デジタル大辞泉
「カナン」の意味・読み・例文・類語
カナン(Canaan)
約束の地。﹁乳と蜜の流れる地﹂とよばれた。カナーン。
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カナン
(一)( Canaan ) パレスチナ地方の古名。紀元前三〇〇〇年頃、セム族が定着。紀元前二千年紀後半に最も栄えた。﹁旧約聖書﹂でカナンは約束の地。﹁乳と蜜の流れる地﹂と呼ばれた。
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カナン
Canaan
パレスティナおよび南シリアの古代の呼称。イスラエルの民は,エジプトを脱出した後シナイやネゲブの荒野を彷徨︵ほうこう︶していたころ,神から約束されていながらまだ手にしていない︿乳と蜜の流れる地﹀としてあこがれた。前2千年紀の初めころから,エジプト人はこの地方をレテヌRetenu,そしてその住民を︿アジア人﹀と呼んでいた。しかしトトメス3世の時代︵前15世紀前半︶には,エジプト語の文献は同じ地方に対しフルHurruという名称も使用するようになる。当時シリア・パレスティナの都市国家の多くはフルリ人の支配下にあったからである。さらにアメンヘテプ2世の碑文︵前1430ころ︶ではシリア・パレスティナの住民が︿カナン人﹀と呼ばれている。これがエジプト語文献によるカナンに関する最初の言及である。アメンヘテプ2世とほぼ同時代に生きた北シリアのアララクの王イドリミIdrimiの自伝は,かつて王位を追われたイドリミが︿カナンの地﹀のある町に一時避難していたと述べている。地名としてのカナンはアララク出土の他の文書にもたびたび出てくる。カナンの地理的境界線は,南はワーディー・アルアリーシュWādī al-Arīshから北はオロンテス川上流のレブウェLebweh︵旧約聖書のハマテLebo-Hamath︶まで,西は地中海沿岸から東はヨルダン川さらにハウランHauran山に沿ってアンチ・レバノン北山麓のゼダドZedadに至る線︵︽民数記︾34:1~2︶である。︿カナン﹀の原意は従来考えられていたように︿紫﹀色ではなく,たぶん︿商人﹀︵︽イザヤ書︾23:8,︽ホセア書︾12:7,︽ゼカリヤ書︾11:7︶であろう。カナン人は言語学的に北西セム語圏に属するが,旧約聖書の︿諸国民表﹀ではカナンはセムの子孫ではなく,エジプトと同じくハムの子孫となっている︵︽創世記︾10:6︶。それはカナン地方が伝統的にはエジプトの東北県とみなされていたからであり,前14世紀のアマルナ文書では︿カナン県﹀という名称も使用されており,ガザはその行政上の中心地であった。セティ1世の碑文︵前1300ころ︶においてp-kn`nすなわち︿the Canaan﹀はガザを指すが,︿イスラエル﹀の名が初めて出てくるエジプト語の碑文として有名なメルエンプタハ王の戦勝歌ではp-kn`nはカナン県全体を意味する。
︿肥沃な三日月形﹀の一部を形成し,メソポタミアとエジプトを結ぶ橋の役割も果たしたカナンの文化は当然,両文化の影響を十分に受けながら発達した。前13世紀の末,イスラエルの民はカナンの大半の地域の征服を完了していたが,前12世紀の初め,パレスティナ北部のエズレル平原において,女預言者デボラと軍指導者バラクが率いるイスラエルの兵士たちが,戦車900両を繰り出したシセラ王のカナン軍と衝突した。戦闘はイスラエルの勝利に終わり,イスラエルに対抗できる強力なカナンの王はひとりもいなくなった。一方,パレスティナ南部の海岸平野は,ペリシテ人を主とする︿海の民﹀によって征服され,カナン北部すなわちレバノン渓谷からダマスクスを中心とするシリア南部は,シリア砂漠から侵入してきたアラム人によって制圧された。その結果かつてのカナンの住民で独立を求める者たちはフェニキア海岸のビュブロス,シドン,テュロスなどの都市に結集した。前11世紀のエジプトの文献によれば,当時ビュブロスやシドンはレバノン杉の輸出を独占する強力な都市国家を形成していたことがわかる。シナイやネゲブの荒野から侵入定着したイスラエルの民にとって,カナンは確かに︿乳と蜜の流れる地﹀であったが,その豊かな土地の伝統的な宗教や文化は多くのイスラエル人の心をとりこにした。農耕文化を主とするカナンの豊穣神バアルおよびその祭儀は,荒野と牧畜生活を背景として生まれ,ヤハウェのみを神と認めるイスラエル宗教にとって脅威となった。そしてこのカナンの宗教および文化との混淆︵こんこう︶を激しく非難したのが,エリヤをはじめとする各時代のイスラエルの預言者である。
→シリア →パレスティナ
執筆者‥池田 裕
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カナン
Canaan; Kěna‘an
パレスチナ地方の古代の名称。語源は,フェニキア人がみずから呼ぶのに用いた﹁ケナアニ (カナン) ﹂に由来するとされているが,ケナアニには﹁商人﹂という意味がある。また当時の貴重な商品,赤みを帯びた紫の染料をアッカド人がキナフ kinahhuと呼んだことにも関連するといわれ,古くから栄えた。人間居住の跡は旧石器時代にまでさかのぼり,前 7000年頃には農耕を行なっていた。やがて都市を形成し,貿易に従事して高度な文明を発達させた。文書の記載は,前15世紀のエジプトのアメンホテプ2世の碑文をはじめとするが,﹃創世記﹄9章18,10章6にもハムの子としてカナンの名がみえ,セム系民族中重要なアモリ人との関係も考えられる。前3千年紀にはセム族が居住していたようで,当時の町として,エリコ,メギド,ウガリト,ビブロスなどがあり,これらが発掘されて当時の文化が明らかになった。この地はエジプト歴代の王朝の影響を受けるとともに東方からの影響も強く受けており,マリ文書はそれを物語る。ヒクソスのエジプト侵略に際してはその影響を受け,ヒッタイトやフルリ人の影響も受けた。ヒクソス滅亡 (前16世紀) 後,再びエジプトの政治的支配を受けたことはアマルナ文書に記録されている。カナンはアブラハムとその子孫にとって﹁約束の地﹂とされ,イスラエル人のカナン侵入後は,イスラエルの地 (サムエル記上13・19) とか,ヘブライ人の地 (創世記40・15) と呼ばれた。ギリシア人はここをフェニキアと呼んだ。
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カナン
パレスティナおよびシリア南部の古名。前2000年紀からエジプトの影響下にカナン人が活動,前13世紀末にイスラエル人が征服。旧約聖書ではアブラハムとその子孫に与えられた〈乳と蜜の流れる〉約束の地(《創世記》12)であった。しかし,イスラエルの預言者はカナンの文化とバアル信仰を非難した。
→関連項目イスラエル王国
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世界大百科事典(旧版)内のカナンの言及
【パレスティナ】より
…前4000年ころから銅の採掘・冶金が開始され(ガッスール期),周壁をもつあまたの都市が生まれた。やがてエジプトやメソポタミアやアナトリアとの交易の発展のもとで,またこれら周囲から発する巨大な政治的・軍事的ヘゲモニーの交錯のはざまにあって,この地域とその周辺は[カナン]と呼ばれるようになったが,カナンでは,主としてエジプトからの政治的支配が消長するとともに,多様な勢力・集団が侵入・登場し,また融合しあった。 前1200年ころ[フィリスティア人](ペリシテ人)として知られる︿海の民﹀の集団が到来し,また前1000年ころにはイスラエルの民の王国が成立した([イスラエル王国])。…
【みつ(蜜)】より
…みつは人類が最初に知った甘味食品で,その重要性は多くの民族の伝承の中に色こく投影されている。【鈴木 晋一】
[聖書におけるシンボリズム]
旧約聖書は,地中海東部の[カナン]の土地を〈乳とみつの流れる地〉(《出エジプト記》3:8,3:17)として形容し,しばしば神の約束の土地の代名詞,あるいは天国の比喩としても使用された。乳もみつも,もともと豊饒のシンボルであり,古代イスラエル民族が,カナン定住以前に営んでいたであろう遊牧文化の記憶と結合していたことは想像に難くない。…
【ユダヤ教】より
…したがって,まず民族史を語らずにユダヤ教を説明することはできない。
︻歴史︼
﹇古代イスラエル時代﹈
前2千年紀初頭に,神に選ばれたヘブライ人アブラハムが,[カナン](のちのパレスティナ)へ移住したできごとによって,ユダヤ民族の前史は始まる。遊牧民アブラハムは,彼の子孫にカナンの地を与えるという神の約束を受けた(︿アブラハム契約﹀)。…
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