改訂新版 世界大百科事典 「カール12世」の意味・わかりやすい解説
カール[12世]
Karl ⅩⅡ
生没年:1682-1718
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…現在のような制度の発祥国はスウェーデンである。原型は,北方戦争に敗れてトルコに逃れた国王カール12世がその5年間の不在中に官吏の職務遂行を監督させるため選任した代理人で,1809年の〈統治憲章〉で新たに〈議会オンブズマン〉が設置された。その後,デンマーク(1953),ノルウェー(1962),ニュージーランド(1962),イギリス(1967),フランス(1973),オーストリア(1977)というように,行政機能の量的・質的拡大を背景に各国に普及した。…
…次いでヨハン3世Johan III(在位1568‐92)は1581年フィンランドを大公国に格上げしてロシアに対抗しようとした。またカール9世Karl IX(在位1599‐1611)は重税のために蜂起したフィンランドの農民一揆〈棍棒戦争〉を利用してフィンランド貴族を一掃し(1599),ここに王権を確立した。 次に勇王グスタブ2世のもとで強力となったスウェーデンは,武力によってロシアを封じ込め,1617年ストルボバの和議により東カレリアとイングリアを手に入れ,エストニアを合して,さらにポーランドを押さえ,リボニアまで手中に収めた。…
…とくにロシアのピョートル1世は,バルト海への出口を求めて,1700年スウェーデンに宣戦したが,11月にはフィンランド湾の要塞ナルバで敗北を喫した(ナルバの会戦)。スウェーデンのカール12世は,その後ポーランド,ザクセンへ侵攻し,ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト2世の退位とスタニスワフ・レシチンスキの即位を要求し,これを認めさせた。07年8月,スウェーデン軍はロシアへ向かった。…
※「カール12世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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