デジタル大辞泉
「グダンスク」の意味・読み・例文・類語
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グダンスク
ダンツィヒDanzig。文化・科学・商工業の中心地で,ポーランドおよび他の東欧諸国にとって重要な貿易港。北のグディニャ,ソポトと連合都市を形成し,造船,機械,化学,食品などの工業が行われる。大規模な石油コンビナートがあり,工業大学︵1945年創立︶をはじめとする研究機関も多い。10世紀に城が築かれ,12世紀にポーランド領となった。1361年にハンザ同盟に加わり,15―17世紀にはバルト海の穀物貿易で繁栄した。1919年国際連盟の保護下に自由市となったが,ドイツ系住民が多数を占め,ドイツ対ポーランドの抗争の源および第2次世界大戦の引き金となった。1939年にヒトラーによりドイツに併合。第2次大戦後ポーランド領となり,港湾施設が整備された。1980年の︿連帯﹀運動発祥の地。46万300人︵2011︶。
→関連項目ポモジェ|ポーランド|ポーランド回廊
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グダンスク
Gdańsk
ポーランド北部,バルト海に面する港湾都市で,同名県の県都。人口46万0524︵2004︶。グダニスクとも呼び,ドイツ名はダンチヒDanzig。市街地はグダンスク湾に注ぐビスワ川左岸の河口デルタに発達している。すぐれた港湾施設をもつポーランド最大の貿易港で,とくに石炭,セメントの積出港として重要。第2次世界大戦で港湾施設の過半を破壊されたが,戦後,基幹産業である造船業︵全国の船舶建造量の86.4%,1978︶をはじめ化学,木材,食品加工,電気機械,金属加工の各工業が発達している。臨海地区には大規模な石油精製・石油化学コンビナートが建設された。都市成長も著しく,北のグディニャ,保養都市ソポトと市街地が連なり,トルイミアスト︵三連都市︶と呼ばれる。町はゴシックや後期ルネサンスの美しい町並みで知られ,大学や研究機関も多く,バルト海沿岸地方の学術文化の中心である。1980年の︿連帯﹀運動の発祥地として有名である。
執筆者‥山本 茂
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グダンスク
Gdańsk[ポーランド],Danzig[ドイツ]
ポーランド北部のバルト海に面した,ヴィスワ河口の港町。歴史的にはドイツ語表記のダンツィヒで知られる。10世紀頃に集落が形成され,商業と手工業の街として発展を始めた。ドイツ人商人の流入がみられ,またしばしばポーランドに編入された。1308年にドイツ騎士団に征服される。61年ハンザ同盟に加わり,商業都市としての本格的な発展が始まる。1466年にドイツ騎士団の支配を脱し,ポーランドの一部となって,国王から広汎な経済および自治の特権を得た。おりから活発化したバルト海交易のポーランドの窓口となり,穀物や木材の輸出港としてポーランドの外国貿易をほとんど独占し,繁栄を続けた。ポーランド分割によってプロイセン領となったが,1919年ヴェルサイユ条約で自由都市となる。第二次世界大戦後,ポーランドに復帰。
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世界大百科事典(旧版)内のグダンスクの言及
【ポモジェ】より
…ポモジェ地方はポーランドとプロイセンの勢力が複雑にかかわりあった歴史をもつが,1945年のポツダム会談でその大部分がポーランド領となった。現在の行政区分ではシュチェチン,コシャリン,スウプスク,グダンスク,エルブロンクの5県にほぼ相当する。ビスワ川とオーデル川の間の地で,北はバルト海,南はバルタ川とその支流のノテチ川で囲まれる範囲である。…
※「グダンスク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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