ハレ(読み)はれ

デジタル大辞泉 「ハレ」の意味・読み・例文・類語

ハレ(Halle)

 
西30  

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改訂新版 世界大百科事典 「ハレ」の意味・わかりやすい解説

ハレ(晴) (はれ)


︿

 

 2



ハレ
Halle


21978西15kmHal141250


ハレ
Halle

ドイツ中部,ザクセン・アンハルト州の都市。人口23万8497(2004)。化学工業を基幹に旧東ドイツ内有数の工業都市で,機械・プラント製造が盛んなほか,1694年創立の大学,ヘンデルの生地として毎年のヘンデル音楽祭など文化の中心でもある。塩の精製,交易地として古くから栄え,13世紀末には市の権利を得てハンザ同盟に加わった。19世紀末以降労働運動の中心の一つとなった。15~16世紀の建造になる赤い塔,後期ゴシック建築のハレ教会などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハレ」の意味・わかりやすい解説

ハレ
Halle

正式名称はハレアンデアザーレ Halle an der Saale。ドイツ中北部,ザクセンアンハルト州の都市。 1952~90年ハレ県 (旧東ドイツ) の県都。ライプチヒ北西約 30kmのザーレ川右岸に位置する。 806年,要塞町として名が現れ,968年にマクデブルク大司教領となり,981年に都市権を獲得。 13~15世紀にはハンザ同盟の一員として繁栄した。 1522年プロテスタント都市となり,1648年以降はブランデンブルク領に属した。 19世紀前半に,岩塩,カリウム塩,褐炭の採掘と,それを原料とする化学工業,重工業が発達。現在は周辺の肥沃な農業地帯で栽培されるテンサイによる製糖のほか,機械,食品加工,醸造・蒸留,ゴム,化学工業や採炭,カリウム塩採掘も行われる。 1694年創設のマルチン・ルター大学 (ハレ大学) のほか各種学校,博物館などがあり,教育・文化施設が充実。第2次世界大戦で戦災をこうむらなかった数少い大都市の一つで,ゴシック様式のマルクト教会 (16世紀) ,聖モーリッツ教会 (1388~1557) ,大聖堂 (16世紀) ,市庁舎 (15~16世紀) など歴史的建築物も多い。作曲家ヘンデルの生地。人口 23万2323(2010)。

ハレ
Halle

フランス語ではアル Hal。ベルギー東部,ブラバント州の都市。ブリュッセルの南郊 15km,シャルルロア=ブリュッセル運河沿岸に位置する。首都周辺の都市化,工業化が活発な地帯に属し,機械,製紙などの工場が立地。 14世紀建設のノートル・ダム大聖堂があり,有名な巡礼地でもある。人口3万 2124 (1980) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ハレ」の解説

ハレ

晴とも。ハレは,晴れあるいは公の意味を表現する。ケに対比される語であり,ハレとケに対しては,聖と俗,公と私の対語をあてはめて説明する立場がある。祭や年中行事,冠婚葬祭のような特別な行為をともない,ふだんの生活とは異なる状態をさす。まず晴れ着つまり「よそゆき」の着物を着る,餅や赤飯など特別の食物を食べる,注連縄(しめなわ)をはったり,特別に装置した場所が選ばれるなど,衣食住の生活に「ふだん」との変化がみられる。ケの状態が永続せず衰えてケガレの状況になると,人間は「ふだん」のケを維持するような試みを企てる。行事の基底には並々ならぬエネルギーが働く。それがハレの文化の基本をなす。

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百科事典マイペディア 「ハレ」の意味・わかりやすい解説

ハレ

 
169412802337002011  

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世界大百科事典(旧版)内のハレの言及

【アラビア半島】より


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【医療】より


bīmāristān1(705715)(786809)11

【紙】より


8︿

【バイト・アルヒクマ】より

…その主たる目的はギリシア語による哲学・自然科学の書物の収集と,それのアラビア語への翻訳であった。ササン朝時代のジュンディーシャープールの学院の伝統を受け継いだもので,カリフ,ハールーン・アッラシード時代の〈知恵の宝庫Khizāna al‐Ḥikma〉という図書館が直接の前身となっている。翻訳官の大部分はネストリウス派のキリスト教徒であった。…

【本】より

…ギリシア文化の継承者であったが,ネストリウス派に属していたため,ビザンティン皇帝ゼノンやユスティニアヌス1世に迫害されたシリアの学者たちはペルシアにのがれ,最後のペルシア王朝でギリシア語の書物をペルシア語に翻訳する仕事に従い,やがてアラビア人の主権が確立すると,さらにこれをアラビア語に翻訳した。すでに中国の製紙法が伝来していた8世紀から9世紀にかけて,アッバース朝の第5代のカリフとなり,学芸を熱愛したハールーン・アッラシードの治世にはバグダードに100以上の書店が数えられ,そのなかには書写本工場をもつ出版所も少なからず含まれていた。ハールーン・アッラシードの子で,アッバース朝第7代のカリフとなったマームーンは,もともとイラン文化の心酔者であったが,父王の志をついで芸文の興隆に意を注ぎ,多数の翻訳官や写字生を宮廷に集め,とくにギリシア文献の出版を奨励し,アッバース朝文運の全盛期を将来した。…

【ラッカ】より


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※「ハレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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