スウェーデン(読み)すうぇーでん(英語表記)Sweden

翻訳|Sweden

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スウェーデン」の意味・わかりやすい解説

スウェーデン
すうぇーでん
Sweden


45029590810002006927650920094SverigeKonungariket SverigeDet Gamla, det Fria9Viking10152311810142119731GNIEU


自然

スカンジナビア半島の東側を占めるスウェーデンの国土は、その南西部が北海に通ずる海峡部に臨む以外は、内海のバルト海とボスニア湾に面している。南北に1574キロメートルと細長く、北部は北極圏に入るが、北緯60度以南の部分が半分を占める。

[式 正英]

地形・地質

ノルウェー国境に沿う北西部は、ノルウェーから続くスカンジナビア山脈が走り、北部が高くサレク山塊(2090メートル)やスウェーデンの最高峰ケブネカイセ山(2123メートル)があって、2000メートルを超える。スカンジナビア山脈は古生代のカレドニア造山運動による古生層の褶曲(しゅうきょく)山地で、東側のバルト楯状地(たてじょうち)に押しかぶせ断層によって接し、その境はグリント・ラインとよばれる。バルト楯状地は地球最古の始生代、原生代の岩石からなり、これが国土の80%を占めている。おもに花崗(かこう)岩、片麻(へんま)岩、結晶片岩などからなり、古生代以前の数回の造山運動によって著しい変成作用を受けた複雑な地質構造である。

 バルト楯状地の大部分は南東に傾く500~200メートルの高さのノールランド台地で、山脈の東側に南北に長く続き、国土の半分を占める。ノールランド台地の南はベーネルン、ベッテルン、メーラレンの三大湖を含むスウェーデン中央低地となり、その南側にふたたび高度を増してスモーランド台地(270メートル)があり、南縁は中生層を断ち切る準平原のスコーネ低地となる。更新世(洪積世)氷期には全体がボスニア湾に中心をもつフェノスカンジア氷床に覆われ、解氷したのが約1万年前のため、氷食によって削磨されて生じた基盤岩の円丘や凹地が明瞭(めいりょう)に残り、これが地形の基調となっている。その上を氷流の方向に関連して配列するモレーンやエスカーなどの氷河に由来する堆積(たいせき)物が覆う。凹所は無数の湖沼や湿地となり、内水面の面積は全土の10%を占める。ダール川、クラール川など河川はこれらの湖をつなぐ形をとり、水系発達の初期段階にあって、ノールランドの河谷はいずれも北西から南東の流路をとり、平行して流れる。解氷後、一時的に海水面が上昇、浸入したが、アイソスタシー(地殻均衡)による年数ミリメートルの地盤隆起運動が継続して、最高260メートルの所まで海進の痕跡(こんせき)を残す。沿岸にはこれによって生じた粘土質の海岸平野が分布し、肥沃(ひよく)な農地を提供する。この種の平野やスコーネ地方を除いては、氷床の侵食が表土をはぎ取った結果、土壌はやせている。バルト楯状地の岩石には、鉄をはじめ銅、鉛などの鉱石が含まれ、北部のキルナ地区、中部のベリエスラーゲン地区で採掘が進んでいる。

[式 正英]

気候・植生

715172西112

 240100湿500西700200050西沿

 

地誌


3

 使宿()

 ()

 1660西20()

 西


歴史

スウェーデン人が自らの歴史を『年代記』という形で記録するようになるのはだいたい14世紀ごろからのことであり、それ以前の歴史について知るためには、考古学史料、ルーン碑文、ヨーロッパ大陸で書かれた文献(古代ローマのタキトゥス、ゴート人のヨルダネスらの著述)などに頼らなければならない。

[本間晴樹]

原始および古代

退18000()2000

 ()56貿910

 9Viking西11()貿退


中世

11100012121313()125012501275141Magnus 124012901275129021316137413191356135913641350141364213641389()113891397()7Erik 1382145913961439313891442131396143913971439

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近世

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 3177117921772()1792341778183717921809


近代および現代

180518081809341810131748181818091818()1812181418181418181844調184018621866

 1920190519321976()19801995EU


政治・外交・防衛

スウェーデンの政治は、立憲君主政体のもとに、議会制民主主義に基づく三権分立制を基本としている。現国王はカール16世グスタフCarl ⅩⅥ Gustav(1946― )で、1973年9月に即位した。

[中島香子・和田俊之]

憲法と議会

憲法は、統治法(1974制定)、王位継承法(1809)、出版の自由に関する法律(1949)、表現の自由に関する法律(1991)の四つの基本法からなる。1974年に憲法の改正が行われ、これにより、国王の地位は、閣議主宰を廃止するなど以前にも増して象徴的な存在となった。新憲法下における政治の基本理念はおおよそ以下のとおりである。(1)王位の継承は男女児を問わず第1子による世襲制とする。(2)議会は立法権と議決権を有するが、特定の目的については国民投票を行うことができる。また、国民の基本的人権は保障される。(3)言論の自由を認め、いかなる宗教および政治団体にも加入と脱退の自由を認める。

 議会は1971年の議会法(1866年制定)の改正により、それまでの二院制を廃して一院制となった。議員数は349人で、4年ごとに改選され、18歳以上のスウェーデン人に選挙権が与えられている。選挙は比例代表制で、一党が総投票数の4%を得られなければ国民を代表することができず、比例配分によって各党の議員数を決定する。1979年9月の選挙では投票率91%、社会民主労働者党、保守党(穏健党)、中央党、自由党、共産党(1990年に左翼党と改名)の各政党が議席を占め、政権は中央党と自由党の連立となったが、1982年9月の選挙では投票率91.4%、社会民主労働者党が6年ぶりに政権を奪回、党首オロフ・パルメが首相の座についた。同党を中心とする左派連合は1985年9月の総選挙で小差ながら勝利し、政権を維持した。パルメは1986年2月28日暗殺され、イングバル・カールソンIngvar Carlsson(1934― )が後を継いだ。1991年の選挙では保守党、中央党、自由党、キリスト教民主党の連立政権が誕生し、保守党党首カール・ビルトCarl Bildt(1949― )が首相になった。1994年の総選挙では(投票率86.8%)ふたたび、社会民主労働者党が政権をとったが、過半数には至らず、少数単独政権となり、中央党、左翼党と協力関係にあるイングバル・カールソンが首相になった。しかし、カールソンは1995年に引退を表明、同年ヨーラン・パーションGoran Persson(1949― )が後任の党首に選出され、首相の座についた。1998年、2002年の総選挙でも社会民主労働者党が少数単独政権を維持、左翼党、環境党(緑の党)の閣外協力を得て政権運営を行っていた。2006年の議会選挙(投票率80.4%)では、社会民主労働党が議席を減らしたが、第一党となった。しかし保守党、中央党、自由党、キリスト教民主党による中道右派連合「スウェーデン同盟」が過半数を獲得し、保守党党首フレデリック・ラインフェルトFredrik Reinfeldt(1965― )が首相に就任した。政党は社会民主労働者党のほか、保守党、自由党、キリスト教民主党、左翼党、中央党、環境党が国会に代表を送っている。政策としては、税金問題、社会福祉に関連する家族問題、給料基金(給料から天引きして基金を設立)問題が取り上げられ、論争されてきた。原子力発電所の全廃、EU加盟問題等は、表面的にはどうであれ、社会民主労働者党と保守党との意見はほぼ一致しており、EU加盟に関しては1995年に実現、原発に関しては2005年までに12基中2基が操業停止した。なお、2006年成立した中道右派連合政権において、原発の現状維持が表明されている。

[中島香子・和田俊之]

行政

内閣は22人の閣僚がおり、また政府は首相府と10省および中央行政庁からなる。国家公務員、地方公務員、その他公的団体の労働者数は約128万人(2002)であり、就業者人口の3割を占めている。労働組合は職業別で、ブルーカラーの労働総同盟(LO)とホワイトカラーの俸給職員中央団体(TCO)、おもに大学卒のホワイトカラー労働者のための専門組合連合(SACO)が三大組織であり、多大な政治的影響力をもっている。地方行政は21のレーンとよばれる行政区からなり、長官は政府任命制である。各レーンには医療をつかさどるランスティングといわれる機関があるほか、環境問題などの地方計画を行う。レーンはさらに290のコミューン(小自治体)に分かれ、福祉、教育、住宅などの問題を担当する。地方議会選挙は国会と同日であるが、これにはスウェーデン国籍以外の者も3年以上居住すれば、選挙権、被選挙権が得られる。国民は国税と住民税を収入に従って支払うが、住民税は各コミューンによって税率が異なるので福祉行政に差異を生ずることがあり、国費の補助が出されている。

[中島香子・和田俊之]

司法

1910()


外交

1814NATO()西NATOPartnership for Peace1994NATO

 19531961使GNP103240001983119772003GNI0.72006ODAGNI1.02EU1994EU19951調1960EFTA()貿退19525


防衛

中立を維持するため防衛力は国家規模のわりには強力で、国家予算のうえでも優遇されている。その防衛思想は総合的なもので、防衛体制は四つの組織から構成されている。すなわち、正規の国防軍のほかに民間防衛組織(国民保護)、経済防衛組織(自給体制)、心理防衛および完全自主防衛組織があり、これらを一体化した全体防衛という考え方にたっている。国防軍は陸・海・空軍と物資供給局、徴兵局、研究局よりなり、19歳から47歳までの男子の徴兵制で、7.5~18か月の兵役に服する。常備兵力3万2100人、総動員数は23万6000人(2003)、女性の希望者にも門戸を開いている。軍備費は国家予算の約6.2%が計上され、445億8800万クローナ(2002)に達する。軍備の83%は国産であるが、1980年代以降は部品の輸入増加が憂慮されている。民間防衛組織は核兵器対策として市街地に550万人収容可能の地下シェルターを用意し、約20万人の動員が可能である。経済防衛組織は食糧と石油の完全確保を実施し、心理防衛および完全自主防衛組織は100万を超える自発的協力者を擁するといわれる。

[中島香子・和田俊之]

経済・産業

スウェーデンは17世紀以来、銑鉄の輸出国としてヨーロッパに知られていた。19世紀なかばの蒸気機関を利用した木材業の発達は産業革命の口火となり、続いてノーベルのダイナマイト、エリクソンL.M.Ericsson(1846―1926)のクロスバー電話交換機をはじめ、牛乳分離機、ボールベアリングなどが発明された。キルナの鉄鉱石の採掘開始と鉄道敷設、電気の普及は工業化の歩みを速めるものとなった。1930年代の不況下に政権を得た社会民主労働党の経済目標は、完全雇用、適当な経済成長、価格の安定、国際収支の均衡であった。中立を維持した第二次世界大戦中にも航空機、自動車産業の発達をみ、1960年代に前記の経済目標を達しえて福祉国家を確立したが、しだいに高賃金は製造コストの上昇を生み、1973年の石油危機に至って輸出の停滞、インフレの高進を招いた。1976年、保守政権への交替以来インフレは年10%以上となり、生産および投資の低下をみ、公共経費は増大し、ついに国家予算の赤字を生むに至った。

 1972年秋に政府は「土地と水利」という国土開発基本法を打ち出した。地域計画を強化して、工場適地、住宅地、レクリエーション地区などを指定した。大都市への人口集中を防ぐため、政府機関の地方移転が行われ、補助金制度による北部への工場誘致などが行われた。新しいエネルギー源の開発として、太陽熱、地熱、風力利用とともに、ツンドラ地帯の泥炭の開発に力を注いでいる。鉱石探知も盛んで、有望な金・銀鉱も発見されている。

 1991年から1993年にかけて3年連続マイナス成長を記録するなど、戦後最悪ともいえる不況期を迎えたが、クローナの下落および世界的な景気の回復に伴い、1994年には輸出の高い伸び率に支えられてプラス成長(GDP成長率3.3%)に転換。さらに2000年に入り、成長率はさらに上昇(GDP成長率4.3%)、それ以降も堅調な伸びを示している。完全失業率は1994年8.0%であったが、2000年には5.6%に減小した。その後、2008年に発生した世界的な金融危機の影響を受けて、景気後退の局面を迎えている。また、金融機関の債務保証など、大規模な金融安定化のための政策がとられている。

[中島香子・和田俊之]

農林漁業

19202020022.13166000200346551調80

 602843398000583750

 3057002001西26701995200沿便調


鉱工業

3022001195LKAB()1560007400086000280Boliden3049282001

 20100200Sandviken使40411040152300280

 


貿易・財政・金融

202112259932004EU19731975退21998調19915ECU()199211EUEU

 115200610011251984275000allemanssparallemansfond


交通・通信

90使1362168194103422932001200214528000794900025711


社会

住民・言語

196081417630214500043600199120023994693025.65.643.22000200545200528

 使171820


国民生活

人口密度は1平方キロメートル当り20人で、その密度は極端に南部に偏り、その約83%は都市とその周辺に集中している。政府は対策として政府機関の地方移転などにより、職場の地域配分の調整を実施している。1930年代の不況と産児制限の普及による出生率の低下で、人口増加率は1983年には0.12%に落ちた。当局は憂慮のすえ、1982年度より3人以上の児童をもつ家庭は付加手当をうけられるようにした。これらの給付は所得に関係なく、誰にでも例外なく支給される。現在では児童(原則16歳未満)の数に限らず第1子より児童手当が支給されている。1993~2002年の年平均の人口増加率は0.2%と上昇した。平均寿命は男性78.0歳、女性82.6歳であり(2002)、人口の約17%が65歳以上である。労働人口は約424万人で、その平均所得は年間約7万クローナである。結婚または同棲(どうせい)している女性の70%近くが労働に従事しているので、1世帯当りの収入はかなり高くなるが、女性の就業形態は35%がパートタイム労働者である。週労働時間は40時間、地下鉱山勤務者36時間で、1991年より年間5週間と2日の有給休暇が法律で定められている。自家用車の普及率は2.2人に1台、テレビは2.2人弱に1台の割であり、一戸建ての住宅、夏の家、ボート、車を所有することが人々の理想とされている。住宅は大都市においては不足しているが、地方によっては余剰がある。収入の少ない人には、一戸建て住宅に居住する者にも住宅補助金が支給される。一戸建て住宅には率のよいローンが借りられ、種々の税控除もあるため、アパート入居者との間に不平等が生じ、問題にされている。

[中島香子・和田俊之]

教育・宗教

1962933286210019751661976100100

 ()877701057850625329052132544退5000900

 89000650001800025


福祉

福祉は世界最高の水準にあるが、スウェーデンの高福祉社会は国民の税負担によって支えられており、そのシステムとしては地方行政の最小単位であるコミューンが社会サービスを、保険医療は20のランスティングと三大地区のコミューン(ゴットランド、イョーテボリ、マルメ)が責任を負っている。この二つは徴税権をもち、自治権も大きい。

 スウェーデンに住む人はすべて国民健康保険に加入し、国籍にかかわらず、助成された料金で医療を受ける権利をもつ。2002年の保険、医療サービス費は987億クローナで、その90%がランスティングと三大コミューンからまかなわれている。入院料金は、1日80クローナ。診療代や薬代は年1600クローナまでを負担し、それ以上は無料となる。16歳以下の子供は、病院のケアを無料で受けられる。

 家族政策も重要視され、育児休業の収入補填制度があり、給付率は1998年より休業前の収入の80%(390日間)が給付される(子供が8歳になるまでに分散取得可能。なお、収入のない親にも一定額が保証される)。16歳未満の児童には1人当り年間1万1400クローナの児童手当があり、3人以上の児童をもつ家庭は付加手当を受けることができる。これらの給付は所得に関係なく誰にでも例外なく支給される(2001)。国民年金には基礎年金と収入に基づく付加年金が含まれ、65歳以上のすべての人に支給される。高齢者や障害者への社会サービスや健康管理はコミューンが責任をもつ。高齢者の大多数が一般住宅に住んでいるが(その半数は持ち家)、自宅での生活が不可能になった場合はケア付きの施設を利用できる。また、ホームヘルプ・サービスの利用も増えている。

[中島香子・和田俊之]

文化

自由と平等はスウェーデン文化の根本精神である。権力を恐れずに築き上げた人道主義や言論の自由は、1960~1970年代の経済成長を背景に、さらに国民の意識のなかに深く根づいた。17世紀にはドイツ文化の、18世紀にはフランス文化の影響を受けてはきたものの、スウェーデンの文化はこの土地に根づいた独自のものである。1800年代初期まで農業従事者は人口の95%を占め、貧困のために100万人ものアメリカ移民を余儀なくされた。1930年代の不況時にはストライキで死者を出したこともある。このような社会がその50年後には高い生活水準と高福祉を実現し、いまや欧米の消費・商業文化の洪水からいかにして子供たちを守るかに人々の関心が注がれるようになった。それほどにスウェーデン社会の変化は著しかった。そのため、農業国であったころの大家族制は工業化するにつれて核家族化し、福祉の発達は権利主張を強め、すべての責任を社会に転嫁する傾向がみえ始めるなど、深刻な社会現象をも生じ、文化的影響を及ぼしている。

[中島香子・和田俊之]

国民性

親子関係はもともとドライで、古くから農村では、子供が老いた親に与える食糧や金銭を契約書にしたためて親子間で取り交わす風習があり、現在も遺産はもちろん、結婚の際に個人の所有物や財産の明細をつくり、所有権を明らかにすることが多い。男女の共同生活世帯の64%は結婚しているが、近年事実婚(サムボ)の割合が増え、36%となっている(2004)。離婚率は1000人当り2.4(2001)。クリスマスは最大の行事で、家族内で祝い合うが、宗教的な意味は薄れ、伝統として持続している面が強い。気質はまじめで、人に頼まれれば親切に助けるが、自発的に個人では行動をおこさない。理論的であり議論が好きで、平等の精神が行きわたっている。普段は冷静だが、スポーツには熱中する傾向が強い。人々の生活のなかで、仕事と余暇とは明瞭(めいりょう)に区別されている。

[中島香子・和田俊之]

芸術

Georg Stiernhielm15981672171951Nicodemus Tessin the Elder16151681Nicodemus Tessin16541728Zorn18601920Alf Sjöberg190319801983


文化施設




言論・出版

スウェーデン人の新聞購読率は高く、日刊紙168紙、平日の平均部数合計約406万部が発行されている(2002)。これは人口1000人当り454部に相当する。新聞によって政治、税金、収入、雇用、失業、物価などすべてを国民は知り、税金の使われ方や要人の発言に敏感に反応する。言論・出版の自由は国民の権利と平等を守る武器となっているが、どぎつい個人攻撃の報道には人権侵害を許さない公平な立場をとり、ガラス張りのなかでの自由を感じさせる文化をもつ社会である。

[中島香子・和田俊之]

日本との関係

1650年代に日本を訪れたビルマン(ウィルマン)Olof Eriksson Willman(1623ころ―1673)の手で、1667年ごろ『日本旅行記』『日本王国略史』が刊行されている。しかし1700年代初期に設立された東インド会社によってもたらされた伊万里焼(いまりやき)や漆器類は、スウェーデンの上層階級の身近に日本の文化を紹介した最初のものであった。その後、植物学者チューンベリ(ツンベルク)が1775年(安永4)に来訪し、1年間滞在、帰国後『日本植物誌』(1784)を刊行した。また1879年(明治12)にはノルデンシェルドの北西航路探検船ベーガ号が日本に寄港、ついでスウェン・ヘディンの来訪と、文化交流は年とともにその密度を増した。

 第二次世界大戦後は日本の皇太子(現上皇)のスウェーデン訪問(1953)があり、東京オリンピック、大阪万国博覧会は両国間の交流を深めるのに役だった。水俣(みなまた)病、スモン病、排気ガスなどの環境問題や捕鯨問題によって、スウェーデン人の日本に対する印象は悪化した感があったが、1970年代における日本経済の発展にスウェーデン人は驚異の念を示し、日本への関心が多大となった。1971年(昭和46)には日本・スウェーデン科学研究財団がストックホルムにおいて結成され、科学者の交流を行っている。スウェーデンの研究所には毎年1名の学者が日本から招かれ、日本の国際交流基金によってスウェーデンから2名が日本へ招待される。また独立行政法人日本学術振興会を通じ、研究者の海外派遣、あるいは受け入れを行っている。ストックホルム大学とイョーテボリ大学には日本語科が置かれ、各地の成人学校でも日本語コースが開かれている。日本人を親にもつ学童に対しては、市が日本人教師による日本語教室を開いている。1980年代に入ってからは、日本より空手チーム、囲碁使節、陶芸家などの派遣があり、建築展「間(ま)」や和紙展は日本への関心を高めた。近代美術館では河原温(かわらおん)のコンセプチュアル・アート(概念芸術)が紹介され、日本文学の翻訳出版も増加している。スウェーデン王室と日本の皇室との交流は多くみられ、2000年と2007年に天皇・皇后がスウェーデンを訪問、またカール16世グスタフ国王が2001年と2007年に来日している。

 経済面の交流では、近年とみに日本との交易が盛んとなり、1993年を境に日本との貿易では輸出額が上回った。輸出額は155億3100万クローナ、輸入額は154億4600万クローナである(2004)。スウェーデンの全貿易に占める日本との貿易額シェアは輸出1.7%、輸入2.1%であり、日本への輸出品のおもなものは、木材、医薬品、乗用車、日本からの輸入品のおもなものは乗用車、通信機械、化学品である。

[中島香子・和田俊之]

『スウェーデン社会研究所編、高須裕三他著『スウェーデン――自由と福祉の国』(1971・芸林書房)』『在スウェーデン日本国大使館編『スウェーデン王国』(『世界各国便覧叢書26』1973・日本国際問題研究所)』『角田文衛編『北欧史』(『世界各国史6』1973・山川出版社)』『能登志雄著「スカンディナヴィア三国およびフィンランド」(木内信藏編『世界地理6 ヨーロッパⅠ』所収・1979・朝倉書店)』『P・トールステンソン他著、塚田秀雄訳『スウェーデン』(『全訳世界の教科書シリーズ28』1980〈原著は1975年〉・帝国書院)』『百瀬宏著『北欧現代史』(『世界現代史28』1980・山川出版社)』『ジャクリーヌ・シンプソン著、早野勝巳訳『ヴァイキングの世界』(1982・東京書籍)』『熊野聰著『北の農民ヴァイキング』(1983・平凡社)』『善積京子編『スウェーデンの家族とパートナー関係』(2004・青木書店)』『ペール・ブルメー、ピルッコ・ヨンソン著、石原俊時訳『スウェーデンの高齢者福祉』(2005・新評論)』『内閣府経済社会総合研究所・家計経済研究所編『スウェーデンの家族生活――子育てと仕事の両立』(2005・国立印刷局)』『小澤徳太郎著『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」――安心と安全の国づくりとは何か』(2006・朝日選書)』『武田龍夫著『福祉国家の闘い――スウェーデンからの教訓』(中公新書)』

 

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改訂新版 世界大百科事典 「スウェーデン」の意味・わかりやすい解説

スウェーデン
Sweden



Konungariket Sverige 
450295km2 
2010938 
Stockholm8 
 
Swedish Krona

15%西西8.5%

25101642001.31150250m

 1西2120150km34西2111mSarektjåkkå2089m17000

 西68°30526718508114湿57%湿

 98%16


-10601060-15211521-175003000-1500西1500-500Sviones6Svear5西911西西

 Götar141397143419

 161523131568-921595Täyssina161121611-32171632-5444退1697121697-171817170009Poltava沿18Ulrika Eleonora1719-20HattarnaMössarna︿1719-72177231771-9292

 1941792-18091318091970131418141911844-59西18668998LO

 1905081812051907-5020303276220060768295EU

grundlag419731619791974

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百科事典マイペディア 「スウェーデン」の意味・わかりやすい解説

スウェーデン

 
Konungariket SverigeKingdom of Sweden447420km29562012Stockholm88201289295Swedish Krona16Carl XVI Gustav194619739Stefan Lofven20141019741810194934942015GDP48002008GDP358020062.82003寿79.783.92013201099         55°2069°04西西15002000m2123m8.65067 11141515231172181814190519 1974調調西NATO2010920149183491383EU 貿IT1995EU1219601319861999ERM2010EUEU2009EU202011
19121956  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スウェーデン」の意味・わかりやすい解説

スウェーデン
Sweden

 
  Konungariket Sverige
 447425km2
 104080002021
 

 8.5%10沿105使410911813971523191995EU  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スウェーデン」の解説

スウェーデン
Sweden


101213971523161721819190519NATO()95EU

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旺文社世界史事典 三訂版 「スウェーデン」の解説

スウェーデン
Sweden

スカンディナヴィア半島の東部を占める立憲君主国。首都はストックホルム
9〜11世紀にはヴァイキングが活躍。13〜14世紀に王権が伸張したが,1397年デンマーク・ノルウェーと統一王国(カルマル同盟)を形成し,事実上デンマークの支配下に置かれた。1523年に独立し,ルター派の採用や軍隊の整備などにより国力を回復し,1630年には三十年戦争に参加。1700年北方戦争でロシアに敗れてバルト海の覇権を失い,ナポレオン戦争でフィンランドを失った。1814年ノルウェーを併合したが,1905年分離した。第一次・第二次の両世界大戦に中立を堅持し,戦後,社会福祉制度が充実した。1975年の憲法改正で国王の政治権限は大幅に縮小された。1976年の選挙で,44年間福祉政策を進めてきた社会民主労働党(社民党)が敗北し,中央党中心の保守連立政権が成立。その後は,社民党政権と保守中道連立政権の交代があり,1994年の国民投票でヨーロッパ連合(EU)加盟を決定し,95年1月EUに加盟(ヨーロッパ自由貿易協定〈EFTA〉からは離脱)。

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世界大百科事典(旧版)内のスウェーデンの言及

【ゲルマン人】より

…もっともそれ以前,前4世紀の末に,マッシリア(マルセイユ)にいたギリシア人航海者ピュテアスが,ノルウェーやユトランド半島に出向いた際の記録の一部が残っているが,そこではまだそこに住んでいた民族について,ゲルマンという呼称は使われていない。 考古学的出土品を根拠に,新石器時代までさかのぼって,ゲルマン人の居住分布が推定されるが,それによると,ゲルマン人の原住地は,南スウェーデン,デンマーク,シュレスウィヒ・ホルシュタイン,並びにウェーザー,オーデル両川にはさまれた北ドイツを含む一帯の地域であったというのが,現在の定説である。この原住地から,青銅器時代の末,ゲルマン人は東方に向かってはオーデル,ワイクセル(ビスワ)両川の流域に移動し,前200年ころにはその一部は遠く黒海沿岸にまで達した。…

【民族大移動】より


西西西WandalenBurgunderLangobarden西FrankenSachsenFriesenAlamannenBayernThüringerDänenSchweden(Svear)Norweger28112

※「スウェーデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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