スミス(読み)すみす(英語表記)John Smith

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スミス」の意味・わかりやすい解説

スミス(Adam Smith)
すみす
Adam Smith
(1723―1790)

イギリスの社会科学者で、古典経済学の創始者。

生涯


1737F1740617511759The Theory of Moral SentimentsJ1764Henry Scott, the third Duke of Buccleuch17461812317761777177817871790稿717

 2015721

著作


2Essays on Philosophical Subjects17951763稿An Early Draft of Part of the Wealth of Nations1920Lectures on Jurisprudence19781896Lectures on Rhetoric and Belles LettresThe Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith6719761983

 3000()19192023Adam Smith's library: a catalogue2000, Oxford University Press

 2015721

思想


()

 便

 

 2015721

1962196820001972

スミス(Kiki Smith)
すみす
Kiki Smith
(1954― )


()()使

 19761979Henry Gray18251861Gray's Anatomy1858()1980COLAB19811983P.S.1MoMA P.S.1COLAB1982198419851988MoMA19901990

 使()19861987()()1990()20301001994

 Robert Gober1954 1990abjection19901990

 1990MoMA241998DC199119931992退5



Paradise Cage; Kiki Smith and Coop Himmelblau (1996, Museum of Contemporary Art, Los Angeles)Linda ShearerKiki Smith (1992, The Ohio State University Wexner Center for the Arts, Columbus)Benjamin WeilCharles Ray, Kiki Smith, Sue Williams (in Flash Art, November/December 1992, Giancarlo Politi Editore, Milano)Rebecca Howland, Christy Rupp, Kiki Smith, Cara PerlmanSigns of Life (1993, Illinois State University Galleries, Normal)Hal FosterThe Return of the Real; The Avant-Garde at the End of the Century (1996, MIT Press, Cambridge)Bridgitte Reinhardt, Ilka BeckerKiki Smith; Small Sculptures and Large Drawings (2002, Hatje Cantz Publishers, New York)

スミス(Jimmy Smith)
すみす
Jimmy Smith
(1928―2005)

アメリカのジャズ・オルガン奏者。本名ジェームズ・オスカー・スミスJames Oscar Smith。ペンシルベニア州にピアニストの両親の間に生まれる。幼児期からピアノに親しみ9歳で天才児といわれるほど上達し、アマチュアのコンテストで優勝している。海軍を除隊した1948年フィラデルフィアのハミルトン音楽学校に入学、このときはベースを学んでいる。翌49年から50年にかけ同市のオースティン音楽学校で正規にピアノを習得。52年ドラム奏者ドン・ガードナーDon Gardnerのバンドに参加。

 1953年ジャズにおけるオルガン演奏の雛型(ひながた)をつくりあげたといわれるワイルド・ビル・デービスWild Bill Davis(1918―95)の演奏に影響されオルガン奏者に転向し、ニューヨークのクラブ「スモールズ・パラダイス」や「カフェ・ボヘミア」に出演する。55年、短期間ながらテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンと共演。56年、ブルーノート・レーベルの名プロデューサー、アルフレッド・ライオンAlfred Lion(1908―87)に見込まれ、初リーダー作『ア・ニュー・サウンド・ア・ニュー・スター』を録音。57年から同レーベル専属ミュージシャンとなり以後62年までに30枚を超すアルバムを吹き込み、ブルーノート・レーベルの看板スターの地位を得た。この時期のスミスの演奏はモダン・ジャズ・ピアノの開祖バド・パウエルの影響を強く受けたスタイルで、オルガンにおけるモダン奏法を確立させた。ブルーノート時代の共演ミュージシャンには、アルト・サックス奏者のルー・ドナルドソンLou Donaldson(1926― )、同じくアルト・サックスのジャッキー・マクリーン、トランペット奏者のリー・モーガンなどがいる。

 1962年、ブルーノート・レーベルにおける最後の年に、アルバム『ミッドナイト・スペシャル』が大ヒット、『ビルボード』Billboard誌の28位(シングル69位)というジャズとしては異例の「ホット100」入りを果たした。これはジャズ専門のレコード会社、ブルーノート・レーベルにとっては初めてのことであると同時に、オルガン・ジャズの一般的認知度が飛躍的に向上した記念すべきできごとでもあった。63年からバーブ・レコードに移籍し、オーケストラとの共演作品で大衆的人気を得る。とりわけ64年に録音された『ザ・キャット』は、同年公開されたアラン・ドロン、ジェーン・フォンダ主演、監督ルネ・クレマンによるMGM映画『危険がいっぱい』(1964)の主題曲をタイトルとしていたこともあって、ジャズ・ファンを越えた幅広い人気を博し、スミスの名声を決定的なものとした。

 エレクトリック・ジャズの流れが顕著になる1970年代は、相対的にオルガン・ジャズの地位が低下したためロサンゼルスでクラブを経営し、そこで演奏すると同時に個人レーベル「MOJO」を設立。82年に至ってギター奏者、ボーカリストのジョージ・ベンソンと共演したアルバム『オフ・ザ・トップ』Off The Topでふたたびジャズ・シーンの注目を浴びた。

[後藤雅洋]


スミス(Patti Smith)
すみす
Patti Smith
(1946― )


1967

 7Seventh Heaven1972Witt1973Tom Verlaine19492023Thomas Miller19741975

 19761978Bruce Springsteen1949 1341979MC5Fred Smith194819941980退

 198691988199319961997200019979

 

20002000

スミス(ロック・グループ)
すみす
Smiths

1980年代イギリスのインディー・ロック・シーンを代表するグループ。マンチェスターに生まれ、オスカー・ワイルドとジェームズ・ディーンを敬愛する内気な青年であったモリッシーMorrissey(1959― 、ボーカル。本名スティーブン・パトリック・モリッシーSteven Patrick Morrissey)は、1960年代ポップスに影響を受けながら自身の曲を書きためる毎日を送っていた。年下のギタリスト、ジョニー・マーJohnny Marr(1963― )と出会ったモリッシーはバンドを始めることを決意し、アンディ・ロークAndy Rourke(1964―2023、ベース)、マイク・ジョイスMike Joyce(1963― 、ドラムス)とともに1982年スミスを結成する。

 グラジオラスを腰に差して踊るモリッシーの風変わりなライブ・パフォーマンスと、1960年代のギター・ロックを現代的によみがえらせたサウンドが話題をよび、スミスはインディー・レーベルのなかでは大手のラフ・トレードと契約する。1983年5月にデビュー・シングル「ハンド・イン・グローブ」がリリースされ、彼らの評判はイギリス国内に広まっていく。1984年の初めには、デビューから3枚目までのシングルが全英インディー・チャートのトップ3を独占するまでに人気が高まるなか、デビュー・アルバム『ザ・スミス』(1984)がリリースされ、彼らはパンク以降の新しいロックの旗手との評価を受けることになった。

 同年セカンド・アルバム『ハットフル・オブ・ホロウ』をリリース、続いてリリースされたサード・アルバム『ミート・イズ・マーダー』(1985)では、表題曲で菜食主義を支持し政治的な姿勢もみせ始める。その後全英ライブ・ツアーも成功するが、このころからスミスは所属レーベルであるラフ・トレードとの金銭的な問題や、ロークのドラッグ問題などのトラブルにみまわれる。そんななかリリースされた4枚目のアルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』(1986)は彼らの最高傑作とされる優れた作品であった。表題のとおりの英国王室批判も含めた政治的な姿勢と、練度を増したバンド・サウンドは、サッチャー保守政権下のイギリスの若者から絶大な支持を集めることになる。

 1986年9月、絶頂期にあったスミスはメジャー・レーベルであるEMIと契約を結ぶが、ラフ・トレードとの契約が残っていたため、翌1987年2月にシングル曲集『ザ・ワールド・ウォント・リッスン』をリリース、5月にはラフ・トレード最後のアルバムになる『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』を完成させた。しかし、モリッシーとマーの関係がもつれ、8月にマーは脱退を表明。メジャー移籍前に突然、バンドは空中分解してしまう。モリッシーも結局、9月に解散を正式に表明。同時に『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』は、スミスのラスト・アルバムとしてリリースされた。

 解散後、マーは、トーキング・ヘッズやブライアン・フェリーBryan Ferry(1945― )、ザ・ザなど、多数のアーティストのレコーディングに参加した後、いくつかのグループを経て活動を続け、モリッシーもソロ歌手として活動している。

[増田 聡]

『ジョニー・ローガン著、丸山京子訳『モリッシー&マー――茨の同盟』(1993・シンコー・ミュージック)』『ジョニー・ローガン著、丸山京子訳『グレイト・ロック・シリーズ――ザ・スミス/モリッシー&マー全曲解説』(1997・バーン・コーポレーション)』


スミス(George Pearson Smith)
すみす
George Pearson Smith
(1941― )


196319702007197519902000

 1980使DNADNA19831984Phage gene DNA1985MRC

 20072018

  2019320

スミス(Ian Douglas Smith)
すみす
Ian Douglas Smith
(1919―2007)


19481961RF19641965111970()19751976197719798919804RFRF1985CAZ1987100201988退

 

Bitter harvest2001, Blake Publishing, LondonDickson A. MungaziThe last defenders of the laager1998, Praeger Publishers, Westport,Conn.

スミス(Michael Smith)
すみす
Michael Smith
(1932―2000)


1956HDNA19681961196619701975F19581980DNA1978DNA1993K



スミス(Osborne Earl Smith)
すみす
Osborne Earl Smith
(1954― )


()使

 122619774219782581464019801319811992121982Dorrel Norman Elvert "Whitey" Herzog1931202419851987198551987319941001996退

 192573246026228793580132002殿

 

スミス(Hamilton Othanel Smith)
すみす
Hamilton Othanel Smith
(1931― )


19561962196719731981

 1970DNAHind1968DNA1978

 2018821

スミス(Sir Grafton Elliot Smith)
すみす
Sir Grafton Elliot Smith
(1871―1937)

イギリスの解剖学者、人類学者。慣用的にエリオット・スミスとよばれる。オーストラリアのグラフトン(ニュー・サウス・ウェールズ州)の教師の家に生まれた。シドニーで成長して、シドニー大学医学部を1892年に卒業した。単孔・有袋類の大・小脳、嗅脳(きゅうのう)の比較解剖学的研究が注目され、1896年にイギリスのケンブリッジ大学に招かれて、王立外科医学校の脳標本を整理するなどの業績をあげた。1900年には新設のカイロ国立医学校の初代解剖学教授に赴任した。解剖学的研究の一環として着手した古代埋葬人骨の調査から、古代エジプトの宗教・慣習、とくにミイラ作製法に強い関心をもった。1909年にマンチェスター大学の解剖学教授となってからは、リバーズ、ペリーWilliam James Perry(1868―1949)らとともに、エジプトを高度文化の単一源泉とみた退行的文化伝播(でんぱ)論を提唱した。この伝播論は人類学的・民族学的諸科学に強い衝撃を与えたものの、一時的な流行の仮説にすぎなかった。それに比べ、1919~1932年のロンドン大学解剖学教授在任中にスミスが努力した人類学的研究・教育の拡充・奨励は、ダート、ブラックDavidson Black(1884―1934)などの活躍にみられるように、この分野の発展に長期的な功績を残した。

[佐々木明 2018年11月19日]


スミス(Vernon L. Smith)
すみす
Vernon Lomax Smith
(1927― )

「実験経済学の父」とよばれるアメリカの実験経済学者。カンザス州ウィチタ生まれ。1949年にカリフォルニア工科大学で電気工学の学位をとり、1952年にカンザス大学で修士号、1955年にハーバード大学で博士号を取得。パーデュー大学、ブラウン大学、マサチューセッツ大学などを経て、1975年にアリゾナ大学教授、2001年からジョージ・メイソン大学教授を務める。経済学は実験と無縁の学問であるという通念を打破し、心理学とは異なる実験経済学独自の方法論を樹立する。2002年にD・カーネマンとともに、ノーベル経済学賞を受賞した。受賞理由は「市場メカニズムの研究において、実証実験を通じて解明する実験経済学を確立した」ことである。

 教科書通りに需要曲線と供給曲線の交点付近での取引が実験においても成立することを論証するために、買い手も売り手も価格を提示するダブルオークションの手法を開発する。また被験者に一定の謝金を支払い、実験者にとって適切な選好統制の手段としての誘導価値理論を定式化し、実験できないとされてきた経済学に実験研究の道を開いた。これは自然科学の風洞実験などと同様、社会制度の性能を事前に確認することを意味し、規制緩和した電力市場の機能や、地球温暖化にかかわる二酸化炭素の排出権取引の仕組みなどに応用されている。

[金子邦彦]


スミス(Edward Elmer Smith)
すみす
Edward Elmer Smith
(1890―1965)

アメリカのSF作家。文学博士の学位をもつので通称ドク・スミスともよばれる。処女作『宇宙のスカイラーク』を1928年に発表して大好評を博し、続編を次々に発表して全四巻のシリーズとなった。この作品の主人公リチャード・シートンによって、それまで銀河系内に限定されていたSFの舞台は、初めて他の島宇宙にまで拡大された。この第一作の発表当時はちょうどアメリカのパルプ・マガジンの全盛期にあたり、大科学者の主人公が同時にアクション・ヒーローの役割を演じるという初期のスペース・オペラの典型を確立して、その後の冒険SFの発展に決定的な影響を与えた。『スカイラーク』の後を受けて時間的にも空間的にも思想的にもその規範を拡大した傑作が次のレンズマン・シリーズで、第一巻『銀河パトロール隊』(1937)から第七巻『渦動破壊者』まで10年がかりで完成したスペース・オペラの記念碑である。この両シリーズの成果によってスミスは現在スペース・オペラの父とよばれている。ほかに独立した作品として、『惑星連合の戦士』(1947)、『大宇宙の探究者』(1965)などがある。

[厚木 淳]


スミス(George E. Smith)
すみす
George E. Smith
(1930― )


VLSIVery Large Scale Integration2009CCDCharge Coupled Device

 1969使



スミス(William Smith)
すみす
William Smith
(1769―1839)


1815



スミス(Sir Francis Pettit Smith)
すみす
Sir Francis Pettit Smith
(1808―1874)


183618391850

 

スミス(William Eugene Smith)
すみす
William Eugene Smith
(1918―1978)

アメリカの報道写真家。ヒューマニズムに立脚した人間味あふれる数多くのドキュメント、ルポルタージュを残した。カンザス州に生まれ、大学卒業と同時にフリー写真家として通信社と契約し『ライフ』をはじめとする雑誌の仕事に従事、1938年『ライフ』誌の専属となる。第二次世界大戦中は従軍し、戦後は写真通信社「マグナム・フォトス」のメンバーとして活躍し、フォト・エッセイという形式で立体的かつ叙事的な写真表現を確立し、フォト・ジャーナリズムに新風を吹き込んだ。代表作に『スペインの村』(1951)、『ピッツバーグ』(1955~58)などがある。晩年、日本の水俣(みなまた)病問題に強い関心を寄せ、71年来日して現地に居を移し、公害被害者のドキュメントに全身で打ち込み、現代社会における産業と人間の軋轢(あつれき)を鋭く告発、写真集『水俣』(1973)を出版。水俣病公害訴訟を取材中に被告側警備員に暴行を受け失明し、本国で没した。

[平木 収]

『『写真集 水俣』普及版(1982・三一書房)』


スミス(Theobald Smith)
すみす
Theobald Smith
(1859―1934)


1885188618951915189619151929170Daniel Elmer Salmon18501914()1934宿

 

スミス(Joseph Smith)
すみす
Joseph Smith
(1805―1844)

アメリカの末日聖徒キリスト教会(モルモン教)の創唱者。スミス一家は、ニュー・イングランドからニューヨークへの移民で、生活は貧しかった。1820年代、宗教上の興奮がニューヨークを襲い、その雰囲気のなかで、スミスは天使モロニイから金の板金を授かったとして、それを翻訳、30年モルモン経として世に示し、同年、末日聖徒キリスト教会を創設した。その後、教会はニューヨーク、オハイオ、ミズーリ、イリノイと移動。彼は、44年には合衆国の大統領候補になると宣言するほど政治的に権力をもった。彼の影響力の強大さに加えて、一夫多妻制の実践は人々の脅威となり、それが非難へと変わった。彼と弟は暴徒に捕らえられ、44年6月27日殺された。

[野村文子]

『ジョゼフ・F・スミス著『モルモン経』(1976・末日聖徒イエス・キリスト教会出版局)』


スミス(John Smith)
すみす
John Smith
(1579/80―1631)

イギリスの探検家、植民地開拓者。ヨーロッパ大陸でオスマン・トルコ軍と戦って捕虜となり脱走した経験をもつ。1607年、ロンドン・バージニア会社の移住者とともに、最初の恒久的植民地となったバージニアに到着し、ジェームズタウンを建設。探検中にインディアンの捕虜となり、首長(しゅちょう)の娘ポカホンタスの哀訴で助けられた話は有名である。08~09年植民地知事に選出されたが、内部抗争に巻き込まれ、死刑を宣告されたこともあった。許されて帰国したのち、ニュー・イングランド海岸の探検を行った。『バージニア・ニューイングランド・サマー諸島の歴史』(1624)のほか、新植民地の紹介に関する著書が多い。

[池本幸三]


スミス(David Smith)
すみす
David Smith
(1908―1965)

アメリカの彫刻家。インディアナ州ディケーターに生まれる。オハイオ大学、アート・スチューデンツ・リーグなどで学ぶ。最初は絵画を制作したが、1930年ころピカソとゴンザレスの影響から絵画にさまざまな物体を使用するようになり、彫刻に転じた。33年からは鉄の溶接を用いた彫刻を始め、60年代には確固とした独自の抽象的作風に到達している。構成主義の影響から簡素で頑強な空間構成による抽象彫刻を発展させたが、65年バーモント州ベニントンで没した。

[石崎浩一郎]


スミス(Bessie Smith)
すみす
Bessie Smith
(1894―1937)

アメリカのブルース歌手。テネシー州生まれ。少女時代に「ブルースの母」とよばれるマ・レイニーに認められ、教えを受けて世に出た。堂々たる声の持ち主で、その歌唱は素朴だが心を打つ説得力があり、気品を感じさせる。1923年からレコードでも活躍し、10年間に160曲を録音。北部のジャズメンにブルースの精神を伝え多大の影響を及ぼし、いまも「ブルースの皇后」と称されている。

[青木 啓]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スミス」の意味・わかりやすい解説

スミス
Smith, George P.

 
[]1941.3.10. 
P.19701975199020151985使調2018P.  
 


Smith, Joseph

 
[]1805.12.23. 
[]1844.6.27. 
 The Book of Mormon1830183046 Church of Jesus Christ of Latter Day Saints8504A Book of Commandments for the Government of the Church of Christ1833Doctrine and Covenants of the Church Latter Day Saints1835  
 


Smith, Ian

 
[]1919.4.8. 
[]2007.11.20. 
 Ian Douglas Smith194819611964419651119703 1977919783調197961T.19802 ZANU-PF1987(  
 


Smith, Maggie

 
[]1934.12.28. 
 Dame Margaret Natalie Smith195219551956 "Share My Lettuce"1957581958 "Nowhere to Go"19631964Othello1965The Prime of Miss Jean Brodie19691970退California Suite19781990  
 


Smith, John

 
[]1580.
[]1631.6. 
16041607316091614"A Description of New England"1616"The True TravelsAdventuresand Observations of Captaine John Smith in EuropeAsiaAfrica and America"1630  
 


Smith, Adam

 
[]1723.6.5. ︿
[]1790.7.17. 
133An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations17761019The Theory of Moral Sentiments1759  
 


Smith, Jimmy

 
[]1928.12.8. 
[]2005.2.8. 
 James Oscar Smith194850B.1955Bashin'1962  
 


Smith, Michael

 
[]1932.4.26. 
[]2000.10.4. 
19561964196619871970 DNA1993  

スミス
Smith, Hamilton O.

[生]1931.8.23. ニューヨーク
ハミルトン・O.スミス。アメリカ合衆国の微生物学者。フルネーム Hamilton Othanel Smith。1952年にカリフォルニア大学バークリー校卒業後,ジョンズ・ホプキンズ大学で学び,1956年医学部の学位を取得。1962年ミシガン大学微生物遺伝学研究員,1964年研究助教授となる。1967年ジョンズ・ホプキンズ大学医学部助教授,1973年教授に就任。1967年以降 P22ファージウイルスから DNAを取り出すためヘモフィルス・インフルエンザ菌の研究を始め,1970年 Hind2と呼ばれる 2型制限酵素を発見した。これは DNAを特定の場所で切断する能力をもった制限酵素で,分子遺伝学の研究手段として非常に有用なものであった。さらには細菌から制限酵素を抽出・精製する方法も確立し,1978年ウェルナー・アルバー,ダニエル・ネイサンズとノーベル生理学・医学賞を共同受賞。
 


Smith, Theobald

 
[]1859.7.31. 
[]1934.12.10. 
189619151884 D.18851889189318951898  
 


Smith, William

 
[]1769.3.23. 
[]1839.8.28. 
17991815151831181619  

スミス
Smith, William Robertson

[生]1846.11.8. アバディーン近郊キー
[没]1894.3.31. ケンブリッジ
ウィリアム・ロバートソン・スミス。イギリス,スコットランドの自由教会派牧師。セム学者,旧約聖書学者,百科事典編集者。旧約聖書の高等批評,聖書問題,ヘブライ語とその文学などについて『ブリタニカ百科事典』に数次寄稿,名声を博したが,その学説のため教会から聖務停止の処分を受けた。1881年6月から『ブリタニカ百科事典』編集者,次いで編集長を務める。主著『ユダヤ教会における旧約聖書』The Old Testament in the Jewish Church(1881),『イスラエルの預言者』The Prophets of Israel(1882),『古代アラビアにおける血縁と結婚』Kinship and Marriage in Early Arabia(1885),『セム族の宗教』Lectures on the Religion of the Semites(1889)。
 


Smith, Sir Harry, Baronet

 
[]1787.6.28. 
[]1860.10.12. 
 Sir Harry George Wakelyn, Baronet Smith118281834351840184511846.1.28.18471852  

スミス
Smith, Vernon L.

[生]1927.1.1. カンザス,ウィチタ
バーノン・L.スミス。アメリカ合衆国の経済学者。1949年カリフォルニア工科大学を卒業後,経済学に転向し,1951年カンザス大学で修士,1955年ハーバード大学で博士号を取得。1955年からインディアナ州のパーデュー大学,ロードアイランド州のブラウン大学,マサチューセッツ大学,カリフォルニア工科大学などで教鞭をとりながら研究を続けた。1988年アリゾナ大学の経済学名誉教授,2001年ジョージメイソン大学の経済学および法学教授に就任。アメリカ,オーストラリア,ニュージーランドにおけるエネルギーの規制緩和に関する研究が主で,資本理論やファイナンスから天然資源経済学や実験経済学にいたる幅広いテーマの著書がある。2002年,市場メカニズム研究において経験的経済を分析するための実験的な手法を確立し,実験経済学という新しい分野を開拓した功績によりノーベル経済学賞を受賞した。
 


Smith, George E.

 
[]1930.5.10. 
E. George Elwood Smith1959 1959 19862009 CCD  
 


Smith, David

 
[]1906.3.9. 
[]1965.5.23. 
 David Roland Smith19336193819601965  
 


Smith, Oliver

 
[]1918.2.13. 
[]1994.1.23. 
193919411956195719597 194580199092  
 


Smith, W. Eugene

 
[]1918.12.20. 
[]1978.10.15. 
W. William Eugene Smith1419194219455194819511955退1961  
 


Smith, Al

 
[]1873.12.30. 
[]1944.10.4. 
 Alfred Emanuel Smith1903151913191920192328419281932 1928  
 


Smith, A. J. M.

 
[]1902.11.8. 
[]1980.11.21. 
A.J.M. Arthur James Marshall Smith 1925McGill Fortnightly Review1920 "The Book of Canadian Poetry" (1943)   
 


Smith, George

 
[]1840.3.26. 
[]1876.8.19. 
18671872  

スミス
Smith, Grafton Elliot

[生]1871.8.5. グラフトン
[没]1937.1.1. プリムローズ
グラフトン・エリオット・スミス。イギリスの解剖学者,人類学者。マンチェスター大学教授。文明のエジプト起源説で知られた。彼は古代エジプトの墳墓の人骨の研究に端を発して,ミイラの製作,巨石建造物,太陽信仰などを特徴とする古代エジプトの文化が,一元的に発生して世界各地に広まり,諸文明のもとになったと考えた。著書『文明の起源』In the Beginning; The Origin of Civilization(1932)は,考古学者 W.ペリーの『日の御子』(1923)とともに極端な伝播主義で知られる(→伝播論)。
 


Smith, Logan Pearsall

 
[]1865.10.18. 
[]1946.3.2. 
1913Trivia1902More Trivia1921Society for Pure EnglishThe Unforgotten Years1938  

スミス
Smyth, John

[生]1554頃
[没]1612. アムステルダム
ジョン・スミス。イギリスのバプテスト派の創始者。スミスは Smithとも表記する。ケンブリッジ大学に学び,イギリス国教会の牧師となったが,1606年離脱。1608年ヘルウィスらと分離派の一団を率いてアムステルダムへ亡命,バプテスト教会を設立。1611年スミスと分かれた同志はイギリスに帰り,「一般バプテスト派」の祖となる。アルミニウス主義(→アルミニウス派)に立ち,のちメノー派に接近。そのため晩年は孤立した。主著『真の祈りの型』A pattern of True Prayer(1605)。

スミス
Smith, Sir George Adam

[生]1856.10.19. インド,カルカッタ
[没]1942.3.3. イギリス,バラーノ
ジョージ・アダム・スミス。スコットランドの牧師,セム学者。旧約聖書の研究家,説教者として知られた。エディンバラに学ぶ。アバディーンで牧会(1882)。グラスゴーのユナイテッド・フリー・チャーチ大学で旧約聖書学教授(1892)。1899年アバディーン大学学長に就任。1916年ナイト爵を受ける。主著『聖地の歴史地理』Historical Geography of the Holy Land(1894),『12人の預言者たち』The Twelve Prophets(2巻,1896~97)。
 


Smith, Gerard C.

 
[]1914.5.4. 
[]1994.7.4. 
C. Gerard Coad Smith1939501950541954571957611969196972 SALT1977使  

スミス
Smith, Sir Francis Pettit

[生]1808.2.9. ケント,ヒース近郊
[没]1874.2.12. サウスケンジントン
フランシス・ペティット・スミス。イギリスの発明家。船のスクリュープロペラの改良,普及に大きな役割を果たした。少年時代から船の推進機に興味をもち,1835年スクリュープロペラの実験に成功してからは,生涯スクリューの改良に努めた。1839年スクリュープロペラをつけた航洋船『アルキメデス』号(240t)を製作,推進機としてのスクリューの優秀性を立証した。その後,特に軍艦のスクリュー装備に力を注ぎ,1871年ナイトの称号を贈られた。
 


Smith, Jedediah

 
[]1798.6.24. 
[]1831.5.27. 
 Jedediah Strong Smith1826 1828沿1829  

スミス
Smith, Seba

[生]1792.9.14. メーン,バックフィールド
[没]1868.7.28. ニューヨーク,パチョーグ
シーバ・スミス。アメリカ合衆国のジャーナリスト,風刺作家,編集者。典型的ヤンキー,ダウニング少佐の筆になると称する一連のユーモラスな時事風刺的手紙で人気を博した。代表作は『ダウニングビルのジャック・ダウニング少佐の生活と著作』The Life and Writings of Major Jack Downing of Downingville(1833)。
 


Smith, John Raphael

 
[]1752. 
[]1812.3.2. 
 300  
 


Smith, Francis Hopkinson

 
[]1838.10.23. 
[]1915.4.7. 
50Colonel Carter of Cartersville1891  
 


Smith, Sydney

 
[]1771.6.3. 
[]1845.2.22. 
1802Letters of Peter Plymley1807  
 


Smith, James

 
[]1719?
[]1806.7.11. 
西177678  

スミス
Smith, Bessie

[生]1895.4.15. テネシー,チャタヌーガ
[没]1937.9.26. ミシシッピ,クラークスデール
ベッシー・スミス。アメリカ合衆国の黒人ブルース歌手。フルネーム Elizabeth Smith。1920年代中期には「ブルースの女王」として人気の頂点にあったが,1937年地方巡業中に事故死。1970年代に入ってレコードが再び脚光を浴びた。

スミス
Smith, Vincent Arthur

[生]1848
[没]1920
ビンセント・アーサー・スミス。イギリスのインド学者。インド史の専門家。『インド古代史』The Early History of India(1904)などの著書がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android