キリスト教美術(読み)キリストきょうびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「キリスト教美術」の意味・わかりやすい解説

キリスト教美術 (キリストきょうびじゅつ)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キリスト教美術」の意味・わかりやすい解説

キリスト教美術
きりすときょうびじゅつ


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キリスト教美術の誕生


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中世キリスト教美術

こうした誕生期のキリスト教美術は、おのずと古代末期のローマ美術の影響を多大に受けていた。たとえば、当時のローマ美術の葬礼美術に一般的な死者の魂を慰める羊の群れを従えた羊飼いを「善(よ)き牧者」たるキリスト像表現として用いたり、動物たちの間で竪琴(たてごと)を奏でるオルフェウスがキリストを表すことになったり、ローマ美術中の象徴的な表現形式がそのままキリスト教美術へ転用された例も多い。また立像ないしは座像のキリストを使徒たちの中心に配した栄光のキリスト表現も、ローマ帝国の皇帝崇拝の形式を借りて生まれたものであった。様式的にみても中世キリスト教美術の一つの特質となる超絶的、精神主義的な性格は、3世紀から4世紀におけるローマ美術そのものの変質の枠内で培われたものとさえいえる。

 キリスト教美術の第一の目的は、なにはさておき神の栄光を賛美することにあり、それは殉教者崇拝や聖者崇拝へとつながってゆく。教会堂東端の内陣部アプシス壁面には栄光のキリストが描かれ、堂内南北の側壁面には、第二の重要な目的と思われる信徒の教化のために、『旧約聖書』物語や『新約聖書』のキリストの生涯の諸場面、さらには聖者伝などが描かれるのが原則となってゆく。モザイク技法やフレスコ技法の壁画以外にも、聖書や典礼書の写本に施された挿絵、ビザンティン美術に特有の聖なる板絵イコンなどがある。大規模な彫刻がふたたび復活するのは11~12世紀以降のことである。工芸においては、金や銀に打出し技法を施した典礼用の諸器具、聖遺物箱などにみる象牙(ぞうげ)浮彫りなどがある。ゴシック美術時代に至ってステンドグラスの技法が栄えるなど、キリスト教美術は時代によって、地域によって、そしてその使用目的に応じて、多彩な展開を示してゆくことになる。6世紀以降、東ヨーロッパのビザンティン美術は首都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)を中心に独自の展開を示し、1453年の帝国滅亡の日まで、西ヨーロッパの中世美術とは質を異にするキリスト教美術を発展させた。6世紀のユスティニアヌス皇帝時代に実現された第一期の黄金時代ののち、とくに聖像破壊運動の終結後、9世紀から13世紀に至る中期には、教会建築および壁画の図像体系の確立、そしてイコンの隆盛などがあり、今日もギリシア正教圏内の国々にはみごとな遺例が残されている。

 西ヨーロッパでは民族移動の混乱期にも、ローマを中心に古代美術から中世美術へとキリスト教美術は着実にその歩みを進めていった。しかし西ヨーロッパの真の中世美術の幕開きは、9世紀のカロリング朝時代を経たのち、11~12世紀のロマネスク美術における大聖堂時代の始まりにあるといえる。古代末期以来、神学上の理由から避けられていた大彫刻が復活し、とくに教会の正面入口の外壁面には「最後の審判」を基調とした荘厳なるキリスト像が彫られるようになる。さらに内部の柱頭彫刻などでも、単にキリスト教の主題のみならず、1年の暦や労働の暦日、日常生活の情景に根ざした善徳と悪徳のアレゴリーなど、きわめて教育的役割をもった装飾体系が確立された。フレスコ壁画をも含めて、ロマネスク時代の教会は貧しい人々の聖書ともみなされ、石の百科全書ともよばれることになる。この伝統は12世紀後半から現れる次のゴシック美術でさらに発展する。しかし様式的には両者は非常に異なる。ロマネスク美術が神秘的で抽象的な性格をもっていたのに反し、ゴシック美術には写実的で人間感情の直接的表現が顕著となっている。都市の市民生活が活発となり、その活動の直接の反映がゴシック美術にはすでに認められるわけで、外壁面が隅々まで彫刻で飾られ、窓という窓には全面にステンドグラスがはめ込まれたゴシックの大聖堂(カテドラル)は、まさに市民生活の中心的位置を占めることになったのである。

[名取四郎]

ルネサンス以降

しかしこうしたキリスト教美術の時代は14世紀で終わりを告げ、ルネサンス美術の時代に入ると、主流は世俗美術に傾いてゆく。中世美術にみたような大きな時代様式としてのキリスト教美術の時代は終わり、美術が宗教からしだいに独立してゆく過程で、キリスト教美術も個々の画家の作業に任されることになる。もちろんルネサンス時代にも教会堂壁画や祭壇画など数多くのキリスト教美術は生まれたが、中世にあったような宗教感情、道徳、さらには生活の面における民衆に対する指導的立場をすでに失ってしまった。16世紀の宗教改革の時代にキリスト教美術はふたたび大きな試練の場にたたされる。プロテスタント教会は従来の美術に偶像崇拝の危険を認め、とくにカルバン派が行った大聖堂の彫刻破壊運動は北部フランスを中心に猛威を振るい、その痕跡(こんせき)はいまもなお生々しく残っている。ローマ・カトリック教会側は宗教改革に対抗し、さらにルネサンス文化の異教主義に対抗して、16世紀後半にトリエント公会議を開いて立て直しを図り、キリスト教美術もここで近代美術にふさわしい基礎を築くことになる。バロック美術の壮大な教会建築と壁画によって、キリスト教美術はいったん再興したかにみえたが、それもしだいに形骸(けいがい)化し、17世紀のエル・グレコやレンブラントなどの幾人かの画家の業績を別にすれば、19世紀まで教会美術は衰退の道をたどったといえる。

 20世紀になってやっとルオーの作品群をはじめ、ランスの大聖堂にあるシャガールのステンドグラスや、南フランスの一礼拝堂のマチスの壁画、ランス郊外の礼拝堂にあるレオナルド藤田(嗣治(つぐじ))の壁画など、真の新しいキリスト教美術が芽生えつつある。

[名取四郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キリスト教美術」の意味・わかりやすい解説

キリスト教美術
キリストきょうびじゅつ
Christian art

 
14 () 西18191920 G. J. G. A.  

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世界大百科事典(旧版)内のキリスト教美術の言及

【最後の審判】より

…今や〈最後の審判〉は単に恐るべき日ではなく,救いの実現の日となったのである。終末論【川村 輝典】
[〈最後の審判〉の図像]
 キリスト教美術における〈最後の審判〉の図像の起源は,すでに4~5世紀から現れるさまざまの象徴的,寓意的な作例にさかのぼる。まず,世界の終末の恐怖は,《ヨハネの黙示録》4章による獅子・牛・人・鷲の四つの生物および24人の長老たちに取りかこまれ,御座(みくら)に座すきびしい神の姿(ローマ,サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ教会のモザイクなど)に〈最後の日〉の審判者を象徴させ,その後,中世を通じて行われるが,ことにロマネスク時代にその作例は多く,すぐれた大構図を生んでいる(フランス,モアサックの彫刻,12世紀初め)。…

【宗教美術】より


西 

※「キリスト教美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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