フマーユーン(英語表記)Humāyūn

デジタル大辞泉 「フマーユーン」の意味・読み・例文・類語

フマーユーン(Muhammad Humāyūn)

 
15081556215301556  

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改訂新版 世界大百科事典 「フマーユーン」の意味・わかりやすい解説

フマーユーン
Humāyūn
生没年:1508-56


21530-401555-561535391455556

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フマーユーン」の解説

フマーユーン
Humāyūn


150856(1530405556)

21530()()394055

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フマーユーン」の意味・わかりやすい解説

フマーユーン
ふまーゆーん
Humāyūn
(1508―1556)


2153040155556153915401540西151555

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フマーユーン」の意味・わかりやすい解説

フマーユーン
Humāyūn Nāsir al-Dīn Muhammad

 
[]1508.3.6. 
[]1556.1. 
2 ( 153056)  155513  

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旺文社世界史事典 三訂版 「フマーユーン」の解説

フマーユーン
Muhammād Humāyūn

1508〜56
インドのムガル帝国第2代皇帝(在位1530〜40,55〜56)
バーブルの子。対立者が多く,帝国の基礎が確立しないうちに,1540年アフガン人の将軍シェール=シャーに敗れ,一時サファヴィー朝に亡命した。シェール=シャーの死後,サファヴィー朝の援助の下にデリーに帰還してムガル帝国を再興した(1555)。翌年事故死したため,その子アクバルが年少で即位した。

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世界大百科事典(旧版)内のフマーユーンの言及

【デリー】より

…同朝のフィーローザーバード(1354建)はオールド・デリー南東郊に一挙に北上した。続いてスール朝のシェール・シャーにより1541年建設され,ムガル朝第2代皇帝フマーユーンにより改修されたのがプラーナー・キラーで,フマーユーンはここで死去し,その南方にあるフマーユーン廟に葬られた。 彼以後ムガル朝の首都はデリーを離れたが,第5代皇帝シャー・ジャハーンはアーグラからデリーに首都を移し,シャージャハーナーバードを建設した。…

【ムガル帝国】より

…バーブルはティムールの血を継ぐものではあるが,初期のムガル支配層には中央アジア出身のトルコ系が多く,民族的にモンゴル系とはっきりわかる者は非常に少数であったと思われる。 バーブルはローディー朝軍をパーニーパットの戦で破って帝国を創始したものの,まもなく死に,子のフマーユーン(在位1530‐40,55‐56)が跡を継いだ。フマーユーンも即位してほどなくアフガン系のスール朝のシェール・シャー(在位1538‐45)と戦って敗れインドを追われた。…

※「フマーユーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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