由は何か﹂ ●依頼者の回答‥︻導入部に載せることに反対する理由は﹁導入部に載せることの理由が不明だから﹂です。導入部のありかたをガイドラインに沿わせるという方針をとる以上は︵我々は当然にそうしてきたはずですが︶、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)というガイドラインに基づいた﹁載せる理由﹂があるべきと考えているからです。︼ このように、依頼者はKagefumimaru氏の質問1および2に回答したわけですが︵参照︶、この回答に対してKagefumimaru氏は下記のように応答しました︵参照︶。 残念ですがこれでは簡潔な答えとはいえませんので書き直していただきます。わかりやすく簡潔な答えを書くためには、まず最初に、賛成である、あるいは反対である、ということを書かなければいけません。そして次に﹁なぜならば~﹂という理由の説明を簡潔に一文にまとめて書きましょう。それではお願いします。 つまりKagefumimaru氏は、依頼者へ発した質問︵1︶と︵2︶への回答が上述のように来ているにもかかわらず、それが﹁Kagefumimaruの考える簡潔な答えの形式﹂に沿わないことを理由に﹁回答内容への応対﹂を拒み、依頼者に対して﹁書き直し要求﹂をしているというわけです。 同様の書き直し要求が、その後、2回目︵参照︶・3回目︵参照︶と連続して出されました。この間、依頼者が答えた上述の回答内容はKagefumimaru氏によって捨て置かれている状態です。 また、﹁書き直し要求﹂の3回目では、Kagefumimaru氏は どれだけ時間がかかろうとも私はLeonidjpさんが簡潔でわかりやすい受け答えができるようになるよう努力するつもりです。 と書いています。これは、Kagefumimaru氏の思うような﹁簡潔な答えの形式﹂に則っていないかぎり半永久的に﹁書き直し要求﹂で突っぱね続けますという意思表示のようでもあります。 Kagefumimaru氏が﹁書き直し要求﹂をし始めて以降、本依頼の提出までの間に、基本的に同氏はそれ以外のことを発言しなくなりました。これにより、﹁天之御中主神の導入部には何が含められるのが妥当か。それを決める基準は具体的に何なのか﹂という議論が停まってしまっています。その本来の議論︵文脈︶はここで停まっています。 ※ちなみに、今回の﹁書き直し要求﹂の問題が起きるより10日ほど前にも、Kagefumimaru氏が議論相手︵依頼者=Leonidjp︶に対して﹁Leonidjpは主張を要約せよ﹂と要求すること︵要約要求︶が行われており︵参照、参照︶、﹁主張の要約がなされるまでどれだけ時間がかかっても構わない﹂とも同氏は述べています︵参照︶。議論相手がノート:天之御中主神に書いてきたことをKagefumimaru氏が自身で読み返し、議論相手の主張をみずから要約するという姿勢が同氏に欠如していることがわかります。この欠如は今より10日前頃から始まっているとも言えて、そのうえで上述のように﹁Leonidjpは言葉尻をとらえて遊んでいる﹂というレッテル貼りや﹁書き直し要求﹂が起こっているわけです。 なお、Kagefumimaru氏の議論態度については、上述の﹁書き直し要求﹂がなされるよりも前にRyo 625さんから2回の忠告がなされ︵参照1、参照2︶、そこではKagefumimaru氏の議論態度が﹁いつまでも納得しない﹂に該当しうることが指摘されています。また、今回の﹁書き直し要求﹂の後に利用者:Xx kyousuke xxさんからもWikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:エチケットを読むよう促され、且つその議論態度に苦言を呈されています︵参照︶。 参考リンク ●ノート:匿名の臆病者#再統合提案 ●ノート:音圧 ●ノート:トッカータとフーガニ短調#改名提案 ●ノート:家屋 ●ノート:オカリナ#コメント依頼 - 2013年の利用者:TamieさんとKagefumimaru氏との議論。 ●Wikipedia:コメント依頼/Kagefumimaru - 2014年に提出されていたコメント依頼 ●ノート:調律#﹁音律調整﹂について - 利用者:PuckottiniさんとKagefumimaru氏との議論︵2014年︶ 以上です。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月25日 (水) 07:22 (UTC) 参考リンクに1個追加。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月25日 (水) 07:45 (UTC) 参考リンクに1個追加。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 03:23 (UTC) 参考リンクに4個追加。--みっち︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 10:05 (UTC)
依頼者のコメント[編集]
議論において意見の相違がある︵今回の場合は導入部の中身について意見の相違がある︶以上、その対立している相手の主張内容を批判的に検討することは当然やるべきことであり、その際には検討対象の文言を引用したうえで当方の考えを書くというこちらのような書き方は合理的かつ﹁当然すべきこと﹂と私は考えていますが、そのような書き方のコメントが議論相手から寄せられると﹁それは言葉尻をとらえた遊びである﹂と無根拠に決めつける︵参照︶のは不誠実ですし、そのうえで﹁Kagefumimaruの望むような簡潔さで主張をまとめよ﹂と要求しつつ質問を発し︵参照︶、それへの回答が﹁Kagefumimaruの考える簡潔さ﹂を満たさないという独断に基づいて﹁書き直し要求﹂を出し続けることによって、本来の議論の文脈を止めるというKagefumimaru氏の振る舞いは有害です。
Kagefumimaru氏は、自身の支持する導入部案が妥当であることを主張するためにこのように様々なことを︵無出典で︶発表しているわけですが、そのような﹁妥当性の主張﹂が本当に妥当なのか、なぜそれが妥当と言えるのか、妥当ではないのではないか、といった視点に基づく批判が議論相手から寄せられる︵参照︶ことは当然ありうることであり、自身の主張内容に即した批判が寄せられたらそれを引き受けて応答するという態度を同氏が継続しない点は、議論の当事者として問題が大きいと思います。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月25日 (水) 07:22 (UTC)
被依頼者のコメント[編集]
第三者のコメント[編集]
関連ノートを拝見しましたが、極めて非生産的な議論に終始されているという感想しか抱けません。依頼者さんにお伺いしたいのですが、ご自身は簡潔に意見を述べているとお考えでしょうか?それとも要領を得ず無駄に長く、論点を拡散しがちな意見表面が多い傾向があるとお考えでしょうか。これを見る限りご自分でも色々と思うところがあるようですが。一方、被依頼者さんの議論態度については﹁〜すべきだ﹂と主張する割に、その根拠を表明しない傾向にあると感じます。被依頼者さんの﹁まずは簡単な議論の練習から始めましょう。﹂という言葉は相手の依頼者さんだけでなく、ご自身にも当てはまるのではないですか。--むよむよ︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 10:24 (UTC)
依頼者よりの返信です。コメント頂きありがとうございます。
>>極めて非生産的な議論に終始されているという感想しか抱けません
とのことですが、それを依頼者の行為に対する評価として仰っているのでしたら、次のように反論します。ノート:天之御中主神#節を分けることについてにおいては、当初は(1)新たな導入部をどのようにするかという文案がなかった。(2)記事全体の節構成をどうのようにするかについて全く合意がなかった。という2つの状況があったわけですが、(1)については、のちに案出された具体的な文案2個︵当依頼の冒頭に載っているもの︶のうちの片方を案出したのは依頼者︵私︶でありますし、(2)については節構成の合意を概ね形成するうえで私は欠くべからざる役割をしており、結果として(3)ノート:天之御中主神#導入部に関する議論に記してある段階まで議論の進展を成しています。同ノートでの私の発言がなければ、そこまでこぎつけることはありえませんでした。ですから私自身の行動に﹁生産性﹂はあったのでして、もし﹁非生産的な議論に終止﹂などしていたら(3)のような﹁成果﹂は出ておりません。
>>依頼者さんにお伺いしたいのですが、ご自身は簡潔に意見を述べているとお考えでしょうか?それとも要領を得ず無駄に長く、論点を拡散しがちな意見表面が多い傾向があるとお考えでしょうか。
あなたが挙げておられるこちらの書き込みにありますように、私の発言のうち特に﹁議論相手の主張を批判する発言﹂は、﹁批判対象の主張﹂に含まれる論点を、できるだけ漏らさず︵網羅的に︶批判するという傾向があることは事実です。それによって私の発言の﹁簡潔性﹂が失われ、長く見える場合はあるでしょう。しかし、そのように網羅的に批判することは意味があることです。なぜならば、﹁批判対象の主張﹂に含まれる様々な問題点を明確に可視化することができるからです。発言の﹁簡潔性﹂を重視するがために言葉数を少なくしてしまうと、そのような﹁可視化﹂が不徹底になる恐れがあると私は考えているから、私は﹁簡潔性﹂よりも﹁詳細さ﹂を優先しているわけです。それがために私の発言が﹁無駄に長い﹂と評価される場合もあるかもしれませんが、﹁私のそれぞれの発言内容︵の詳しさ・長さ︶が何を成し遂げたか﹂ということを具体的に検討しなければ、その長さが﹁無駄﹂であったかどうかは決められません。﹁要領を得ているかどうか﹂についても、それと同じです。﹁要領とは何のことで、私のそれぞれの発言内容︵の詳しさ・長さ︶がどのように要領を得ているのか・いないか﹂という問題は、具体的な文言をとりあげて検討しないと答えは出ません。私は、﹁私自身の発言が要領を得ているかどうか﹂を検討する際には、そうするほかないと考えています。利用者:むよむよさんが私のどの発言の﹁要領﹂を検討したいのか分からないので、﹁要領を得ていると自覚しているか?﹂という一般的な問いにはお答えのしようがありません。
また、私の発言が﹁論点を拡散しがちな意見表面﹂と評価される場合もあるのかもしれず、そのことは上述のこちら︵7月17日 (火) 02:49(UTC)︶で私も認めておりますが、そこにおける﹁論点の拡散﹂は、議論相手であるKagefumimaru氏が自説の論拠として様々な論点を発表したこと︵例えば7月14日 (土) 13:51 (UTC)までの一連の発言︶に起因する﹁論点拡散﹂です。それは私独りで引き起こしたことではありませんし、仮にKagefumimaru氏の主張する論点が1個しかなかったならば、私はその1個を批判するというだけで済んだはずです。そうならなかったのは、議論相手が主張する事柄が複数だったからです。私はこちらにて﹃我ながら、﹁絨毯爆撃﹂式の議論方法は非効率と痛感しています。﹄と述べています。﹁絨毯爆撃﹂式とは、上述のように、議論相手の主張を批判する際に網羅的に応対する振る舞いのことです。それはたしかに﹁非効率﹂なのですが、非効率であっても必要なら実行すべきだと私は考えています。その﹁必要﹂とは何かといえば、それは上述のとおり書きました。つまり﹃﹁批判対象の主張﹂に含まれる様々な問題点を明確に可視化することができるから﹄です。私は#依頼者のコメントのところにも書きましたが、自分と意見を異にする議論相手の主張を批判的に検討することは当然やるべきことであり、それをするうえで議論相手の主張に含まれる問題点を可視化することは、多くの場合は﹁必要﹂なことです。だから私はそのような﹁必要﹂に従って発言しています。︵この返信自体が長かったですか? でも、私なりに﹁簡潔﹂に書いたら私の伝えたいことが伝わらないおそれがあるので、﹁簡潔﹂にはできませんでした。﹁長さ﹂は読み手への配慮の結果なのです。︶--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 12:09 (UTC)
Wikipediaのガイドラインや方針に反することをしようとしている人がいる場合、それを批判してやめさせるには、ガイドライン類を引用して﹁ガイドラインや方針にこう書いてあるから従って下さい﹂と言えば済むはずであり、それが﹁最も簡潔﹂な対応であることは私も元より心得ています。しかしノート:天之御中主神でのKagefumimaru氏は、私からそのようにガイドライン︵主にWP:LS︶を提示されても、そのガイドラインに必ずしも従うわけではなく、かつそれに従わないことの理由︵それは畢竟するところ同氏の﹃意見﹄や私論なのですが︶を次々に発表していくというものでしたので、﹁ガイドラインの提示﹂という簡潔な対応をするだけでは済まず、それがゆえに、それらの﹁意見﹂類を批判するための私の発言も長くならざるを得なかったという事情もあります。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 12:33 (UTC)
今回のむよむよ氏の返答に、その回答は、むよむよ氏の懸念を証明するものに他らないように見えます。ご自身は長くないと思ってるようですが長いし、長文でも読む易いという人もいますが、少なくとも氏はそのタイプではありません。味覚障害や口臭と同じで、自分では正常だと思っていても、そうでないこともあることは多いという点を踏まえて、今一度、自分の文章は適切か見直されたらいかがでしょうか。経験則上、ウィキペディアにおいて、毎回、相手の何倍ものバイト数の返信をする︵それも逐次的に︶人で、その長文に妥当性があった人は知りません。
ちなみに被依頼者も要領を得ない長文の気があるように思います。基本的に、第三者が見る、見やすいってことを考慮してないから、議論活性や合意のコメント依頼を仮にしても人が来ず、当事者同士でヒートアップしてますます人が来なくなる悪循環に陥るんです。--EULE︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 13:28 (UTC)
>>ご自身は長くないと思ってるようですが
とんでもない。私は︻私なりに﹁簡潔﹂に書いたら私の伝えたいことが伝わらないおそれがあるので、﹁簡潔﹂にはできませんでした。︼と上述のように書いてあるではありませんか。
>>今一度、自分の文章は適切か見直されたらいかがでしょうか。
ご忠告をくださったという事実は有難く頂戴します。-Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 14:28 (UTC)
>>今回のむよむよ氏の返答に、その回答は、むよむよ氏の懸念を証明するものに他らないように見えます。ご自身は長くないと思ってるようですが長いし、長文でも読む易いという人もいますが、少なくとも氏はそのタイプではありません。
﹁長いことが無駄であったかどうかは、内容を検討しないと決められない﹂という上述の私の主張はスルーされているかのように思われます︵﹁長い﹂ということ以外の指摘がないので︶。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 14:43 (UTC)
コメント﹁要領を得ない﹂とか﹁無駄に長い﹂とかいう︿形容﹀はあくまでもラベルですから、﹁そういうラベルをなぜ貼れるのか﹂を具体的に説明したうえで貼らないと、ただのラベル貼りになってしまいます、ということを念のため申し上げます。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 15:15 (UTC)
利用者:むよむよさまへ。﹁依頼者さんにお伺いしたいのですが、ご自身は︵中略︶要領を得ず無駄に長く、論点を拡散しがちな意見表面が多い傾向があるとお考えでしょうか﹂というあなたのご発言が、あたかも依頼者︵私︶に対するあてこすりであるかのような感覚を私が抱いてしまったので、﹁当てこすりに対する反論﹂という心境に浸ったまま応答︵7月26日 (木) 12:09 (UTC)︶を書いてしまった面があります。私のその応答から、不快な感情的成分をお感じになっておられるとしたら、その点お詫び申し上げます。﹁ご自身は︵中略︶要領を得ず無駄に長く、論点を拡散しがちな意見表面が多い傾向があるとお考えでしょうか﹂という問いへの簡潔な回答を申し上げますと、﹁自分の発言は要領を得ず無駄に長く、論点を拡散しがち﹂と自覚したうえでなおそれを書き込んでいるというつもりは私にはありません。簡潔性がしばしばないことと、その理由は上述のとおりです。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月26日 (木) 16:55 (UTC)
つまり、議論相手に配慮してあえて長文にしてあげたというわけですか。でも、長いから簡潔にしてくれと相手に執拗に言われている以上、Leonidjpさんの配慮とやらは誰のためにもなっていないのではないでしょうか。Kagefumimaruさんの度重なる書き直し要求はさすがにどうかと思いますが、そこまで言われてしまうLeonidjpさんの文章の書き方にも揉め事の原因があったという考えは受け入れがたいですか?
﹁たくさん詰め込めば、相手により多く伝わる﹂どころか、逆に伝わりにくくなる事すらあるのが文章の難しいところですよね。例えばこのコメント依頼がいい例なのですが…もっと要点を絞って短くした方が逆にコミュニティに状況が伝わりやすいと思いますよ。﹁あえて長く書いている﹂のではなく﹁長くなってしまっている﹂という風に、ご自身の書き方を捉え直してみてはいかがでしょうか。--むよむよ︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 02:02 (UTC)
>>長いから簡潔にしてくれと相手に執拗に言われている以上、Leonidjpさんの配慮とやらは誰のためにもなっていないのではないでしょうか。
Kagefumimaru氏個人にとって益がない可能性はあります。ただし議論参加者は同氏だけではないし、まだ読んでいるだけで発言していない人も居る可能性があります。私がおこなっている﹁読み手への配慮﹂︵によって長い発言をする場合があること︶は、もとよりKagefumimaru氏だけのために実践していることではありません。
>>もっと要点を絞って短くした方が逆にコミュニティに状況が伝わりやすいと思いますよ。
ご助言をくださったという事実は有難く頂戴します。ありがとうございます。
>>﹁あえて長く書いている﹂のではなく﹁長くなってしまっている﹂という風に、ご自身の書き方を捉え直してみてはいかがでしょうか。
﹁長い﹂ということがどういうメリットをもち、同時にどういうデメリットをもったか、ということを、個々の事例に即して︿具体的に﹀検討しないと、﹁長いから悪い﹂とは言えないはずですと昨日から申し上げています。﹁長い﹂というのは字数︵数量︶に対する評価にすぎず、内容に対する評価にはならないのです。﹁内容への評価﹂こそが言説評価の根幹であるべきと私は考えていますから、字数の﹁長さ﹂だけを取り上げられても困ります。※ノート:天之御中主神での私の個々の発言を﹁長いから悪い﹂と評価なさりたい場合は、どの発言がどのように﹁長いから悪い﹂のかを言っていただきたいところです。もしかりに貴方がそれを発表なさるのでしたら、利用者‐会話:Leonidjpに書いて下さい。﹁長いことの意味・目的﹂はいつでも説明にあがる用意があります。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 02:34 (UTC)
下線部を追記。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 02:39 (UTC)
コメント ﹁﹁内容への評価﹂こそが言説評価の根幹であるべき﹂というのは当然そうなのですが、そもそもLeonidjpさんは﹁内容への評価﹂を求めてこのコメント依頼をされたのでしょうか?そうであれば、どうぞお好きなだけ書かれたらよろしいかと思うのですが、もし第3者のコメントを求めてこの依頼をされたのであれば、EULEさんもおっしゃっている通り[1]、あなたが長文を投稿すればするだけ当初の目的からは乖離してしまうことをご理解ください。またコメントを依頼するということはコミュニティに負担をかけるわけですから、その際にできるだけその負担を軽減するべく要点を簡潔にまとめた依頼文を作成することが一般的であり、それを怠った場合コミュニティ、あるいは他の利用者に対する配慮が欠けていると評価されることもあり得ることをご理解いただきたいと思います。--Xx kyousuke xx︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 04:30 (UTC)
コメント頂きありがとうございます。ご忠告の件、承知致しました。私の依頼の趣旨は、﹁私の発言の内容を評価してもらうこと﹂ではもちろんありません。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 04:38 (UTC)
コメント 当該項目については無知なので議論の本題には立ち入りませんが、被依頼者であるKagefumimaruさんについては、過去にクラシック音楽関係の項目での議論をお見かけしたことがあり、ちょっと気になっていました。というわけで、過去に被依頼者が関わった主な議論を関連リンクとして追加しておきました。
さて、これらのどの議論もかなり長いのですが、その原因は主として被依頼者にあるように思われます。共通点といえそうなのは、被依頼者の主張の根拠が感覚的なものであること、発言が場当たり的で整合性や系統的な配慮に欠けること、議論途中での強引な編集であり、これらについて議論相手から批判・反発されています。今回も、相手の議論手法にケチを付けることで、ご自分の望まない合意や結論に至ることを回避しようとしている印象があります。これも、すでに指摘されている﹁場当たり的な発言﹂の類でしょう。
一方、依頼者であるLeonidjpさんについても、Kagefumimaruさんとお二人で短時間に極めて大量のログを投下しあい、アルトクールさんから﹁リアルタイムチャットのように脊髄反射の如く返信の応酬を繰り返す﹂との苦言を受けてもなお続行したことは問題でしょう。このコメント依頼においても、第三者のコメントに即レスする形で長いコメント及び連続投稿を返しておられることは、これではみんな呆れ返って引くばかりだろうと感じました。
以上、議論の見通しを悪くしている点で、お二人ともに責任があります。これを機会に、議論への接し方を考えていただくことを希望します。手前味噌で申し訳ないですが、私論へのリンクを張りましたので、よろしければご一読ください。--みっち︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 10:33 (UTC)
被依頼者が関与していた過去の議論を見つけてくださり、ありがとうございます。私がノート:天之御中主神で感じていたことと共通する被依頼者の振る舞いがそこに見られることが分かりました。また、ご忠告と私論のご提示にも感謝します。脊髄反射的反応でもって議論の見通しを損なうことのないよう留意いたします。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月27日 (金) 18:48 (UTC)
まとめ[編集]
#第三者のコメントにコメントくださった利用者の方々から、ノート:天之御中主神#節を分けることについてにおける議論の見通しを悪くしている原因は、本依頼の依頼者と被依頼者の双方にあるとの評価が示されました。
それによれば、依頼者の書き方は﹁簡潔性がなく字数が長い﹂とのことでした。いわゆる﹁即レス﹂で長文を投稿するという行動についても、批判的コメントを頂きました。また本依頼の依頼文および#第三者のコメント節における依頼者の発言にも、﹁簡潔性がなく字数が長い﹂という同じ問題点があるので、改善すべきである旨のコメントを頂きました。
一方、ノート:天之御中主神#節を分けることについてにおける被依頼者の振る舞いについては下記のような指摘がありました。
●﹁〜すべきだ﹂と主張する割に、その根拠を表明しない傾向にある
●要領を得ない長文の気がある
●度重なる書き直し要求はさすがにどうかと思います
●主張の根拠が感覚的なものである
●発言が場当たり的で整合性や系統的な配慮に欠ける
●相手の議論手法にケチを付けることで、ご自分の望まない合意や結論に至ることを回避しようとしている印象がある
依頼の提示からまだ日が浅いところではありますが、これで終結とさせて頂きます。コメントを下さった皆様、ありがとうございました。--Leonidjp︵会話︶ 2018年7月30日 (月) 02:04 (UTC)
- 返信されていたことや、まとめられたことに1週間以上気づかず、いまさらコメントするのも心苦しいのですが、1点だけ。みっち氏の指摘する被依頼者が意図的に相手の議論手法の問題を突くという問題を抱えていたとしても、そもそも依頼者は、第三者が皆問題視している長文を意図的に行っていたのだから、それを指摘されたことは何ら問題がないと思います。被依頼者の動機が邪悪であれ何であれ、依頼者が意図的にそれを行い、第三者からも問題があると認識されていたならば、その指摘は妥当なものであり、それを今回の場合はしょせん推論に過ぎない、動機という形で問題視することはいささか問題があるように思います。--EULE(会話) 2018年8月10日 (金) 15:31 (UTC)