ニューヨーク New York
目次 経済,交通 歴史 都市問題 文化
ア メ リ カ 合 衆 国 の 最 大 都 市 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 の 南 東 端 , ハ ド ソ ン 川 河 口 の 大 西 洋 岸 に 位 置 す る 。 面 積 7 8 0 k m 2 , 人 口 8 1 4 万 3 1 9 7 ︵ 2 0 0 5 ︶ 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 南 部 , ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー 州 北 東 部 に ま た が る 大 都 市 域 の 人 口 は 8 5 5 万 ︵ 1 9 9 2 ︶ 。 ボ ス ト ン か ら ワ シ ン ト ン D . C . に 至 る ア メ リ カ ・ メ ガ ロ ポ リ ス の 中 核 都 市 で あ る と と も に , 合 衆 国 は も と よ り 世 界 経 済 の 中 枢 で あ り , 国 際 連 合 の 本 部 所 在 地 で も あ る 。 世 界 有 数 の 港 湾 施 設 を も ち , 航 空 ・ 陸 上 交 通 の 拠 点 で あ る 。 ま た , 第 2 次 大 戦 後 は パ リ に 代 わ っ て 世 界 の 最 も 重 要 な 芸 術 の 中 心 地 に も な っ て い る 。 名 称 の 由 来 は 明 ら か で は な い が , ︿ ビ ッ グ ・ ア ッ プ ル B i g A p p l e ﹀ の 愛 称 を も つ 。
ニ ュ ー ヨ ー ク は い く つ か の 恵 ま れ た 自 然 条 件 を 有 し て い る 。 合 衆 国 北 東 部 の 大 西 洋 岸 は お お む ね 港 に 適 し た 自 然 条 件 を 備 え て い る が , ニ ュ ー ヨ ー ク の 港 湾 機 能 は と く に 優 れ て い る 。 ボ ス ト ン な ど ニ ュ ー イ ン グ ラ ン ド の 港 湾 が 内 陸 部 に 通 じ る 河 川 を 欠 く の に 対 し , ニ ュ ー ヨ ー ク は 可 航 河 川 で あ る ハ ド ソ ン 川 を 擁 し , か つ ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 は 一 年 を 通 じ て 大 型 船 の 航 行 が 可 能 で あ る 。 加 え て ス タ テ ン 島 と ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド が 湾 の 自 然 堤 防 の 役 割 を 果 た し , ア ッ パ ー ・ ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 と い う 停 船 に 適 し た 水 域 を も つ 。 位 置 的 に も 大 西 洋 岸 に お い て , 歴 史 的 に 工 業 化 の 先 進 地 域 で あ っ た ニ ュ ー イ ン グ ラ ン ド と 農 業 プ ラ ン テ ー シ ョ ン が 展 開 し た 南 部 と の ほ ぼ 中 間 に 位 置 し , さ ら に エ リ ー 運 河 に よ っ て 中 西 部 五 大 湖 地 方 と も 結 ば れ た 。 対 外 的 に も , 北 大 西 洋 航 路 の 要 衝 で , 貿 易 , 移 民 受 入 れ の 中 心 で あ っ た 。 ま た , ニ ュ ー ヨ ー ク の 中 心 で あ る マ ン ハ ッ タ ン 島 は 地 質 的 に 硬 い 岩 盤 か ら 成 る た め , 高 層 建 築 ︵ ス カ イ ス ク レ ー パ ー ︶ の 集 中 を 可 能 と し た 。 こ う し た 自 然 条 件 が 歴 史 的 条 件 と あ い ま っ て , ニ ュ ー ヨ ー ク 発 展 の 基 盤 を 築 い た と い え よ う 。
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は マ ン ハ ッ タ ン M a n h a t t a n , ブ ル ッ ク リ ン B r o o k l y n , ク イ ー ン ズ Q u e e n s , ブ ロ ン ク ス B r o n x , ス タ テ ン 島 S t a t e n I s l a n d の 5 自 治 区 か ら 成 る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 政 治 , 経 済 , 文 化 の 中 心 を な す マ ン ハ ッ タ ン ︵ 人 口 約 1 5 0 万 ︶ は , 南 か ら ダ ウ ン タ ウ ン , ミ ッ ド タ ウ ン , ア ッ プ タ ウ ン の 三 つ に 大 別 さ れ る 。 ダ ウ ン タ ウ ン は 14 丁 目 以 南 の , ニ ュ ー ヨ ー ク で は 最 も 歴 史 が 古 い 地 域 で , 道 路 は 複 雑 に 入 り 組 ん で い る 。 一 方 , セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク の 南 辺 で 分 か た れ る ミ ッ ド タ ウ ン と ア ッ プ タ ウ ン で は , 道 路 は 碁 盤 目 状 に 走 っ て い る 。 ア ベ ニ ュ ー と 呼 ば れ る 大 通 り が 島 の 基 線 ︵ ほ ぼ 南 北 ︶ 方 向 に , 比 較 的 狭 い ス ト リ ー ト が そ れ と 垂 直 に 交 わ る 。 お お む ね ア ベ ニ ュ ー は 東 か ら , ス ト リ ー ト は 南 か ら 順 番 に 番 号 を 付 さ れ て い る 。 マ ン ハ ッ タ ン を 斜 め に 縦 断 す る の が ブ ロ ー ド ウ ェ ー で あ る 。 ダ ウ ン タ ウ ン に は , ウ ォ ー ル 街 を 中 心 と す る 金 融 街 や 世 界 第 3 の 高 さ の 世 界 貿 易 セ ン タ ー ︵ 1 1 0 階 , 高 さ が 北 棟 4 1 7 m , 南 棟 4 1 5 m の 双 子 ビ ル ︶ の ほ か に , チ ャ イ ナ タ ウ ン , リ ト ル ・ イ タ リ ー , ロ ワ ー ・ イ ー ス ト ・ サ イ ド な ど の 居 住 区 が あ る 。 な お 世 界 貿 易 セ ン タ ー は , 2 0 0 1 年 9 月 11 日 テ ロ リ ス ト の ハ イ ジ ャ ッ ク 機 に 激 突 さ れ て 崩 壊 , 約 3 0 0 0 人 の 犠 牲 者 を 出 し た 。 芸 術 家 , 作 家 が 住 み ボ ヘ ミ ア ン 的 雰 囲 気 で 長 い 間 知 ら れ た グ リ ニ チ ・ ビ レ ッ ジ も ダ ウ ン タ ウ ン に 含 ま れ る 。 ミ ッ ド タ ウ ン は 商 業 活 動 が 活 発 な 地 域 で , 約 40 年 間 に わ た っ て 世 界 一 の 高 さ を 誇 っ た エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ・ ビ ル ︵ 1 0 2 階 , 3 8 1 m ︶ の 西 方 に は デ パ ー ト 街 や 衣 服 産 業 地 区 が , ま た 目 抜 き 通 り の 五 番 街 に は 高 級 商 店 街 が 続 く 。 五 番 街 と 六 番 街 の 間 の 47 丁 目 一 帯 は , ユ ダ ヤ 人 が 経 営 す る 宝 石 店 が 集 中 し て お り , ア メ リ カ の 貴 金 属 取 引 の 大 半 を 扱 っ て い る 。 ミ ッ ド タ ウ ン に は ま た , グ ラ ン ド ・ セ ン ト ラ ル と ペ ン シ ル ベ ニ ア の 2 タ ー ミ ナ ル 駅 が 位 置 し , 都 市 交 通 の 中 心 で も あ る 。 北 寄 り に は ニ ュ ー ヨ ー ク 近 代 美 術 館 や ︿ 都 市 の 中 の 都 市 ﹀ ロ ッ ク フ ェ ラ ー ・ セ ン タ ー の 摩 天 楼 が そ び え る 。 七 番 街 と ブ ロ ー ド ウ ェ ー が 交 差 す る タ イ ム ズ ・ ス ク エ ア は ブ ロ ー ド ウ ェ ー ・ ミ ュ ー ジ カ ル の 中 心 で , 映 画 館 や 世 界 各 地 の 料 理 店 も 集 中 し て い る 。 ア ッ プ タ ウ ン は セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク に よ っ て 東 西 に 分 け ら れ る が , 芸 術 関 係 の 施 設 が 多 い 。 セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク ︵ 面 積 3 . 4 k m 2 ︶ の 森 林 や 庭 園 は マ ン ハ ッ タ ン で は 貴 重 な 自 然 を 提 供 し て お り , 公 園 内 に は デ ラ コ ー テ 劇 場 , 野 外 音 楽 堂 , 動 物 園 , 各 種 ス ポ ー ツ 施 設 が 設 け ら れ て い る 。 公 園 の 東 側 に は 五 番 街 に 面 し て グ ッ ゲ ン ハ イ ム 美 術 館 , メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 , フ リ ッ ク 美 術 館 な ど が , 西 側 に は ア メ リ カ 自 然 史 博 物 館 と リ ン カ ン ・ セ ン タ ー が あ る 。 リ ン カ ン ・ セ ン タ ー に は , メ ト ロ ポ リ タ ン ・ オ ペ ラ ・ ハ ウ ス , ニ ュ ー ヨ ー ク ・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー 管 弦 楽 団 の 本 拠 エ ー ベ リ ー ・ フ ィ ッ シ ャ ー ・ ホ ー ル , ニ ュ ー ヨ ー ク ・ シ テ ィ ・ バ レ エ 団 と ニ ュ ー ヨ ー ク ・ シ テ ィ ・ オ ペ ラ が シ ー ズ ン を 交 替 し て 公 演 す る ニ ュ ー ヨ ー ク 州 立 劇 場 , ジ ュ リ ア ー ド 音 楽 学 校 が 含 ま れ る 。 セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク の 周 辺 に は 超 高 級 ア パ ー ト が 林 立 し て い る 。 マ ン ハ ッ タ ン の 最 北 部 に は 黒 人 居 住 区 ハ ー レ ム と プ エ ル ト ・ リ コ 人 居 住 区 イ ー ス ト ・ ハ ー レ ム ︵ ス パ ニ ッ シ ュ ・ ハ ー レ ム ︶ が 広 が っ て い る 。
イ ー ス ト 川 を 隔 て て マ ン ハ ッ タ ン の 東 側 の ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド に は , ブ ル ッ ク リ ン ︵ 人 口 約 2 2 9 万 ︶ と ク イ ー ン ズ ︵ 人 口 約 1 9 5 万 ︶ の 2 区 が あ る 。 ブ ル ッ ク リ ン は ニ ュ ー ヨ ー ク 5 区 の う ち 最 も 人 口 が 多 く , 河 岸 , 湾 岸 に は 大 規 模 な 港 湾 施 設 を 有 し , 衣 服 産 業 も 盛 ん で あ る 。 ク イ ー ン ズ は 面 積 が 最 も 大 き い 区 で , そ の 北 部 に は ラ ・ ガ ー デ ィ ア 空 港 , 南 部 に は J . F . ケ ネ デ ィ 国 際 空 港 と い う ニ ュ ー ヨ ー ク の 二 大 空 港 が 位 置 す る 。 ほ か に 区 と し て は , マ ン ハ ッ タ ン の 北 側 の 大 陸 部 に ブ ロ ン ク ス ︵ 人 口 約 1 2 0 万 ︶ , ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 内 に ス タ テ ン 島 ︵ 人 口 約 38 万 ︶ が あ る 。
経 済 , 交 通
通 商 都 市 と し て 発 展 し た ニ ュ ー ヨ ー ク に お い て , 貿 易 業 と く に 港 湾 に よ る そ れ は 今 日 で も 重 要 な 産 業 で あ る 。 1 9 2 1 年 に 設 立 さ れ た ニ ュ ー ヨ ー ク ・ ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー 港 湾 公 団 が お も に 港 湾 業 務 を 管 理 し て い る 。 ハ ド ソ ン 川 に 面 し た マ ン ハ ッ タ ン 西 岸 に 連 な る 桟 橋 が そ の 中 心 で あ っ た が , コ ン テ ナ ー 輸 送 へ の 対 応 の 遅 れ , ニ ュ ー ヨ ー ク を 経 由 し な い セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス 水 路 ︵ 1 9 5 9 開 通 ︶ を 利 用 し た 五 大 湖 地 方 へ の ル ー ト の 発 展 に よ り , ニ ュ ー ヨ ー ク の 港 湾 機 能 は 相 対 的 に 低 下 し た 。 し か し , ブ ル ッ ク リ ン や ス タ テ ン 島 の 桟 橋 は コ ン テ ナ ー 輸 送 の 施 設 を 有 し て お り , ニ ュ ー ヨ ー ク は コ ン テ ナ ー に よ る 合 衆 国 総 輸 出 入 量 ︵ 重 量 ︶ の 約 2 0 % ︵ 1 9 8 1 ︶ を 占 め , 依 然 と し て 全 米 一 の 港 湾 で あ る 。 港 湾 公 団 が 所 有 す る 世 界 貿 易 セ ン タ ー は 文 字 ど お り 貿 易 業 の 中 枢 で あ る が , こ の セ ン タ ー が 位 置 す る マ ン ハ ッ タ ン 南 部 に は ウ ォ ー ル 街 を 中 心 と す る 金 融 街 ︵ ニ ュ ー ヨ ー ク 金 融 市 場 ︶ が あ る 。 世 界 最 大 規 模 の ニ ュ ー ヨ ー ク 株 式 取 引 所 を は じ め 国 際 的 な 金 融 機 関 や 商 品 取 引 所 が 集 中 し て お り , ア メ リ カ は も と よ り 世 界 の 金 融 ・ 資 本 市 場 の 中 心 で あ る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク は ま た , 全 米 最 大 の 卸 売 業 の 中 心 地 で あ り , 小 売 業 も 発 達 し て い る 。 製 造 業 に お い て は , 既 製 服 や 印 刷 , 出 版 な ど の 消 費 地 立 地 型 の も の が 中 心 で あ る 。 既 製 服 産 業 で は マ ン ハ ッ タ ン の タ イ ム ズ ・ ス ク エ ア の 南 西 , ガ ー メ ン ト ・ セ ン タ ー が 有 名 だ が , こ の 産 業 の 中 心 は ブ ル ッ ク リ ン に 移 っ て い る 。 ガ ー メ ン ト ・ セ ン タ ー の 七 番 街 に は デ ザ イ ナ ー の 仕 事 場 が 集 中 し て お り , ニ ュ ー ヨ ー ク ・ フ ァ ッ シ ョ ン の 中 枢 で も あ る 。 マ ス コ ミ の 分 野 で は , テ レ ビ の 三 大 ネ ッ ト ワ ー ク ︵ C B S , A B C , N B C ︶ を は じ め AP な ど の 通 信 社 も 本 拠 を 構 え て お り , 出 版 業 と あ い ま っ て ニ ュ ー ヨ ー ク を ア メ リ カ の マ ス コ ミ の 中 心 た ら し め て い る 。 代 表 的 な 新 聞 ・ 雑 誌 に は ︽ ニ ュ ー ヨ ー ク ・ タ イ ム ズ ︾ ︽ ニ ュ ー ヨ ー カ ー ︾ ︽ ネ ー シ ョ ン ︾ ︵ 1 8 6 5 創 刊 ︶ な ど が あ る 。 前 衛 的 ボ ヘ ミ ア ン の ス ポ ー ク ス マ ン と し て ユ ニ ー ク な 役 割 を 果 た し て き た ︽ ビ レ ッ ジ ・ ボ イ ス ︾ や , 人 種 , 民 族 の る つ ぼ を 反 映 し て 各 国 語 の 新 聞 ・ 雑 誌 も 多 数 発 行 さ れ て い る 。
ニ ュ ー ヨ ー ク は ア メ リ カ の 都 市 と し て は 例 外 的 に 鉄 道 依 存 率 が 高 い 。 マ ン ハ ッ タ ン の グ ラ ン ド ・ セ ン ト ラ ル 駅 と ペ ン シ ル ベ ニ ア 駅 を 中 心 に 市 内 を 網 の 目 の よ う に 地 下 鉄 が 走 り , 郊 外 電 車 も 各 方 面 に 延 び , ボ ス ト ン や ワ シ ン ト ン D . C . な ど と は ア ム ト ラ ッ ク で 結 ば れ て い る 。 郊 外 に あ る 自 宅 と 最 寄 り 駅 と の 間 は 自 家 用 車 を 利 用 し , そ こ か ら 鉄 道 で 都 市 部 へ 通 勤 す る パ ー ク ・ ア ン ド ・ ラ イ ド 方 式 も 盛 ん で あ る 。 バ ス 路 線 も よ く 発 達 し て お り , ニ ュ ー ヨ ー ク の 公 共 輸 送 機 関 の 利 用 率 は 全 米 一 で あ る 。 市 内 に 居 住 す る 勤 労 者 の 約 5 6 % ︵ 1 9 8 0 ︶ が 通 勤 に 利 用 し て お り , 自 動 車 の 普 及 と と も に 発 展 し た ロ サ ン ゼ ル ス ︵ 約 1 1 % ︶ と は 好 対 照 で あ る 。 し か し 郊 外 に お い て は 自 家 用 車 が 主 た る 交 通 手 段 で , 大 規 模 な 駐 車 場 を も つ シ ョ ッ ピ ン グ ・ セ ン タ ー が 各 地 に 見 ら れ , マ ン ハ ッ タ ン と は 趣 を 異 に す る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク は 川 や 湾 に よ っ て 市 内 が 分 断 さ れ 交 通 上 の 障 害 で あ っ た が , 1 8 8 3 年 に 完 成 し た ブ ル ッ ク リ ン 橋 を は じ め , ジ ョ ー ジ ・ ワ シ ン ト ン 橋 ︵ 1 9 3 1 完 成 ︶ , 自 動 車 専 用 の ホ ラ ン ド ・ ト ン ネ ル ︵ 1 9 2 7 開 通 ︶ な ど の 橋 や ト ン ネ ル に よ っ て , マ ン ハ ッ タ ン を 中 心 に 他 区 や ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー 州 と 結 ば れ て い る 。 ま た , J . F . ケ ネ デ ィ 国 際 空 港 ︵ 1 9 4 8 開 港 ︶ を は じ め と す る 多 数 の 空 港 や ヘ リ ポ ー ト の 存 在 は , ニ ュ ー ヨ ー ク を 内 外 航 空 の 拠 点 た ら し め て い る 。
歴 史
1 5 2 4 年 , ヨ ー ロ ッ パ 人 と し て 初 め て マ ン ハ ッ タ ン 島 を 発 見 し た の は , 現 在 ベ ラ ザ ノ ・ ナ ロ ー ズ 橋 に そ の 名 を と ど め る イ タ リ ア 人 航 海 者 G . d a ベ ラ ツ ァ ー ノ で あ っ た と い わ れ る 。 1 6 0 9 年 に は オ ラ ン ダ に 雇 わ れ た イ ギ リ ス 人 H . ハ ド ソ ン が 現 ハ ド ソ ン 川 を 遡 航 , オ ラ ン ダ は 20 年 代 か ら 植 民 に 乗 り 出 し , 26 年 に は マ ナ ハ ッ タ ︵ マ ン ハ ッ タ ン の 語 源 ︶ ・ イ ン デ ィ ア ン に 60 ギ ル ダ ー ︵ 約 24 ド ル ︶ 相 当 の 品 物 を 渡 し て 島 を 手 に 入 れ , ニ ュ ー ネ ー デ ル ラ ン ト 植 民 地 の 主 都 ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム と し た 。 53 年 , 島 の 南 部 に イ ン デ ィ ア ン や イ ギ リ ス 人 の 侵 入 を 防 ぐ た め に 城 壁 ︵ ウ ォ ー ル ︶ が 築 か れ た 。 数 年 後 , 壊 れ た 城 壁 の あ と に 造 ら れ た 通 り が , 現 在 金 融 街 と し て 有 名 な ウ ォ ー ル 街 で あ る 。 そ の 後 , 英 蘭 戦 争 に 際 し て ニ ュ ー ネ ー デ ル ラ ン ト は 64 年 に イ ギ リ ス に 占 領 さ れ , 時 の イ ギ リ ス 国 王 の 弟 ヨ ー ク 公 ︵ の ち の ジ ェ ー ム ズ 2 世 ︶ に ち な ん で ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム は ニ ュ ー ヨ ー ク と 改 名 さ れ た 。
植 民 地 時 代 の ニ ュ ー ヨ ー ク は ボ ス ト ン や フ ィ ラ デ ル フ ィ ア よ り は 小 さ な 町 で あ っ た が , 恵 ま れ た 地 理 的 条 件 を 生 か し て 港 湾 都 市 と し て 発 展 し た 。 ア メ リ カ が 独 立 を 達 成 し た と き に は , そ の 最 初 の 首 都 ︵ 1 7 8 4 - 9 0 ︶ に 選 ば れ る ま で に 成 長 し , 18 世 紀 末 に は 貿 易 量 に お い て ボ ス ト ン や フ ィ ラ デ ル フ ィ ア を 抜 く に 至 っ た 。 さ ら に 1 8 2 5 年 , エ リ ー 運 河 の 完 成 に よ っ て ハ ド ソ ン 川 経 由 で 五 大 湖 周 辺 の 中 西 部 と も 結 ば れ , 19 世 紀 前 半 , ニ ュ ー ヨ ー ク は 貿 易 と と も に 金 融 , 商 業 の 中 心 地 と し て の 地 位 を 不 動 の も の と し た 。 移 民 の 受 入 れ 港 で も あ っ た ニ ュ ー ヨ ー ク で は , 40 ~ 50 年 代 か ら ア イ ル ラ ン ド 系 , ド イ ツ 系 移 民 が 急 増 し , 人 口 も 60 年 に は 1 8 4 0 年 の 2 . 6 倍 の 81 万 に 達 し た が , 一 方 で は ノ ー ・ ナ ッ シ ン グ 党 結 成 な ど カ ト リ ッ ク 系 移 民 の 受 入 れ に 反 対 す る 動 き も あ っ た 。 19 世 紀 前 半 の ニ ュ ー ヨ ー ク で , の ち の 都 市 形 成 上 重 要 な 決 定 が 二 つ な さ れ た 。 マ ン ハ ッ タ ン の 現 ミ ッ ド タ ウ ン 以 北 に 今 後 建 設 さ れ る 道 路 は 直 線 で な け れ ば な ら な い と し た 決 定 ︵ 1 8 1 1 ︶ と , セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク の 建 設 決 定 で あ る 。 後 者 は , W . C . ブ ラ イ ア ン ト や W . ア ー ビ ン グ ら の 文 化 人 に よ る 約 10 年 に わ た る 建 設 要 求 運 動 が 結 実 し た も の で , 市 は 1 8 5 6 年 に 公 園 用 に 土 地 を 購 入 す る 。
南 北 戦 争 か ら 第 1 次 大 戦 に 至 る 時 代 に , 今 日 の ニ ュ ー ヨ ー ク の 原 型 が 形 成 さ れ る 。 市 内 交 通 の 混 雑 緩 和 を 図 る 高 架 鉄 道 は 1 8 6 7 年 に マ ン ハ ッ タ ン で 実 験 的 に 運 行 さ れ , 70 年 代 以 降 普 及 ︵ 電 化 は 20 世 紀 初 頭 ︶ し た 。 さ ら に , ブ ル ッ ク リ ン 橋 の 完 成 ︵ 1 8 8 3 ︶ , 地 下 鉄 の 開 通 ︵ 1 9 0 4 ︶ , 20 世 紀 初 頭 の 数 本 の 鉄 道 用 河 底 ト ン ネ ル の 完 成 に よ っ て , マ ン ハ ッ タ ン 島 を 中 心 と す る ニ ュ ー ヨ ー ク の 交 通 事 情 が 好 転 し た 。 98 年 に は ブ ル ッ ク リ ン を 併 合 し て , 現 在 の 5 区 を 含 む 大 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 が 形 成 さ れ た 。 ま た , 20 世 紀 初 頭 に は シ カ ゴ に 次 い で 摩 天 楼 時 代 を 迎 え , シ ン ガ ー ・ ビ ル ︵ 1 9 0 7 ︶ , ウ ー ル ワ ー ス ・ ビ ル ︵ 1 9 1 3 ︶ な ど が 完 成 す る 。 こ の 時 代 に は 東 欧 や 南 イ タ リ ア か ら の 移 民 が 増 え , 衣 服 産 業 な ど に 労 働 力 を 提 供 し た 。 独 立 1 0 0 年 を 記 念 し て フ ラ ン ス が 寄 贈 し た 自 由 の 女 神 像 ︵ 現 リ バ テ ィ 島 に 建 つ 。 1 8 8 6 完 成 ︶ が 移 民 を 歓 迎 し , マ ン ハ ッ タ ン 南 端 の カ ス ル ・ ガ ー デ ン に 代 わ っ て 1 8 9 2 年 以 降 移 民 局 の 施 設 が 置 か れ た ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 内 の エ リ ス 島 は ︿ 新 世 界 へ の 玄 関 ﹀ と 呼 ば れ た 。 し か し , 世 紀 転 換 期 の リ ア リ ズ ム 文 学 に 描 か れ た よ う に 居 住 環 境 は 悪 く , 1 9 0 0 年 の 国 勢 調 査 に よ れ ば 市 人 口 3 4 4 万 の 約 7 0 % が 貧 困 地 帯 の 密 集 し た ア パ ー ト に 住 ん で い た 。 民 主 党 の 政 党 機 関 タ マ ニ ー ・ ホ ー ル は 移 民 に 職 を 世 話 す る 一 方 で , 移 民 票 を 買 収 し , 1 8 6 0 年 代 か ら 20 世 紀 に か け て 市 政 を 牛 耳 り , そ の い わ ゆ る ボ ス 政 治 は し ば し ば 汚 職 問 題 を 引 き 起 こ し た 。
1 9 2 0 年 代 の 制 限 法 に よ っ て 移 民 の 流 入 は 激 減 す る が , 第 1 次 大 戦 前 後 か ら 南 部 の 黒 人 が マ ン ハ ッ タ ン 北 部 の ハ ー レ ム を 中 心 に 多 数 移 住 す る 。 黒 人 人 口 の 増 加 と 自 動 車 の 普 及 に よ っ て , 20 年 代 に は 中 産 階 級 の 郊 外 移 転 が 急 速 に 進 展 し た 。 第 1 次 大 戦 後 , ニ ュ ー ヨ ー ク は ロ ン ド ン と 並 ぶ 世 界 経 済 の 中 心 と な り , ジ ャ ズ ・ エ ー ジ と も 呼 ば れ る 繁 栄 の 時 代 を 迎 え , ブ ル ッ ク リ ン 南 端 の 行 楽 地 コ ニ ー ・ ア イ ラ ン ド が に ぎ わ っ た 。 し か し 29 年 , ニ ュ ー ヨ ー ク 株 式 市 場 の 株 価 大 暴 落 は 世 界 規 模 の 大 恐 慌 を 引 き 起 こ し , セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク に は 失 業 者 が 掘 立 小 屋 を 建 て て 住 み つ い た 。 こ の 時 代 に 市 長 を 務 め た F . H . ラ ・ ガ ー デ ィ ア ︵ 在 職 1 9 3 4 - 4 5 ︶ は 公 共 事 業 の 促 進 を 図 り , ニ ュ ー ヨ ー ク 版 の ニ ュ ー デ ィ ー ル 政 策 を 実 施 し た と い え よ う 。 ク ラ イ ス ラ ー ・ ビ ル ︵ 1 9 3 0 ︶ や エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ・ ビ ル ︵ 1 9 3 1 ︶ が 完 成 し , ロ ッ ク フ ェ ラ ー ・ セ ン タ ー や ラ ・ ガ ー デ ィ ア 空 港 ︵ 1 9 3 9 開 港 ︶ の 建 設 が 進 め ら れ た 。 第 2 次 大 戦 後 は , 戦 争 に よ っ て 疲 弊 し た イ ギ リ ス に 代 わ っ て ア メ リ カ は 世 界 大 国 と し て の 地 位 を 確 立 し , ニ ュ ー ヨ ー ク は 世 界 経 済 の 中 心 と な り , 国 際 連 合 の 本 部 所 在 地 と も な っ た 。 し か し , 戦 後 急 増 し た プ エ ル ト ・ リ コ 移 民 を 含 む 人 種 問 題 の 複 雑 化 , 中 産 階 級 の 郊 外 移 転 , 都 市 財 政 の 悪 化 な ど , ニ ュ ー ヨ ー ク は さ ま ざ ま な 都 市 問 題 を 抱 え る に 至 っ た 。 さ ら に 戦 後 , 合 衆 国 南 部 の 産 業 拡 大 が 急 速 に 進 み , ニ ュ ー ヨ ー ク の 相 対 的 地 位 は 低 下 し つ つ あ る 。
執 筆 者 ‥ 正 井 泰 夫 + 山 本 泰 男
都 市 問 題
合 衆 国 の 他 の 大 都 市 と 同 様 に ニ ュ ー ヨ ー ク は 第 2 次 大 戦 後 , 交 通 問 題 , 住 宅 問 題 , 人 種 問 題 , 公 害 問 題 な ど の 都 市 問 題 を 抱 え る よ う に な っ た 。 自 動 車 の 普 及 と 高 速 自 動 車 道 の 建 設 に よ っ て , 白 人 中 流 階 級 は , 黒 人 や プ エ ル ト ・ リ コ 人 あ る い は 海 外 か ら の 移 民 と の 混 在 的 生 活 か ら 逃 れ る よ う に 郊 外 へ 移 動 し た 。 こ の た め , マ ン ハ ッ タ ン 島 は 低 所 得 者 階 層 の 比 率 が 増 大 し , ニ ュ ー ヨ ー ク 市 の 税 収 は 大 幅 に 減 少 し た 。 そ の 後 , ニ ュ ー ヨ ー ク 市 と 州 が 増 税 を 実 施 す る と , 大 企 業 の オ フ ィ ス や 企 業 も 郊 外 や 近 隣 諸 州 に 脱 出 し た 。 市 当 局 は 高 福 祉 を 維 持 し た が , ス ラ ム 改 良 費 , 生 活 保 護 費 な ど の 増 大 と 老 朽 化 し た 都 市 施 設 の 保 全 の た め , 1 9 7 0 年 代 半 ば , 市 財 政 は 破 産 寸 前 に ま で 追 い こ ま れ た 。
郊 外 住 宅 地 の 拡 大 は 高 速 道 路 網 の 整 備 に よ る と こ ろ が 大 き か っ た の で , マ ン ハ ッ タ ン 島 に は 橋 や ト ン ネ ル を 経 由 し て 多 数 の 自 動 車 が 流 入 し , 朝 夕 の ラ ッ シ ュ 時 に は 交 通 混 雑 が 恒 常 化 し た 。 地 下 鉄 網 は 市 の ほ ぼ 全 域 に 及 ん で お り , 利 用 客 も 多 い が , 治 安 が 悪 く 犯 罪 率 も 高 い の で , 敬 遠 す る 人 々 も い る 。
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 の 人 口 は お よ そ 白 人 6 0 % ︵ 1 9 8 0 ︶ , 黒 人 2 5 % , ア ジ ア 系 3 % , イ ン デ ィ ア ン 0 . 2 % , そ の 他 1 1 % で あ る が , そ の う ち , 白 人 に 分 類 さ れ る ユ ダ ヤ 人 が 1 7 % , 白 人 や 黒 人 に 分 類 さ れ る プ エ ル ト ・ リ コ 人 な ど の ス ペ イ ン 語 系 が 2 0 % を 占 め て お り , ニ ュ ー ヨ ー ク は 多 数 の 人 種 ・ 民 族 集 団 か ら 成 っ て い る ︵ 1 9 9 0 年 代 初 め に は , 黒 人 2 8 . 7 % , ヒ ス パ ニ ッ ク 系 2 4 . 4 % , ア ジ ア ・ 太 平 洋 諸 島 系 7 % , イ ン デ ィ ア ン 0 . 4 % , そ れ 以 外 3 9 % ︶ 。 こ の よ う な エ ス ニ ッ ク 構 成 を 背 景 に , 1 9 8 9 年 に は 初 の 黒 人 市 長 が 登 場 し た ︵ 93 年 ま で 在 任 ︶ 。 一 方 , こ れ ら の 人 種 ・ 民 族 の 複 雑 性 が 都 市 問 題 を い っ そ う 深 刻 に し て い る 。 多 く の 人 種 ・ 民 族 集 団 の 中 で , 黒 人 と プ エ ル ト ・ リ コ 人 は 貧 困 世 帯 が 多 く , ニ ュ ー ヨ ー ク の 貧 困 世 帯 の 約 8 0 % を 占 め て い る 。 黒 人 居 住 地 区 の ハ ー レ ム や サ ウ ス ・ ブ ロ ン ク ス お よ び ブ ル ッ ク リ ン 中 央 部 , そ し て プ エ ル ト ・ リ コ 人 居 住 地 区 の イ ー ス ト ・ ハ ー レ ム お よ び ブ ル ッ ク リ ン に は ス ラ ム が 広 が っ て い る 。 所 得 や 教 育 水 準 の 違 い か ら , 人 種 ・ 民 族 集 団 間 に は 社 会 的 緊 張 が 存 在 す る た め , 各 人 種 ・ 民 族 集 団 は , ハ ー レ ム , イ ー ス ト ・ ハ ー レ ム , 中 国 系 の チ ャ イ ナ タ ウ ン , イ タ リ ア 系 の リ ト ル ・ イ タ リ ー な ど 市 内 の 特 定 地 区 に 集 中 し て 居 住 す る 傾 向 が あ る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 犯 罪 発 生 率 は 年 間 10 万 人 当 り 1 万 7 0 6 5 件 ︵ 1 9 8 0 ︶ と 高 く , 東 京 ︵ 23 区 ︶ の 7 . 7 倍 に あ た る が , 犯 罪 頻 発 地 域 は 低 所 得 者 階 層 の 住 む 地 区 と 重 な る 。 し か し , ニ ュ ー ヨ ー ク の 財 政 は 苦 し く , 犯 罪 を 取 り 締 ま る 警 察 官 の 数 は 人 口 10 万 人 当 り 2 2 8 人 で , 東 京 の 8 5 % で あ る 。
ス ラ ム で は , 建 物 の 所 有 者 が 再 開 発 を 期 待 し て 居 住 者 を 追 い 出 す た め , あ る い は 火 災 保 険 金 目 当 て に 放 火 す る 例 が 多 い 。 ま た , 家 屋 焼 失 者 に 対 す る 福 祉 目 当 て に 居 住 者 み ず か ら 放 火 す る 例 も あ る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 火 災 件 数 は 年 間 12 万 7 8 7 6 件 で あ り , 東 京 の 25 倍 に も 達 す る 。 不 動 産 価 値 の 高 い マ ン ハ ッ タ ン で は 低 所 得 者 階 層 が 都 心 か ら 追 い た て ら れ る 傾 向 に あ り , ブ ロ ン ク ス , ク イ ー ン ズ , ブ ル ッ ク リ ン の 公 共 交 通 網 に 沿 っ て , プ エ ル ト ・ リ コ 人 を 中 心 と す る 西 イ ン ド 諸 島 系 お よ び 黒 人 の ス ラ ム が 拡 大 し つ つ あ る 。
執 筆 者 ‥ 菅 野 峰 明
文 化
ニ ュ ー ヨ ー ク は , 古 く か ら ア メ リ カ の 最 も 重 要 な 文 化 的 要 因 を な し て い る 。 最 初 の 職 業 作 家 の 一 人 W . ア ー ビ ン グ を 有 名 に し た の は , ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム 時 代 の ニ ュ ー ヨ ー ク 社 会 を 戯 画 化 し た 物 語 ︽ ニ ュ ー ヨ ー ク の 歴 史 ︾ ︵ 1 8 0 9 ︶ で あ っ た 。 以 後 ニ ュ ー ヨ ー ク に 住 み , こ の 都 会 を 描 き , あ る い は 少 な く と も こ こ で の 生 活 に 霊 感 を 得 て 書 い た 作 家 や 詩 人 は 無 数 と い っ て よ い 。
と く に マ ン ハ ッ タ ン の 下 町 ︵ ダ ウ ン タ ウ ン ︶ , 五 番 街 の 起 点 で , ワ シ ン ト ン ・ ス ク エ ア 一 帯 を 指 す グ リ ニ チ ・ ビ レ ッ ジ の 果 た し た 役 割 が 大 き い 。 こ の 地 域 は , 19 世 紀 の 末 葉 ま で は む し ろ 高 級 住 宅 地 で , ︽ モ ヒ カ ン 族 の 最 後 ︾ ︵ 1 8 2 6 ︶ な ど を 書 い た J . F . ク ー パ ー が 住 み , ま た 死 の 前 年 ︵ 1 9 1 5 ︶ イ ギ リ ス に 帰 化 し た 大 作 家 H . ジ ェ ー ム ズ も , 幼 少 時 代 を こ の 町 で 過 ご し , の ち に 傑 作 中 編 ︽ ワ シ ン ト ン ・ ス ク エ ア ︾ ︵ 1 8 8 1 ︶ を 書 く 下 地 を 作 っ た 。 1 8 3 7 年 一 文 な し で ニ ュ ー ヨ ー ク に や っ て き た E . A . ポ ー も , ワ シ ン ト ン ・ ス ク エ ア 近 辺 に し ば ら く 住 ん で い た と い う 。 ほ か に も H . メ ル ビ ル , 晩 年 の マ ー ク ・ ト ウ ェ ー ン な ど , こ こ に 住 ん だ 作 家 の 数 は 実 に 多 い 。 ま た 詩 人 ホ イ ッ ト マ ン は , お も に ブ ル ッ ク リ ン に 住 ん だ が , マ ン ハ ッ タ ン の 下 町 に も 一 時 い た こ と が あ り , そ の ボ ヘ ミ ア 的 雰 囲 気 を 愛 し て , 自 分 の こ と を ︿ マ ン ハ ッ タ ン っ 子 M a n h a t t a n e s e ﹀ と さ え 呼 ん で い た 。
世 紀 末 に ニ ュ ー ヨ ー ク の 大 都 市 化 が 進 む と , 大 都 市 を 描 く リ ア リ ズ ム 文 学 が 現 れ て く る 。 ボ ス ト ン か ら 移 っ て き た W . D . ハ ウ エ ル ズ , マ ン ハ ッ タ ン の 悪 名 高 い ス ラ ム 街 バ ワ リ ー を 描 い た S . ク レ ー ン な ど で あ る 。 と く に ク レ ー ン は , 小 説 ︽ 街 の 女 マ ギ ー ︾ ︵ 1 8 9 3 ︶ で , 貧 困 と 汚 濁 の 世 界 と い う シ ョ ッ キ ン グ な 題 材 を ひ っ 下 げ , お 上 品 趣 味 の 読 書 界 の 偽 善 と 戦 っ た 。 や は り 無 名 時 代 か ら ビ レ ッ ジ に 住 ん だ ド ラ イ サ ー も , ︽ シ ス タ ー ・ キ ャ リ ー ︾ ︵ 1 9 0 0 ︶ そ の 他 で , ニ ュ ー ヨ ー ク や シ カ ゴ に 生 き る 人 々 の 生 活 を 社 会 進 化 論 的 な 観 点 か ら 描 き , ア メ リ カ の リ ア リ ズ ム 文 学 の 地 歩 を 揺 る ぎ な い も の に し た 。
こ う し た リ ア リ ズ ム 文 学 ︵ な い し 自 然 主 義 文 学 ︶ の 興 隆 と 軌 を 一 に し て , 美 術 の ほ う で も ニ ュ ー ヨ ー ク の 市 民 生 活 を リ ア ル な 目 で と ら え た 新 し い 画 家 の グ ル ー プ が 出 現 し て い る 。 1 8 9 0 年 代 に フ ィ ラ デ ル フ ィ ア か ら ニ ュ ー ヨ ー ク に 移 っ て き た R . ヘ ン ラ イ を 筆 頭 に す る い わ ゆ る ︿ ア ッ シ ュ ・ キ ャ ン ・ ス ク ー ル ︵ ち り 箱 派 ︶ ﹀ で あ る 。 き れ い ご と し か 描 か な い ア カ デ ミ ズ ム に 反 逆 し て , 彼 ら は お も に 市 井 の 庶 民 生 活 を リ ア ル に 表 現 し た 。 ヘ ン ラ イ の ほ か , と く に ジ ョ ン ・ ス ロ ー ン , ジ ョ ー ジ ・ ラ ク ス な ど が 重 要 で あ る 。
し か し ア メ リ カ の 美 術 を 真 に 現 代 的 に す る の に 最 も 功 績 が あ っ た の は , 1 9 0 5 年 , 五 番 街 2 9 1 番 地 に ︿ 2 9 1 ﹀ 画 廊 を 創 設 , マ テ ィ ス を は じ め ヨ ー ロ ッ パ の モ ダ ニ ズ ム 画 家 た ち を 次 々 に ア メ リ カ に 紹 介 , ま た ジ ョ ン ・ マ リ ン , G . オ キ ー フ な ど , 数 々 の ア メ リ カ の 現 代 画 家 を 育 て た A . ス テ ィ ー グ リ ッ ツ で あ ろ う 。 彼 は ︽ カ メ ラ ・ ワ ー ク ︾ と い う 美 術 文 芸 雑 誌 も 出 し て , ま だ 認 め ら れ て い な い 前 衛 画 家 や 詩 人 た ち に 発 表 場 所 を 提 供 し た 。 パ リ に い た G . ス タ イ ン , ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー の 詩 人 W . C . ウ ィ リ ア ム ズ , 画 家 で 詩 人 の マ ー ズ デ ン ・ ハ ー ト リ ー を は じ め , こ の 雑 誌 の 恩 恵 を 受 け た 芸 術 家 は 少 な く な い 。 ス テ ィ ー グ リ ッ ツ は , 優 れ た 啓 蒙 家 で あ る と と も に , 芸 術 写 真 の 創 始 者 の 一 人 で も あ り , ニ ュ ー ヨ ー ク 市 街 を 撮 影 し た 美 し い 作 品 を 数 多 く 残 し て い る 。
さ ら に , 1 9 1 3 年 に 開 か れ た ︿ ア ー モ リ ー ・ シ ョ ー ﹀ と い う 大 美 術 展 も 特 筆 す べ き で あ ろ う 。 印 象 派 , キ ュ ビ ス ム な ど , ヨ ー ロ ッ パ の 新 し い 絵 を 初 め て 大 々 的 に ア メ リ カ に 紹 介 し た も の で , の ち に ニ ュ ー ヨ ー ク で 活 躍 す る フ ラ ン ス 生 れ の M . デ ュ シ ャ ン に よ る キ ュ ビ ス ム 風 の 出 品 作 ︽ 階 段 を 下 り る 裸 婦 ︾ な ど , ア メ リ カ 美 術 界 に 大 き な 衝 撃 を 与 え た 。
そ の 間 に グ リ ニ チ ・ ビ レ ッ ジ の 性 格 は 一 変 し , 金 持 ち は ア ッ プ タ ウ ン に 移 り , ビ レ ッ ジ は , パ リ の モ ン マ ル ト ル , ロ ン ド ン の ソ ー ホ ー に 似 た ボ ヘ ミ ア 街 に 変 貌 す る 。 だ い た い 世 紀 の 変 り 目 ご ろ で あ っ た 。 ビ レ ッ ジ の 名 に ふ さ わ し く , 狭 い 入 り 組 ん だ 石 畳 の 道 が 行 き 交 い , そ の 味 わ い 深 い 町 並 み と , 安 い 家 賃 に ひ か れ て , 貧 乏 な 作 家 , 芸 術 家 が 住 む よ う に な っ た 。 ド ラ イ サ ー , S . ア ン ダ ー ソ ン , W . キ ャ ザ ー な ど の 作 家 , そ し て 劇 作 家 E . G . オ ニ ー ル ら は , こ こ に 最 初 の オ フ ・ ブ ロ ー ド ウ ェ ー 劇 場 を 作 っ て い る 。 第 1 次 大 戦 後 に な る と , 小 説 家 の ド ス ・ パ ソ ス , 詩 人 の カ ミ ン グ ズ , M . ム ー ア , H . ク レ ー ン な ど , ビ レ ッ ジ を 根 城 に し た 作 家 の 数 は 実 に 多 い 。
20 年 代 の ジ ャ ズ ・ エ ー ジ に は , ド ス ・ パ ソ ス が ︽ マ ン ハ ッ タ ン 乗 換 駅 ︾ ︵ 1 9 2 5 ︶ で ニ ュ ー ヨ ー ク を 生 き 生 き と 描 き , 同 じ 年 に F . S . フ ィ ッ ツ ジ ェ ラ ル ド が , マ ン ハ ッ タ ン と 郊 外 の ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド を 舞 台 に , 傑 作 ︽ 偉 大 な る ギ ャ ッ ツ ビ ー ︾ を 発 表 し た 。
マ ン ハ ッ タ ン の 北 部 に あ る ハ ー レ ム も , 文 学 に は 縁 が 深 い 。 も と も と オ ラ ン ダ 人 の 開 い た 地 区 で , は じ め は 白 人 が 住 ん で い た が , 第 1 次 大 戦 前 後 か ら 徐 々 に 黒 人 地 区 と な り , 1 9 2 0 年 代 に は ︿ ハ ー レ ム ・ ル ネ サ ン ス ﹀ と い わ れ て , 黒 人 作 家 が こ こ か ら 輩 出 す る 。 ハ ー レ ム を 描 い た 詩 人 や 劇 作 家 の な か で は , J . L . ヒ ュ ー ズ や ジ ー ン ・ ト ゥ ー マ ー な ど が 重 要 で あ る 。 そ し て 第 2 次 大 戦 後 に 活 躍 し だ し た 作 家 J . ボ ー ル ド ウ ィ ン は , ハ ー レ ム に 生 ま れ , R . ラ イ ト に 次 ぐ 重 要 な 黒 人 作 家 と さ れ て い る 。
ア メ リ カ 美 術 の ヨ ー ロ ッ パ 模 倣 時 代 は , 第 2 次 大 戦 後 に な っ て よ う や く 終 わ っ た と い え よ う 。 20 世 紀 初 頭 以 後 , 現 代 芸 術 運 動 の ほ と ん ど す べ て は , ヨ ー ロ ッ パ , と く に パ リ を 中 心 と し て 興 っ て い た 。 だ が 50 年 代 以 後 は , そ の 役 割 が ニ ュ ー ヨ ー ク に よ っ て 取 っ て 代 わ ら れ た 観 が あ る 。 と く に 美 術 に お け る J . ポ ロ ッ ク , デ ・ ク ー ニ ン グ ら の , い わ ゆ る ニ ュ ー ヨ ー ク 派 , あ る い は 抽 象 表 現 主 義 , そ し て 60 年 代 に な っ て 隆 盛 を 極 め た ウ ォ ー ホ ル な ど の ポ ッ プ ・ ア ー ト , ミ ニ マ ル ・ ア ー ト , そ し て 80 年 代 に 興 っ た 新 表 現 派 ︵ ニ ュ ー ・ ペ イ ン テ ィ ン グ ︶ な ど , 後 期 モ ダ ニ ズ ム を 代 表 す る 主 要 な 美 術 運 動 は , す べ て ニ ュ ー ヨ ー ク と 切 り 離 し て 考 え る こ と は で き な い 。 同 時 に 第 2 次 大 戦 中 ナ チ ス ・ ド イ ツ か ら 亡 命 し て き た 者 を は じ め , 世 界 の 代 表 的 芸 術 家 の 多 く が , ニ ュ ー ヨ ー ク に 新 し い 活 躍 の 場 を 求 め る 傾 向 が 強 く な っ て き て い る 。
ま た 戦 後 の 文 学 で は , J . D . サ リ ン ジ ャ ー , J . ア ッ プ ダ イ ク , D . バ ー セ ル ミ ら が ︽ ニ ュ ー ヨ ー カ ー ︾ 誌 を , J . ボ ー ル ド ウ ィ ン , K . ボ ネ ガ ッ ト ら が ︽ ネ ー シ ョ ン ︾ 誌 を そ れ ぞ れ 舞 台 に 活 躍 し て い る 。
演 劇 は , 早 く か ら ニ ュ ー ヨ ー ク 文 化 の 重 要 な 要 素 と し て , ブ ロ ー ド ウ ェ ー を 中 心 に 発 達 , す で に 植 民 地 時 代 の 1 7 3 5 年 , ブ ロ ー ド ウ ェ ー に 芝 居 小 屋 が あ っ た と い う 記 録 が あ る 。 し か し ニ ュ ー ヨ ー ク の 演 劇 が 真 に 優 れ た 演 劇 性 を 獲 得 し た の は , 1 9 2 0 ~ 30 年 代 で , そ れ は お も に , G . B . シ ョ ー や オ ニ ー ル を 含 む ヨ ー ロ ッ パ お よ び ア メ リ カ の 新 し い 劇 作 家 を 紹 介 し た ︿ シ ア タ ー ・ ギ ル ド T h e a t r e G u i l d ﹀ と い う グ ル ー プ の 活 躍 に 負 う と こ ろ が 多 い 。 グ ル ー プ は ま た , ラ ン ト 夫 妻 の よ う な 名 優 も 多 く 育 て た 。 だ が ブ ロ ー ド ウ ェ ー が , お も に ミ ュ ー ジ カ ル ・ コ メ デ ィ の 発 達 に つ れ て 商 業 化 す る に 伴 い , 様 相 が 変 わ っ て く る 。 す な わ ち , と く に 第 2 次 大 戦 後 , ビ レ ッ ジ な ど , ブ ロ ー ド ウ ェ ー 以 外 の 地 域 に , い わ ゆ る オ フ ・ ブ ロ ー ド ウ ェ ー 劇 場 が 興 り , 小 規 模 , 小 資 本 で し ば し ば 実 験 的 な 演 劇 を 上 演 す る よ う に な る 。 70 年 代 に な る と , さ ら に 小 資 本 の オ フ ・ オ フ ・ ブ ロ ー ド ウ ェ ー 劇 場 が 生 ま れ て , 今 や ニ ュ ー ヨ ー ク に は , さ ま ざ ま な レ ベ ル で の 演 劇 活 動 が 殷 賑 ︵ い ん し ん ︶ を 極 め て い る 。 ま た 1 9 5 4 年 に 創 立 さ れ た ︿ ニ ュ ー ヨ ー ク ・ シ ェ ー ク ス ピ ア ・ フ ェ ス テ ィ バ ル ﹀ の 存 在 も 特 筆 に 値 し よ う 。 お も に シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 を 毎 夏 セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク で 上 演 す る ほ か , 1 9 6 7 年 の 問 題 作 ︽ ヘ ア ︾ 以 来 , グ リ ニ チ ・ ビ レ ッ ジ の オ フ ・ ブ ロ ー ド ウ ェ ー 劇 場 で 新 し い 実 験 的 な 劇 も 上 演 し , ア メ リ カ の 演 劇 界 に 大 き な 活 力 を 与 え て い る 。
執 筆 者 ‥ 金 関 寿 夫
ニューヨーク[州] New York
ア メ リ カ 合 衆 国 北 東 部 の 州 。 略 称 N . Y . 。 独 立 13 州 の 一 つ で , 連 邦 加 入 1 7 8 8 年 , 11 番 目 。 面 積 12 万 2 2 8 3 k m 2 , 人 口 は 1 9 3 7 万 8 1 0 2 ︵ 2 0 1 0 ︶ で 全 米 第 3 位 。 州 人 口 は 1 8 1 0 年 以 来 第 1 位 で あ っ た が , 1 9 6 0 年 代 に カ リ フ ォ ル ニ ア 州 に そ の 座 を 譲 り , 90 年 代 初 め に は テ キ サ ス 州 に も 追 い 越 さ れ た 。 州 都 オ ル バ ニ ー , 最 大 都 市 ニ ュ ー ヨ ー ク 。 州 名 は 1 6 6 4 年 以 後 , オ ラ ン ダ か ら イ ギ リ ス へ 支 配 が 移 っ た と き に , の ち の イ ギ リ ス 王 ジ ェ ー ム ズ 2 世 と な っ た ヨ ー ク 公 の 名 を と っ て 命 名 さ れ た 。 ア メ リ カ 最 大 の 都 市 ニ ュ ー ヨ ー ク を 擁 し て , 経 済 ・ 文 化 の 中 心 地 で あ っ た こ と か ら ︿ エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト E m p i r e S t a t e ︵ 帝 国 州 ︶ ﹀ と も 呼 ば れ る 。 ア パ ラ チ ア 山 脈 に 属 す る 丘 陵 , 山 地 ︵ キ ャ ッ ツ キ ル 山 地 な ど ︶ と ア デ ィ ロ ン ダ ッ ク 山 地 が 州 の 大 半 を 占 め , 氷 河 湖 が 散 在 す る 。 北 部 か ら 西 部 に か け て は , エ リ ー 湖 , オ ン タ リ オ 湖 , シ ャ ン プ レ ー ン 湖 を 含 む セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス 水 系 に 面 す る 低 地 が 続 き , 中 部 か ら 南 東 部 に か け て は ハ ド ソ ン 水 系 の 低 地 が あ り , ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 中 心 と す る 南 東 部 大 西 洋 岸 地 域 と と も に 商 工 業 お よ び 農 業 の 盛 ん な 地 域 で あ る 。 湿 潤 大 陸 性 気 候 が 卓 越 し , 北 海 道 と 似 た 気 候 で あ る が , 南 東 部 は 湿 潤 温 暖 気 候 と な る 。 ア メ リ カ で 最 も 工 業 化 の 進 ん だ 州 の 一 つ で , 製 本 ・ 印 刷 , 機 械 , 電 気 ・ 電 子 , 繊 維 , 食 品 加 工 , 化 学 , 自 動 車 な ど あ ら ゆ る 製 造 業 が 発 達 し て い る 。 同 時 に ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は 全 米 の 金 融 ・ 商 業 の 中 心 的 位 置 を 占 め て い る 。 ま た 酪 農 製 品 や 野 菜 を 中 心 と す る 農 業 は , 乳 牛 や 養 鶏 の 飼 育 が 盛 ん で あ り , オ ン タ リ オ 湖 沿 岸 の リ ン ゴ 栽 培 や ブ ド ウ な ど の 果 樹 作 物 も 重 要 で あ る 。 ナ イ ア ガ ラ 滝 の ほ か 各 地 の 観 光 ・ 保 養 地 を ア メ リ カ ・ メ ガ ロ ポ リ ス か ら 多 く の 人 々 が 訪 れ る 。 こ の 地 方 は も と も と ア ル ゴ ン キ ン 諸 族 お よ び イ ロ コ イ 諸 族 の イ ン デ ィ ア ン の 居 住 地 域 で あ っ た 。 1 6 0 9 年 に オ ラ ン ダ に 雇 わ れ た イ ギ リ ス 人 H . ハ ド ソ ン が 現 在 の ハ ド ソ ン 川 を さ か の ぼ っ て , オ ラ ン ダ が 支 配 権 を 主 張 し た 。 14 年 オ ラ ン ダ 人 が オ ル バ ニ ー 付 近 に 拠 点 を 建 設 , さ ら に 26 年 に は マ ン ハ ッ タ ン を 買 収 し , 一 帯 を ︿ ニ ュ ー ネ ー デ ル ラ ン ト ︵ 新 オ ラ ン ダ ︶ ﹀ と 称 し た が , 64 年 以 後 は イ ギ リ ス 領 に な っ た 。
執 筆 者 ‥ 正 井 泰 夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
ニューヨーク(市) にゅーよーく New York
ア メ リ カ 合 衆 国 、 北 東 部 大 西 洋 岸 に あ る 合 衆 国 で 最 大 の 都 市 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 の 南 東 端 に 位 置 し 、 南 は 大 西 洋 に 、 西 は ハ ド ソ ン 川 を 隔 て て ニ ュ ー ・ ジ ャ ー ジ ー 州 に 接 す る 。 面 積 8 3 6 . 8 平 方 キ ロ メ ー ト ル 。 人 口 8 0 0 万 8 2 7 8 ︵ 2 0 0 0 ︶ は メ キ シ コ 市 、 東 京 ︵ 都 区 部 ︶ に 次 い で 世 界 第 3 位 。 ま た 大 都 市 圏 人 口 は 2 1 1 9 万 9 8 6 5 に 達 す る 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
ニューヨーク市はハドソン川の河口に位置するが、そこは沖積地ではなく、全体が緩く起伏する火成岩および変成岩よりなる丘陵地形である。ハドソン川、イースト・リバーも川というよりは入り江で、かつてはその丘陵を刻む深い峡谷であったものが、陸地の沈降によって現在は数十キロメートルの上流まで潮の干満の影響を受ける深い入り江となった、典型的なエスチュアリ(三角江)である。ハドソン川は河口から約250キロメートルのオルバニーまで外洋船がさかのぼることができ、ここからさらにモホーク川、エリー運河を経て五大湖まで水運が通じている。この川の市発展に与えた影響は大きい。市とその周辺は第三氷河期に大陸氷河に覆われた所で、多くの終堆石(しゅうたいせき)丘がみられる。マンハッタン島の中央にあるセントラル・パークでも、氷河の削痕(さくこん)を残した巨石を見ることができる。土壌は薄いが硬い基盤のため、高層ビル群の支えとなっていることはよく知られるところである。
気候は、年平均気温12.4℃、最暖月(7月)平均24.7℃、最寒月(1月)平均0.0℃で、日本の仙台と似ている。年降水量は1028ミリメートルで、やはり仙台(1219ミリメートル)と似ている。しかし、夏の雨量がより少なく、冬にはかなりの積雪があり、仙台よりも年間平均した雨の降り方である。海岸に近く位置するだけに、合衆国では温暖湿潤のしのぎやすい気候である。夏から初秋にかけてハリケーンとよばれる熱帯性低気圧に襲われることがあるが、日本の台風より頻度が少なく、強烈でない。郊外に出るとカシ、カエデ、ヒッコリー、マツなどの緑が多く、秋の紅葉が美しい。
[伊藤達雄]
ワ シ ン ト ン ︵ 市 ︶ が 行 政 首 都 で あ る の に 対 し て 、 ニ ュ ー ヨ ー ク は 合 衆 国 の 産 業 首 都 で あ る 。 オ ラ ン ダ に よ り マ ン ハ ッ タ ン 島 南 端 に 毛 皮 交 易 所 が 開 か れ 、 1 6 2 6 年 に ニ ュ ー ・ ア ム ス テ ル ダ ム と 名 づ け ら れ た と き か ら ア メ リ カ 大 陸 の 玄 関 口 と な り 、 今 日 の 巨 大 都 市 に 至 る ま で 、 そ の 成 立 と 発 展 の 基 盤 は 恵 ま れ た 港 湾 条 件 に あ っ た 。 大 西 洋 に 面 す る ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド 島 と ス タ ー テ ン 島 と の 間 の ナ ロ ー ズ 海 峡 ︵ 幅 約 1 . 5 キ ロ メ ー ト ル ︶ を 入 る と 、 広 い ア ッ パ ー ・ ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 が 開 け る 。 こ こ か ら マ ン ハ ッ タ ン 島 ま で ま だ 約 8 キ ロ メ ー ト ル あ る が 、 天 然 の 良 港 で あ る 。 1 8 2 5 年 に エ リ ー 運 河 が 完 成 し 、 大 西 洋 か ら ア パ ラ チ ア 山 脈 と ア デ ィ ロ ン ダ ッ ク 山 地 と の 間 の 地 峡 を 通 じ て 内 陸 へ の 唯 一 の 水 路 が 開 け る と 、 ニ ュ ー ヨ ー ク は 全 米 の 表 玄 関 と し て の 、 ま た 国 際 貿 易 港 と し て の 地 位 を 確 立 し 、 19 世 紀 の 爆 発 的 発 展 期 を 迎 え る 。 こ の 港 湾 機 能 を 軸 と し て 鉄 道 ・ 道 路 ・ 空 港 な ど の 交 通 網 の 要 ( か な め ) と な り 、 さ ら に そ れ を 通 じ て 商 業 ・ 金 融 ・ 情 報 ・ 文 化 な ど が 発 達 し 、 ニ ュ ー ヨ ー ク の 産 業 基 盤 が 形 成 さ れ た 。
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 擁 す る 州 の 工 業 出 荷 額 は カ リ フ ォ ル ニ ア 州 に 次 い で 第 2 位 ︵ 1 4 6 7 億 ド ル 、 1 9 9 7 ︶ 、 付 加 価 値 生 産 高 で も 2 位 ︵ 7 7 0 億 ド ル 、 1 9 9 7 ︶ で あ り 、 そ の 大 部 分 は ニ ュ ー ヨ ー ク 大 都 市 圏 が 占 め 、 工 業 は 市 の 主 要 産 業 と い え る 。 そ の 内 容 は 、 フ ァ ッ シ ョ ン 性 の 高 い 繊 維 ・ 毛 皮 ・ 皮 革 の 加 工 や 印 刷 ・ 出 版 ・ 事 務 機 器 、 電 機 製 品 な ど の 都 市 型 中 小 企 業 が 主 で あ る 。 し か し 、 ニ ュ ー ヨ ー ク を ﹁ 工 業 都 市 ﹂ と 考 え る 人 は ほ と ん ど い な い で あ ろ う 。 市 の 産 業 の 中 核 は 第 三 次 産 業 部 門 で 、 そ の 領 域 は 多 様 で あ る 。 ﹃ メ ガ ロ ポ リ ス ﹄ と い う 本 を 書 い た 地 理 学 者 ジ ャ ン ・ ゴ ッ ト マ ン J . G o t t m a n n ︵ 1 9 1 5 ― 1 9 9 4 ︶ は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク を ﹁ ア メ リ カ と ヨ ー ロ ッ パ を 結 ぶ 十 字 路 ﹂ と よ ん だ 。 こ の 十 字 路 を 通 っ て 動 く 物 資 と サ ー ビ ス 、 そ の 雑 踏 の な か か ら 生 ま れ る 情 報 と ア イ デ ア が 、 市 の 活 力 の 源 泉 で あ る 。 初 期 の 市 発 展 を 支 え た 港 湾 は 、 そ の 他 の 港 湾 が 整 備 さ れ る に つ れ て 独 占 的 地 位 が 低 下 し つ つ あ る が 、 い ま も 合 衆 国 の 最 重 要 港 湾 で あ る 。 1 9 2 1 年 、 複 雑 な 交 通 を 総 合 的 に 統 制 す る た め に ニ ュ ー ヨ ー ク ‐ ニ ュ ー ・ ジ ャ ー ジ ー 港 湾 局 が 組 織 さ れ 、 埠 頭 ( ふ と う ) の み な ら ず 橋 、 ト ン ネ ル 、 空 港 ︵ ジ ョ ン ・ エ フ ・ ケ ネ デ ィ 国 際 空 港 な ど ︶ 、 バ ス タ ー ミ ナ ル な ど の 建 設 ・ 運 営 を 行 っ て い る 。 2 0 0 1 年 の ア メ リ カ 同 時 多 発 テ ロ に よ り 破 壊 さ れ た 世 界 貿 易 セ ン タ ー ビ ル も そ の 管 理 下 に あ っ た 。 港 湾 局 は 巨 大 な 企 業 体 で も あ る 。 現 代 を 代 表 す る 産 業 は 、 銀 行 ・ 保 険 な ど の 金 融 業 、 証 券 ・ 商 品 の 取 引 業 、 世 界 的 規 模 で の ビ ジ ネ ス で あ ろ う 。 ロ ー ワ ー ・ マ ン ハ ッ タ ン と よ ば れ る 、 マ ン ハ ッ タ ン 島 南 端 の ウ ォ ー ル 街 を 中 心 と す る わ ず か 1 . 6 平 方 キ ロ メ ー ト ル の 地 区 は 、 19 世 紀 末 に は す で に 商 業 中 心 地 区 で あ っ た 。 多 く の 有 名 銀 行 の 本 ・ 支 店 の ほ か 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 証 券 取 引 所 、 ア メ リ カ 証 券 取 引 所 な ど が あ り 、 世 界 の 株 式 市 場 に 影 響 力 を も つ た め 、 ﹁ ウ ォ ー ル 街 ﹂ は 証 券 市 場 の 代 名 詞 と さ え な っ て い る 。 20 世 紀 に 入 る と 、 そ れ ま で は 郊 外 の 富 裕 な 住 宅 地 区 で あ っ た 北 部 に 、 新 し い 事 務 所 が 進 出 を 始 め た 。 34 丁 目 か ら セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク ま で の 間 に 新 し い ビ ル ・ ラ ッ シ ュ が 起 こ り 、 エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ・ ビ ル ︵ 1 9 3 1 完 成 ︶ な ど を 含 む 第 二 の 都 心 が 形 成 さ れ 、 ミ ッ ド ・ タ ウ ン と よ ば れ る よ う に な っ た 。 こ こ は 金 融 の ロ ー ワ ー ・ マ ン ハ ッ タ ン に 対 し て 、 企 業 の 事 務 所 、 専 門 サ ー ビ ス 業 、 高 級 衣 服 仕 立 業 な ど が 主 で 、 劇 場 街 の ブ ロ ー ド ウ ェ ー 、 高 級 品 店 が 軒 を 連 ね る 五 番 街 、 国 連 本 部 、 ロ ッ ク フ ェ ラ ー ・ セ ン タ ー な ど も こ の 地 区 に あ る 。 ま た 、 ニ ュ ー ヨ ー ク は 商 品 取 引 、 卸 売 業 も 盛 ん で 、 コ ー ヒ ー 、 砂 糖 、 コ コ ア 、 綿 花 の 取 引 所 が あ り 、 国 際 価 格 も こ こ で 決 め ら れ 、 世 界 に 流 通 し て い く 。 近 年 の 航 空 機 ・ 情 報 化 時 代 を 迎 え て ニ ュ ー ヨ ー ク は ま す ま す 多 忙 化 し 、 国 際 線 直 行 便 は 79 か 国 お よ び 地 域 1 3 6 都 市 ︵ 2 0 0 1 ︶ と 結 ば れ 、 ス タ ー テ ン 島 に は テ レ ポ ー ト も 建 設 さ れ る な ど 、 文 字 ど お り 24 時 間 都 市 で あ る 。 市 に 特 派 員 を 置 く 外 国 の 新 聞 ・ 出 版 社 、 放 送 局 数 お よ び 従 業 員 数 、 市 在 住 の 外 国 人 外 交 官 数 は と も に 世 界 第 1 位 に あ る 。 マ ン ハ ッ タ ン 島 で 働 く 人 は 2 1 5 万 人 で 、 そ の 3 分 の 2 が 毎 日 島 の 外 か ら ト ン ネ ル と 橋 を 通 っ て 通 勤 し て い る 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は 東 京 都 区 部 の 1 . 4 倍 の 面 積 を も ち 、 マ ン ハ ッ タ ン 区 、 ブ ロ ン ク ス 区 、 ク イ ー ン ズ 区 、 ブ ル ッ ク リ ン 区 、 ス タ ー テ ン 島 の 五 つ の 区 B o r o u g h に 分 か れ て い る 。 最 小 の マ ン ハ ッ タ ン 区 で も 東 京 の 千 代 田 ・ 中 央 ・ 港 ・ 新 宿 ・ 文 京 の 都 心 5 区 を 合 わ せ た 面 積 に 等 し い 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
ハドソン川、イースト・リバー、ハーレム川に囲まれたマンハッタン島を区域とするニューヨークの心臓部である。
高層ビルが林立し、アメリカ経済ばかりでなく、世界経済の中枢がここに集中し、現代の演劇・音楽など、芸術を創出する中心であり、博物館・美術館も数多く、アメリカの宝石箱でもある。あらゆる種類のレストラン、クラブ、ホテルのほか犯罪や貧民窟(くつ)まで、現代都市のすべての要素がこの島に詰まっており、24時間絶え間なく活動している。南端のローワー・マンハッタンはニューヨーク発祥の地で、金融・保険・証券業の中心である。1960年代に入って、かつての埠頭(ふとう)地区に埋立て地による新都市、バッテリー・パーク・シティ計画が始まった。アパート、事務所、学校、商店街、公園を備えた新都市が生まれ、ニューヨークがなお発展を続けるようすをみることができる。
なお、2001年9月、アメリカの富の象徴といわれたローワー・マンハッタンの世界貿易センター・ツインタワー(110階、417メートルと415メートル)がハイジャックした民間航空機を衝突させるというテロ行為により倒壊、多くの犠牲者を出し、世界経済の中心としてのマンハッタン区は大きな打撃を受けた。
[伊藤達雄]
ハ ー レ ム 川 を 挟 ん で マ ン ハ ッ タ ン 島 の 北 に 隣 接 し て い る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 発 展 と と も に 住 宅 化 を 主 に 周 辺 区 と し て 発 達 し た 。 ハ ド ソ ン 川 に 沿 う リ バ ー デ ー ル 地 区 は い ま も コ ロ ニ ア ル 風 、 チ ュ ー ダ ー 王 朝 風 と い っ た 豪 邸 が 緑 の 中 に 建 ち 、 有 名 人 や 金 持 ち が 住 み 、 マ ン ハ ッ タ ン の ア ッ パ ー ・ イ ー ス ト ・ サ イ ド の 高 級 ア パ ー ト 街 と 並 び 称 さ れ る 高 級 住 区 で あ る 。 区 内 に は ニ ュ ー ヨ ー ク 動 物 公 園 ︵ ブ ロ ン ク ス 動 物 園 ︶ 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 植 物 園 、 ヤ ン キ ー ・ ス タ ジ ア ム 、 鉄 道 操 作 場 、 大 西 洋 岸 諸 州 に 青 果 物 を 供 給 す る 大 市 場 な ど の 施 設 が あ り 、 四 つ の ゴ ル フ 場 も あ る 。 一 方 、 ブ ロ ン ク ス は 1 9 6 0 年 代 に 黒 人 と ス ペ イ ン 語 系 人 口 が 過 半 数 を 超 え 、 白 人 比 率 が も っ と も 低 い 区 と な っ た 。 と く に イ ー ス ト ・ リ バ ー に 面 す る サ ウ ス ・ ブ ロ ン ク ス 地 区 に そ の 比 率 が 高 く 、 3 分 の 1 が 生 活 保 護 に 依 存 し て い る 。 5 区 の う ち で 人 口 減 少 率 が も っ と も 高 い 区 で 、 サ ウ ス ・ ブ ロ ン ク ス 再 開 発 が 最 大 の 課 題 と な っ て い る 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
面積最大、人口減少率は最小で安定している。マンハッタンへ通じる鉄道、自動車専用パーク・ウェーが何本も貫いて、アメリカの典型的な郊外住宅地がどこまでも続く。イースト・リバー岸には工場地帯があり、ジャマイカ、フラッシングなど鉄道駅周辺はニューヨークの副都心となっているが、大部分は中産階級の住宅地である。日本人もここに住んでいる者が多い。大きな入り江で多数の島が点在するジャマイカ湾には大都会に至近の所とは思えぬ豊かな自然が残っており、ロッカウェーの長い砂嘴(さし)は別荘や海水浴場に利用されている。湾岸にジョン・エフ・ケネディ国際空港と海軍飛行場がある。
[伊藤達雄]
5 区 の な か で 最 大 の 人 口 を も ち 、 単 独 で も 全 米 第 4 位 の 都 市 に 匹 敵 す る 。 北 の 半 分 は 港 湾 と 工 場 地 帯 で 、 そ の 中 に か つ て の マ ン ハ ッ タ ン の 金 持 ち た ち の 郊 外 住 宅 が 、 い ま は ス ラ ム と な っ た 地 区 が 点 在 す る 。 イ ー ス ト ・ リ バ ー に か か る 最 古 の 吊 橋 ( つ り ば し ) ブ ル ッ ク リ ン 橋 の 優 雅 な 姿 が か つ て の 栄 華 を 物 語 る が 、 港 湾 産 業 と 製 造 業 の 衰 退 が ブ ル ッ ク リ ン に 深 刻 な 問 題 を 残 し て い る 。 各 所 で 再 開 発 に よ る 企 業 誘 致 や 住 宅 改 善 が 進 め ら れ て い る が 、 世 界 最 大 で 最 悪 の 部 類 に 数 え ら れ る と い う ブ ラ ウ ン ズ ビ ル 地 区 や ベ ド フ ォ ー ド ・ ス タ イ ブ サ ン ト 地 区 な ど の ス ラ ム の 解 消 に は ほ ど 遠 い 。 か つ て ブ ル ッ ク リ ン は 誇 り 高 く 、 独 自 の 方 言 を も ち 、 地 域 主 義 の 強 い 所 で 、 プ ロ 野 球 の ド ジ ャ ー ス ︵ 1 9 5 8 年 よ り ロ サ ン ゼ ル ス に 移 る ︶ の 本 拠 で も あ っ た し 、 コ ニ ー ・ ア イ ラ ン ド に は 全 米 か ら 人 が 集 ま り 夏 の 楽 園 を 提 供 し て い た が 、 い ま は そ の 勢 い は な い 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
5区のなかで、もっともニューヨークらしくない区である。ブルックリンとの間のナローズ海峡をまたいで、1964年にベラザノ・ナローズ橋が架けられるまで、フェリーでしか往復できず、市のごみ処理場や化学廃棄物処理場などがあって「ニューヨークのごみ捨て場」とすらよばれた地帯であった。しかし橋が架かって以来、土地開発が始まり、5区のなかでは唯一人口が増加を続けている。白人比率がもっとも高い。犯罪発生率が最低であるほか、市内唯一の地方紙『アドバンス』も健在で、ニューヨークではこれからの発展が期待されている。
[伊藤達雄]
ニ ュ ー ヨ ー ク は 物 質 文 明 が 築 い た 傑 作 と い わ れ る だ け に 、 都 市 そ の も の が 文 化 の 所 産 で あ り 、 観 光 の 対 象 で あ る 。 由 緒 あ る 建 物 や 橋 、 博 物 館 、 美 術 館 、 劇 場 、 公 園 な ど は 数 多 く 、 レ ス ト ラ ン も 国 際 色 豊 か で あ る 。 市 も 1 9 8 0 年 以 来 、 ﹁ ニ ュ ー ヨ ー ク は 最 大 の 観 光 地 ﹂ を 呼 び 物 に キ ャ ン ペ ー ン を 展 開 し 、 観 光 の 産 業 化 に 力 を 入 れ て い る 。
高 等 教 育 機 関 の 中 心 は ボ ス ト ン に 譲 る と し て も 、 ア イ ビ ー ・ リ ー グ の 一 つ で 多 く の ノ ー ベ ル 賞 学 者 を 教 授 陣 に も つ コ ロ ン ビ ア 大 学 を は じ め 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 大 学 ︵ N Y U ︶ 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 立 大 学 、 州 立 大 学 な ど が あ り 、 学 問 ・ 教 育 の 水 準 は 高 い 。 ま た 、 富 を 築 い た ア メ リ カ は 芸 術 を 招 く こ と に 熱 心 で 、 今 日 市 内 に は 、 50 館 以 上 の 博 物 館 ・ 美 術 館 が あ る 。 も っ と も 規 模 の 大 き い メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 ︵ 13 万 平 方 メ ー ト ル ︶ は 、 1 8 7 0 年 に 市 民 の 間 か ら 起 こ っ た 開 設 運 動 が 1 8 8 0 年 に 実 っ た も の で あ る 。 当 初 は 油 絵 1 7 4 点 の 所 蔵 か ら 出 発 し た が 、 以 後 毎 年 拡 張 を 続 け て お り 、 い ま で は 古 代 エ ジ プ ト か ら 現 代 ア メ リ カ の 作 品 ま で 1 2 0 万 点 の 逸 品 が 集 め ら れ て い る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 人 た ち は 、 高 級 住 宅 街 と し て 知 ら れ る ア ッ パ ー ・ イ ー ス ト ・ サ イ ド 、 五 番 街 に 面 す る メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 を 中 心 に 有 名 美 術 館 が 点 在 す る 一 帯 を ﹁ ミ ュ ー ジ ア ム ・ マ イ ル ﹂ と よ ぶ 。 こ の 間 に 、 世 界 初 の 写 真 博 物 館 と し て 知 ら れ る 国 際 写 真 セ ン タ ー 、 印 象 派 以 降 の 近 現 代 美 術 を 集 め 、 フ ラ ン ク ・ ロ イ ド ・ ラ イ ト の 奇 抜 な 設 計 で 有 名 な グ ッ ゲ ン ハ イ ム 美 術 館 、 M ・ ブ ロ イ ヤ ー 設 計 の 建 物 自 体 が 前 衛 美 術 の よ う な 、 ア メ リ カ 美 術 専 門 の ホ イ ッ ト ニ ー 美 術 館 を は じ め 、 ユ ダ ヤ 美 術 館 、 フ リ ッ ク ・ コ レ ク シ ョ ン 、 ク ー パ ー ・ ヒ ュ ー イ ッ ト 美 術 館 が あ り 、 美 術 好 き を 喜 ば せ る 1 マ イ ル で あ る 。
マ ン ハ ッ タ ン を 斜 め に 走 る ブ ロ ー ド ウ ェ ー の タ イ ム ズ ・ ス ク エ ア を 中 心 と し た 周 辺 が 、 い わ ゆ る ﹁ ブ ロ ー ド ウ ェ ー ﹂ と よ ば れ る 劇 場 の 集 ま っ た 所 で 、 こ こ に 最 大 の ユ リ ス 劇 場 ︵ 座 席 数 1 9 3 3 ︶ か ら 最 小 の リ ト ル 劇 場 ︵ 座 席 数 4 9 9 ︶ ま で 約 40 劇 場 が あ る 。 世 界 の 舞 台 芸 術 家 の 檜 ( ひ の き ) 舞 台 で あ る が 、 と く に 19 世 紀 後 半 か ら 始 ま り 1 9 2 0 年 代 に 黄 金 時 代 を 築 い た ミ ュ ー ジ カ ル は 、 ブ ロ ー ド ウ ェ ー が 生 ん だ ニ ュ ー ヨ ー ク の 芸 術 で あ る 。 か つ て は ガ ー シ ュ イ ン 、 コ ー ル ・ ポ ー タ ー 、 ジ ェ ロ ー ム ・ カ ー ン ら が 活 躍 し 、 ﹃ シ ョ ー ・ ボ ー ト ﹄ ﹃ 南 太 平 洋 ﹄ ﹃ 王 様 と 私 ﹄ な ど の 傑 作 が 生 ま れ 、 新 し い と こ ろ で は ﹃ ヘ ア ー ﹄ ﹃ エ ビ ー タ ﹄ ﹃ キ ャ ッ ツ ﹄ な ど が 話 題 作 と な っ た 。 ニ ュ ー ヨ ー ク ・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー 交 響 楽 団 は ニ ュ ー ヨ ー ク を 本 拠 と す る 交 響 楽 団 で 、 世 界 で 活 躍 す る 。 ま た 、 石 油 王 カ ー ネ ギ ー が 建 て 、 1 8 9 1 年 の 杮 落 ( こ け ら お と ) し に は チ ャ イ コ フ ス キ ー が タ ク ト を 振 っ た カ ー ネ ギ ー ・ ホ ー ル も 、 世 界 の 音 楽 家 た ち に と っ て の 檜 舞 台 で あ る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク ・ メ ト ロ ポ リ タ ン ・ オ ペ ラ も 有 名 で 、 リ ン カ ー ン ・ セ ン タ ー 内 の オ ペ ラ ハ ウ ス で は 、 毎 年 10 月 か ら 4 月 ま で の 日 曜 を 除 く 毎 晩 に 、 定 期 公 演 を 見 る こ と が で き る 。 グ リ ニ ジ ・ ビ レ ッ ジ 周 辺 で は オ フ ・ オ フ ・ ブ ロ ー ド ウ ェ ー や ジ ャ ズ の ラ イ ブ 、 珍 し い レ ス ト ラ ン な ど を 楽 し む こ と が で き る し 、 そ の 南 の ソ ー ホ ー 地 区 は 、 か つ て の 倉 庫 や 工 場 を ア ト リ エ な ど に 改 造 し た ロ フ ト と よ ば れ る 建 物 が 多 く 、 新 し い ア ー チ ス ト た ち の た ま り 場 と し て 知 ら れ る 。
マ ン ハ ッ タ ン 島 は 水 に 囲 ま れ て お り 、 こ れ を 一 周 す る 遊 覧 船 や 、 自 由 の 女 神 像 へ 連 絡 す る フ ェ リ ー な ど か ら 眺 め る 高 層 ビ ル 群 の 景 観 は み ご と で あ る 。 ま た 、 市 内 に は セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク を は じ め と す る 60 も の 公 園 が あ り 、 郊 外 へ 出 る と 緑 の 多 い 美 し い 住 宅 地 が 続 き 、 ハ イ ウ ェ ー の ド ラ イ ブ も 楽 し め る 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
人種のるつぼといわれる合衆国のなかでも、ニューヨークは多民族多人種のコスモポリタン都市である。19世紀前半にはイギリスや中欧・北欧のゲルマン系、後半にはイタリアなど南欧系と東欧のスラブ系が移民の主流をなし、1855年から1890年までの急増期には、700万もの移民がニューヨークに上陸した。金のある者は開拓者として西部へ向かったが、貧しい者はニューヨークに残り、ことばもしゃべれぬまま同じ国の者同士が集まって住んだ。リトル・イタリー、リトル・ウクライナ、ジャーマン・タウンなどはこうして成立したものである。第二次世界大戦中はナチスの弾圧を逃れてユダヤ人も流入した。今日ユダヤ人口は100万を超え、世界最大のユダヤ人都市となっている。諸人種が入り乱れて互いにしのぎを削り、ぬきんでた者だけが人種や宗教の枠を超えて認められる。この構造が人々の刺激となっているのである。それだけに、成功した者と取り残された者との貧富の差は激しい。ニューヨークの貧困層は人口の15%にも達し、そのうち5分の2が黒人、5分の1がプエルト・リコ人である。犯罪発生率は1980年の犯罪発生件数は120万件で東京の6.5倍に及び、1992年の殺人件数は2262件で史上最高を記録した。人種問題と深くかかわる貧困はきわめて深刻な問題といえよう。こうした過去の統計数値から犯罪都市のイメージが強いニューヨークであるが、最近の犯罪件数は激減しており、1998年の件数は32万件、1997年の殺人件数は755件となっている。
[伊藤達雄]
市の前身は、1625年にオランダ西インド会社がマンハッタン島の南端近くに設立し1626年命名した入植地ニュー・アムステルダムである。それは初め八角形の砦(とりで)と二つの門を結ぶ通りと中央の市場、それを囲む会社役員の家々からなっていた。3年後の1628年でも人口は約270の小さな町で、やがて石壁(ウォール)の新しい砦がつくられた。ウォール街の名はこれに由来する。そこにはハッケンサックなど多数の先住民小部族が居住していたが、初めは安物の品と交換に、まもなく武力によって彼らの土地を奪い、抵抗する先住民を容赦なく殺害した。1664年にイギリス小艦隊が取り囲んだとき、先住民との戦いで消耗していたオランダ側は抵抗らしい抵抗もできず降伏した。英軍司令官R・ニコルズは、この地を王弟ヨーク公にちなんでニューヨークと改名した。
名誉革命(1688~1689)の影響で1689~1691年にはここでも革命が起こり、J・ライスラーが実権を握り、デ・ラノイが初の民選市長に就任した。反動が起こってライスラーは処刑され、市長の民選も1834年までとだえたが、1735年のピーター・ゼンガー事件、1741年の黒人の反乱計画など自由を求める闘いは続いた。アメリカ独立革命期には、ニューヨーク市は1765年の印紙税法反対会議の開催や茶税法反対運動などで重要な役割を演じたが、1776年にワシントン将軍指揮下の大陸軍が敗退したあと、1783年の講和まで英軍の占領下に置かれ国王派の拠点となった。
独立後の1785年から1790年までアメリカの首都となり、1897年までニューヨーク州の州都として一時政治の中心となったが、その後今日までむしろ商工業や金融業や貿易・運輸業など内外の経済・交通の中心地、移民の窓口として発展した。とくに蒸気船の発明と、エリー運河の開通による水運や鉄道網の発達に伴って、商都ニューヨークの発展は目覚ましく、人口も1790年の3万3000から1830年には20万を超え、フィラデルフィアを抜いて第1位に躍進し、1860年には81万、1880年代には100万を超え、1900年には344万に達した。一方、伝染病や大火の災害にみまわれたことも再三に及び、1702年の黄熱病の流行、1778年、1796年、1804年、1835年、1845年の大火は大きな被害をもたらした。市政では南北戦争後のボス支配や汚職と20世紀前半の革新主義的改革で名をなした。F・ルーズベルトのニューディール政策は、ニューヨーク州知事時代の経験を生かしたものといわれる。
[富田虎男]
『芦原伸著『ニューヨーク』(1987・読売新聞社)』 ▽『太田弘編『ニューヨーク都市地図集成』(1997・柏書房)』 ▽『伊藤章編著『ポストモダン都市ニューヨーク』(2001・松柏社)』 ▽『佐々木謙一編『最新ニューヨーク情報辞典』(2003・研究社)』 ▽『上岡伸雄著『ニューヨークを読む』(中公新書)』
ニューヨーク(州) にゅーよーく New York
ア メ リ カ 合 衆 国 、 北 東 部 大 西 洋 岸 の 州 。 面 積 14 万 1 2 9 2 平 方 キ ロ メ ー ト ル ︵ う ち ラ ン ド エ リ ア は 12 万 2 2 7 7 平 方 キ ロ メ ー ト ル ︶ は 合 衆 国 第 30 位 だ が 、 人 口 1 8 9 7 万 6 4 5 7 ︵ 2 0 0 0 ︶ は 1 9 6 4 年 以 降 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 に 次 い で 第 2 位 で あ る 。 独 立 13 州 の 一 つ 。 エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ︵ 帝 国 州 ︶ と 称 せ ら れ 、 人 口 10 万 以 上 ︵ 2 0 0 0 ︶ の 都 市 に ニ ュ ー ヨ ー ク 市 、 バ ッ フ ァ ロ ー 市 、 ロ チ ェ ス タ ー 市 、 ヨ ン カ ー ズ 市 、 シ ラ キ ュ ー ス 市 が あ る 。 州 都 オ ル バ ニ ー 。 州 域 は 、 大 西 洋 に 注 ぐ ハ ド ソ ン 川 の 河 口 付 近 で 狭 く 、 内 陸 に 入 る に し た が っ て 扇 状 に 広 が る 三 角 形 を な し 、 全 体 に 内 陸 型 の 州 で あ る 。 北 西 部 は セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス 川 、 オ ン タ リ オ 湖 、 エ リ ー 湖 を 隔 て て カ ナ ダ 国 境 と 接 し 、 南 西 部 は 北 緯 42 度 線 と デ ラ ウ ェ ア 川 と で ペ ン シ ル ベ ニ ア 州 と 、 ハ ド ソ ン 川 で ニ ュ ー ・ ジ ャ ー ジ ー 州 と 接 し 、 東 は バ ー モ ン ト 州 、 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 州 、 コ ネ テ ィ カ ッ ト 州 と そ れ ぞ れ 接 す る 。 地 形 的 に は 、 ア パ ラ チ ア 山 脈 と ア デ ィ ロ ン ダ ッ ク 山 地 の 山 岳 地 形 、 五 大 湖 岸 の 平 地 、 ハ ド ソ ン 川 と モ ホ ー ク 川 沿 い の 峡 谷 、 ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド 島 と 大 き く 四 つ に 分 け ら れ る 。 ハ ド ソ ン 川 河 口 は 沈 水 性 の エ ス チ ュ ア リ ︵ 三 角 江 ︶ で 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 を 形 成 し て い る 。 地 質 的 に は 、 古 い ロ ー レ ン シ ア 台 地 が 基 盤 で 硬 く 、 第 三 氷 期 に 大 陸 氷 河 に 覆 わ れ た た め 、 氷 河 湖 な ど が 点 在 す る 。 最 高 峰 は ア デ ィ ロ ン ダ ッ ク 山 地 中 の マ ー シ ー 山 ︵ 1 6 3 0 メ ー ト ル ︶ 。 気 候 は 、 大 西 洋 岸 か ら 内 陸 の 五 大 湖 岸 ま で 広 が る た め 多 様 で 、 内 陸 に 至 る ほ ど 厳 し い 大 陸 型 と な る が 、 総 じ て 日 本 の 東 北 地 方 と よ く 似 た 気 候 を 呈 す 。 山 岳 地 帯 で は 冬 に ス キ ー が 楽 し め る 。
北 東 部 大 西 洋 岸 は 近 郊 農 業 の 中 核 地 帯 で 、 ア パ ラ チ ア 高 地 で の 酪 農 、 平 地 で の 蔬 菜 ( そ さ い ) 栽 培 、 ニ ワ ト リ 、 カ モ 、 卵 の 生 産 は 全 米 1 、 2 位 を 争 う 。 ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド 島 で の ニ ワ ト リ 、 カ モ は と く に 有 名 で あ る 。 五 大 湖 周 辺 地 帯 で は リ ン ゴ 、 ブ ド ウ 、 モ モ な ど 果 樹 栽 培 が 広 く 行 わ れ て い る 。 中 西 部 で は 岩 塩 、 石 材 、 鉄 鉱 石 、 石 油 、 天 然 ガ ス な ど の 地 下 資 源 を 産 し 、 合 衆 国 初 期 の 工 業 化 に 大 き な 貢 献 を し た 。 工 業 化 は 、 エ リ ー 運 河 の 開 通 ︵ 1 8 2 5 ︶ に よ っ て 五 大 湖 か ら オ ル バ ニ ー ま で の 運 賃 が 約 10 分 の 1 に 低 減 さ れ て か ら 急 速 に 進 み 、 ナ イ ア ガ ラ 川 、 セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス 川 の 水 力 発 電 開 発 も 加 わ り 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 、 バ ッ フ ァ ロ ー 、 ロ チ ェ ス タ ー な ど の 工 業 都 市 が 発 達 し た 。 工 業 生 産 額 で は 現 在 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 に 次 い で 全 米 第 2 位 に あ る 。 大 西 洋 沿 岸 で は カ キ 、 ハ マ グ リ 、 タ ラ な ど の 漁 獲 が あ る 。
1 5 2 4 年 、 フ ィ レ ン ツ ェ の 航 海 家 ジ ョ バ ン ニ ・ ダ ・ ベ ラ ザ ー ノ が 初 め て ニ ュ ー ヨ ー ク 湾 と ハ ド ソ ン 川 を 発 見 し 、 そ の 後 、 イ ギ リ ス 人 で オ ラ ン ダ の 東 イ ン ド 会 社 に 雇 わ れ た ヘ ン リ ー ・ ハ ド ソ ン が こ の 川 を さ か の ぼ っ て オ ル バ ニ ー に 至 っ た 。 彼 が こ の 川 を ハ ド ソ ン 川 と 命 名 し 、 こ の 地 が 豊 か な 土 地 で 毛 皮 に 富 み 、 友 好 的 な 先 住 民 ︵ ア メ リ カ ・ イ ン デ ィ ア ン ︶ が い る こ と を 報 告 し た 。 以 後 オ ラ ン ダ 商 人 が 交 易 に 力 を 入 れ 、 1 6 1 4 年 ご ろ オ ル バ ニ ー に 最 初 の 交 易 砦 ( と り で ) を 築 き 、 1 6 2 4 年 に 最 初 の 入 植 者 30 家 族 が 定 住 を 始 め 、 ニ ュ ー ・ ネ ザ ー ラ ン ド と 命 名 し た 。 1 6 2 6 年 、 初 代 総 督 ピ ー タ ー ・ ミ ヌ イ ト が イ ン デ ィ ア ン か ら マ ン ハ ッ タ ン 島 ︵ 現 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 ︶ を 買 収 し 、 こ こ を ニ ュ ー ・ ア ム ス テ ル ダ ム と 名 づ け た 。 イ ギ リ ス ・ オ ラ ン ダ 戦 争 後 の 1 6 7 4 年 に イ ギ リ ス 領 と な っ た 際 に ニ ュ ー ヨ ー ク と 改 め ら れ 、 1 7 7 6 年 の 合 衆 国 独 立 宣 言 と と も に 州 と な っ た 。 1 7 9 0 年 ま で 州 都 は ニ ュ ー ヨ ー ク 市 に 置 か れ て い た 。
文 化 ・ 教 育 で は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 立 大 学 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 立 大 学 の ほ か 、 コ ロ ン ビ ア 大 学 、 ウ ェ ス ト ポ イ ン ト 兵 学 校 、 コ ー ネ ル 大 学 な ど の 著 名 校 が あ り 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は 芸 術 ・ 演 劇 ・ 文 化 の 世 界 的 中 心 で あ る こ と は い う ま で も な い 。
﹇ 伊 藤 達 雄 ﹈
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「ニューヨーク」の意味・わかりやすい解説
ニューヨーク
米 国 , ニ ュ ー ヨ ー ク 州 南 東 部 , 大 西 洋 岸 の 都 市 。 通 称 ︿ ビ ッ グ ・ ア ッ プ ル ﹀ 。 米 国 の 商 工 業 , 金 融 , 貿 易 , 文 化 な ど の 中 心 で , 経 済 的 主 都 。 ハ ド ソ ン 川 河 口 に 位 置 す る 天 然 の 良 港 で , 米 国 の 輸 入 の 約 2 分 の 1 , 輸 出 の 3 分 の 1 が こ こ を 経 由 。 移 民 に よ る 豊 富 な 労 働 力 , ヨ ー ロ ッ パ と の 貿 易 拠 点 で あ る こ と が 工 業 発 展 の 基 礎 。 衣 料 品 , 印 刷 , 出 版 , 食 料 品 , 装 身 具 , 家 具 な ど 大 消 費 都 市 型 の 雑 貨 工 業 に 特 色 が あ る 。 住 民 は 多 彩 な 人 種 構 成 を も ち , ユ ダ ヤ 人 , 黒 人 , プ エ ル ト ・ リ コ 人 , 中 国 人 , ヨ ー ロ ッ パ 各 国 人 が 居 住 , 人 種 の る つ ぼ を な す 。 マ ン ハ ッ タ ン , ブ ル ッ ク リ ン , ブ ロ ン ク ス , リ ッ チ モ ン ド , ク イ ー ン ズ の 5 区 か ら な る 。 市 の 核 心 部 を な す マ ン ハ ッ タ ン は 南 北 に 細 長 い デ ル タ の 島 で , 中 央 部 を 縦 貫 す る ブ ロ ー ド ウ ェ ー は 商 店 街 , 劇 場 が 多 く , 5 番 街 に は エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ・ ビ ル , ロ ッ ク フ ェ ラ ー ・ セ ン タ ー な ど の 著 名 高 層 建 築 物 が 集 中 。 タ イ ム ズ ・ ス ク エ ア は 繁 華 街 と し て 知 ら れ , 南 端 の ウ ォ ー ル 街 は 金 融 の 中 心 , 近 く に は 市 内 で 最 も 高 い 世 界 貿 易 セ ン タ ー ・ ビ ル ︵ 4 1 7 m , 1 1 0 階 建 の ツ イ ン ・ タ ワ ー ︶ が あ っ た が 2 0 0 1 年 9 月 11 日 同 時 多 発 テ ロ 事 件 ︵ 9 . 1 1 事 件 ︶ に よ っ て 倒 壊 し た 。 国 連 本 部 は 東 方 イ ー ス ト 川 に 臨 み , 港 口 に は ︿ 自 由 の 女 神 ﹀ 像 が 立 つ 。 中 央 部 セ ン ト ラ ル ・ パ ー ク の 周 辺 は 文 化 ・ 教 育 施 設 が 多 く , メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 , 市 立 博 物 館 , ア メ リ カ 自 然 史 博 物 館 を は じ め コ ロ ン ビ ア 大 学 , カ ー ネ ギ ー ・ ホ ー ル な ど が あ る 。 1 6 2 5 年 オ ラ ン ダ 人 が 創 設 , ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム と 呼 ば れ た が , 1 6 6 4 年 に 英 領 と な り , ニ ュ ー ヨ ー ク と 改 称 。 1 8 2 5 年 エ リ ー 運 河 の 開 通 で ヨ ー ロ ッ パ へ の 門 戸 , 内 陸 後 背 地 へ の 連 絡 拠 点 を 兼 ね 急 速 に 発 展 。 1 9 2 0 年 代 に は 黒 人 街 ハ ー レ ム に ︿ ハ ー レ ム ・ ル ネ サ ン ス ﹀ が お こ り , 黒 人 芸 術 家 が 多 数 輩 出 し た 。 8 1 7 万 5 1 3 3 人 ︵ 2 0 1 0 ︶ 。
→ 関 連 項 目 ニ ュ ー ヨ ー ク ﹇ 州 ﹈ | ニ ュ ー ヨ ー ク 金 融 市 場 | ロ ン グ ・ ア イ ラ ン ド ﹇ 島 ﹈
ニ ュ ー ヨ ー ク [ 州 ] ︻ ニ ュ ー ヨ ー ク ︼
米 国 北 東 部 の 州 。 略 称 NY 。 ︿ エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ﹀ と も 呼 ば れ る 。 南 端 は 大 西 洋 , 北 は カ ナ ダ , 北 西 は オ ン タ リ オ 湖 , エ リ ー 湖 に 面 す る 。 東 部 を 走 る ア パ ラ チ ア 山 脈 の 末 端 は , モ ホ ー ク 川 に よ っ て ア デ ィ ロ ン ダ ッ ク , キ ャ ッ ツ キ ル 両 山 塊 に 分 か れ , そ の 東 を ハ ド ソ ン 川 が 南 流 。 全 体 に 氷 食 を 受 け 氷 河 湖 が 多 い 。 近 郊 農 業 が 行 わ れ , リ ン ゴ , ブ ド ウ , イ チ ゴ , オ ウ ト ウ な ど の 果 実 や , メ ー プ ル シ ロ ッ プ , 鶏 卵 を 産 す る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 中 心 に 諸 工 業 が 発 達 , ロ チ ェ ス タ ー , バ ッ フ ァ ロ ー は 鉄 鋼 な ど 重 工 業 の 中 心 。 1 6 0 4 年 オ ラ ン ダ 領 , 1 6 6 4 年 英 領 。 独 立 13 州 の 一 つ 。 1 7 8 8 年 連 邦 加 入 。 州 都 オ ル バ ニ ー 。 最 大 都 市 ニ ュ ー ヨ ー ク 。 12 万 2 0 5 7 k m 2 。 1 9 7 4 万 6 2 2 7 人 ︵ 2 0 1 4 ︶ 。
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ニューヨーク New York City
ー ヨ ー ク 湾 に 臨 む 同 国 最 大 の 都 市 。 西 半 球 で 最 も 人 口 の 多 い 都 市 の 一 つ で , マ ン ハ ッ タ ン , ブ ロ ン ク ス , ク イ ー ン ズ , ブ ル ッ ク リ ン , ス タ テ ン 島 の 5 区 か ら な る 。 1 6 1 4 年 に オ ラ ン ダ 人 が 入 植 し , ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム と 命 名 し た 。 1 6 6 4 年 イ ギ リ ス 領 に な り , ニ ュ ー ヨ ー ク と 改 称 。 1 7 8 9 ~ 90 年 ア メ リ カ の 首 都 。 1 8 2 5 年 エ リ ー 運 河 が 開 通 し , 以 後 商 工 業 が 発 達 。 20 世 紀 初 頭 か ら 多 数 の 移 民 が 入 り , 大 都 市 と し て 発 展 し た ︵ → エ リ ス 島 ︶ 。 特 に 第 1 次 世 界 大 戦 後 世 界 の 金 融 の 中 心 と な り , マ ン ハ ッ タ ン に は ニ ュ ー ヨ ー ク 証 券 取 引 所 を は じ め 銀 行 な ど が 集 中 。 ア メ リ カ 最 大 の 工 業 都 市 で あ り , ブ ル ッ ク リ ン , ク イ ー ン ズ を 中 心 に 衣 料 , 皮 革 , 製 紙 , 印 刷 , 食 品 加 工 , 化 学 , 電 機 な ど , 多 様 な 工 業 が 発 達 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 港 は ア メ リ カ 最 大 の 商 港 で も あ る 。 ま た 1 9 4 6 年 国 際 連 合 の 本 部 が 設 け ら れ , 国 際 政 治 の 中 心 と な っ た 。 市 街 地 は 東 西 と 南 北 の 道 路 で 碁 盤 目 状 に つ く ら れ , エ ン パ イ ア ・ ス テ ー ト ・ ビ ル ︵ 3 8 1 m ︶ な ど が そ び え 立 つ 摩 天 楼 は ニ ュ ー ヨ ー ク の 象 徴 と も な っ て い る が , そ の う ち の 一 つ , 世 界 貿 易 セ ン タ ー ︵ 4 1 7 m ︶ は 2 0 0 1 年 9 月 11 日 に テ ロ の 攻 撃 を 受 け 崩 壊 ︵ → ア メ リ カ 同 時 テ ロ ︶ 。 世 界 各 地 か ら 移 民 の 流 入 が 絶 え ず , ハ ー レ ム , リ ト ル イ タ リ ー , チ ャ イ ナ タ ウ ン な ど が つ く ら れ た 。 1 9 6 0 年 以 降 は ヒ ス パ ニ ッ ク 系 の 移 民 が 増 加 , 初 め は プ エ ル ト リ コ や ド ミ ニ カ 共 和 国 か ら , の ち に は メ キ シ コ な ど 中 南 米 か ら の 移 民 が 続 き , 2 0 0 0 年 に は 黒 人 と と も に そ れ ぞ れ 人 口 の 2 7 % を 占 め る ま で に な っ た 。 コ ロ ン ビ ア 大 学 , ニ ュ ー ヨ ー ク 近 代 美 術 館 , メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術 館 , リ ン カ ー ン ・ セ ン タ ー , マ ジ ソ ン ・ ス ク エ ア ・ ガ ー デ ン な ど , 多 く の 学 術 施 設 , 文 化 施 設 が あ る 。 タ イ ム ズ ス ク エ ア 付 近 に は 映 画 館 , 劇 場 が 集 中 す る 。 グ リ ニ ッ チ ビ レ ッ ジ は , 多 く の 芸 術 家 の 集 ま る 場 所 と し て , 国 際 的 に 有 名 。 大 都 市 に 共 通 し た 過 密 化 , 交 通 渋 滞 , 犯 罪 な ど の 問 題 が 多 い が , 市 は そ の 解 決 に 多 額 の 予 算 を 投 じ て い る 。 面 積 7 9 0 k m 2 。 人 口 8 1 7 万 5 1 3 3 ︵ 2 0 1 0 ︶ 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ニューヨーク New York
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は ア メ リ カ 最 大 の 都 市 で 金 融 商 工 業 の 中 心 地 。 植 民 地 時 代 か ら 商 業 都 市 と し て 栄 え た が , 19 世 紀 前 半 イ ー リ ー 運 河 の 開 通 に よ っ て 西 部 と の 結 び つ き を 強 め て か ら め ざ ま し く 発 展 し , そ の 後 経 済 の み な ら ず 芸 術 ・ 文 化 活 動 に お い て も ア メ リ カ の 中 心 と な っ た 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 持 つ ニ ュ ー ヨ ー ク 州 は ア メ リ カ 合 衆 国 の 大 州 の 一 つ で あ る 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ニューヨーク New York
ア メ リ カ 合 衆 国 , 大 西 洋 岸 中 部 に あ る 同 国 最 大 の 都 市 ま た は そ の 州
ニ ュ ー ヨ ー ク 市 は ハ ド ソ ン 川 河 口 に 面 し , オ ラ ン ダ 領 ニ ュ ー ア ム ス テ ル ダ ム か ら , イ ギ リ ス 領 と な り ︵ 1 6 6 4 ︶ , 対 外 貿 易 港 ・ 移 住 基 地 と し て 発 展 。 1 7 8 9 〜 90 年 は , 独 立 し た 合 衆 国 最 初 の 首 都 と さ れ た 。 19 世 紀 前 半 か ら 隆 盛 と な り , 1 8 6 9 年 ウ ォ ー ル 街 に 証 券 取 引 所 が 設 立 さ れ , 第 一 次 世 界 大 戦 後 は 世 界 金 融 市 場 の 中 心 地 と な っ た 。 1 9 4 6 年 国 際 連 合 本 部 が 設 置 さ れ た 。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
ニューヨーク
︽ N e w Y o r k ︾ ア メ リ カ 海 軍 の 戦 艦 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 級 の 1 番 艦 。 超 弩 級 戦 艦 。 船 体 識 別 番 号 は B B - 3 4 。 1 9 1 2 年 進 水 、 1 9 1 4 年 就 役 。 1 9 4 6 年 、 ビ キ ニ 環 礁 に お け る 原 爆 実 験 の 標 的 艦 に 使 用 さ れ 、 除 籍 。
出典 小学館 デジタル大辞泉プラスについて 情報
ニューヨーク【New York】
カ ク テ ル の 一 種 。 ラ イ ウ イ ス キ ー 、 ラ イ ム ジ ュ ー ス 、 グ レ ナ デ ン シ ロ ッ プ 、 砂 糖 を シ ェ ー ク し て カ ク テ ル グ ラ ス に 注 ぎ 、 オ レ ン ジ ピ ー ル を 絞 る 。 グ レ ナ デ ン シ ロ ッ プ に よ る ピ ン ク の 色 彩 が 特 徴 的 。 シ ョ ー ト ド リ ン ク 。
出典 講談社 飲み物がわかる辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の ニューヨークの言及
【区】より
… こ う し た 区 画 を 通 常 , 区 と い う が , そ の 形 式 は 法 人 格 を も つ 自 治 区 , 行 政 区 , た ん な る 行 政 区 画 な ど 多 様 で あ る 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 に は , マ ン ハ ッ タ ン , ブ ロ ン ク ス , ブ ル ッ ク リ ン , ク イ ー ン ズ , ス タ テ ン 島 の 5 区 ( b o r o u g h ) が 設 け ら れ て い る 。 区 長 は 公 選 で あ り 道 路 , 下 水 道 な ど に 行 政 権 限 を も つ と と も に , 市 長 , 助 役 , 収 入 役 と 並 ん で 市 理 事 会 B o a r d o f E s t i m a t e の 構 成 員 と し て 市 の 立 法 と 行 政 に 関 与 し て い る 。 …
【スカイスクレーパー】より
… な お , 詩 人 サ ン ド バ ー グ は ︽ シ カ ゴ 詩 集 ︾ の 中 の 一 編 ︿ ス カ イ ス ク レ ー パ ー ﹀ で , 高 層 ビ ル の 一 日 を 描 い て い る 。 一 方 , 20 世 紀 初 頭 の ニ ュ ー ヨ ー ク で は , 頂 上 に 尖 塔 を の せ , 随 所 に 装 飾 を 施 し た 折 衷 様 式 の 高 層 建 築 が 流 行 し , シ カ ゴ の 箱 型 建 築 と 対 比 を な し た 。 シ ン ガ ー ・ ビ ル ( 1 9 0 7 ) や ウ ー ル ワ ー ス ・ ビ ル ( 1 9 1 3 , C . ギ ル バ ー ト ) な ど が 代 表 例 。 …
【都市計画】より
…
﹇ そ の 他 の 計 画 ﹈
以 上 の ほ か , 都 市 の 運 営 上 重 要 な 施 設 と し て , 上 下 水 道 , 電 気 ・ ガ ス な ど 供 給 ・ 処 理 施 設 , 学 校 な ど の 教 育 文 化 施 設 , 病 院 ・ 保 育 所 な ど 保 健 ・ 福 祉 施 設 , 市 町 村 庁 舎 な ど 都 市 運 営 施 設 等 の 計 画 が あ り , さ ら に 都 市 防 災 , 事 故 防 止 , 公 害 防 止 , 自 然 保 護 , 文 化 財 保 全 , 都 市 景 観 な ど 都 市 環 境 計 画 が あ り , 都 市 の 基 本 計 画 は こ れ ら を 総 合 し た 都 市 構 成 計 画 と し て 策 定 さ れ る 。
︻ 大 都 市 圏 計 画 ︼
ロ ン ド ン , ニ ュ ー ヨ ー ク , 東 京 な ど の 大 都 市 は 人 口 , 機 能 の 集 中 が 大 き く , 通 勤 , 通 学 , 物 資 の 流 動 な ど 都 市 の 経 済 ・ 社 会 活 動 が 通 常 の 都 市 の 範 囲 を 超 え て 広 域 に わ た っ て 展 開 さ れ て い る 。 そ こ で 通 常 の 都 市 基 本 計 画 よ り さ ら に 広 域 の , い わ ゆ る 大 都 市 圏 計 画 を 設 定 し て い る 。 …
【都市問題】より
…そしてこのころからロサンゼルス,デトロイトなどの都市暴動が起こるに至る。さらに,社会的低所得層とみられた黒人たちよりいっそう条件の劣悪なスペイン語系,アジア系移民が合法・非合法で,ニューヨーク市をはじめフロリダ州,カリフォルニア州等の都市に大量流入しはじめた。都心部の中高所得層の白人が郊外・他都市へ流出し,そこに低所得者が集中し諸困難をもたらす都心部の問題(インナー・シティ問題inner city problems)が深刻化する。…
※「ニューヨーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」