デジタル大辞泉 「エポケー」の意味・読み・例文・類語 エポケー(〈ギリシャ〉epochē) 1哲学で、判断をいっさい差し控える態度。判断中止。古代ギリシャの懐疑論者たちが哲学上の独断的主張に反対して唱えた。 2 フッサールの現象学で、純粋意識の領域に至るために、自然的態度に基づく判断を中止すること。現象学的判断中止。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「エポケー」の意味・読み・例文・類語 エポケー (一)〘 名詞 〙 ( [ギリシア語] epokhē ) (二)① 古代哲学で、ものごとの真偽や善悪に関し、いっさいの判断を差し控えること。判断中止。ピュロンを代表とする古代懐疑派によって唱えられた。 (三)② フッサールの現象学で、純粋意識の領域を得るために、素朴な自然的態度による事物の判断を控えること。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「エポケー」の意味・わかりやすい解説 エポケーepochē[ギリシア] ︿判断中止・停止﹀を意味する哲学用語。古代ギリシアの懐疑論者ピュロンは,さまざまな哲学説の真偽を判定しようとしたが徒労に終わり,いたずらに苦悩を増すだけであった。それゆえ彼は心の平静を得るべく,判断停止を決意した。デカルトも,一連の探究事項のうちにわれわれの知性が十分に直観しえないものが現れたならば,そこで停止すべきだとした。フッサールは,現象学的還元の対概念として,この語を用いている。現象学の主題の一つは,あらゆる対象的存在者の真の在り方を,認識主観の意識作用との相関関係の中で究明することにある。しかるに通常の自然的-客観的見方によれば,客観的事物は,主観の認識体験を超越して,それとは無関係に独自に存在しているかのようにみなされている。しかし超越的な客観が主観にとっての対象として認識されうるのはなぜか。この疑問の解明を目指す現象学者は,習性化した客観的見方を打破して,自己の意識体験の内在領域へ関心を向け直すために,客観の存在についての判断を一時中止すべきだとされる。 執筆者‥立松 弘孝 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
百科事典マイペディア 「エポケー」の意味・わかりやすい解説 エポケー ギリシア語で︿判断中止︵停止︶﹀の意。古代ギリシアの懐疑論者,とりわけピュロンは哲学上の論争において徒労に終わる真偽の判定を避けるべく,デカルトは真の認識に至るための精神指導の規則として,さらにフッサールは︿現象学的還元﹀の対概念としてこの語を用いた。すなわち,客観の存在についての自然的見方を括弧に入れ,純粋意識の領野を確保するために︿現象学的判断中止﹀が求められる。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
世界大百科事典(旧版)内のエポケーの言及 【フッサール】より …しかし,そのような超越的客観がいったいどのようにして︿これこれしかじかの存在者﹀として,すなわち︿意味的に規定された対象﹀として認識されうるのか,という疑問を解明するのが︿超越論的﹀現象学の課題である。それゆえ現象学者は対象の実在を素朴に認める態度を一時中止(エポケー)すると同時に,反省のまなざしを自分自身の意識作用そのものへ向けるための現象学的還元(または超越論的還元)を行わねばならない。この還元の結果あらゆる対象は,もはや端的な超越者とはみなされず,もっぱら意識の志向的相関者として,すなわち認識されている限りにおいて,意識体験の領域に志向的に内在するノエマ的対象(思念されている対象)として,その認識の可能性と存在性格を究明されることになる(ノエシス)。… ※「エポケー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」