ボン(英語表記)Bonn

翻訳|Bonn

デジタル大辞泉 「ボン」の意味・読み・例文・類語

ボン(Bonn)

 
西1219491990西322010  

ボン(〈フランス〉bon)

多く複合語の形で用い、よい、うまい、などの意を表す。「ボンサンス」「ボンボワイヤージュ」

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精選版 日本国語大辞典 「ボン」の意味・読み・例文・類語

ボン

 

(一)( Bonn ) 西
 

ボン

  1. 〘 名詞 〙 ( [フランス語] bon ) 多く複合語の形で用い、よい、うまい、などの意を表わす。「ボンサンス」「ボンボヤージュ

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改訂新版 世界大百科事典 「ボン」の意味・わかりやすい解説

ボン
Bonn


西311938200443西1969Bad Godesberg89010Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität161688-172317861818329114mVilla Hammerschmidt

 宿BonnaCastra Bonnensia41016011794181518219484969


1150-122412西西H.Reichle1600-10殿1920

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボン」の意味・わかりやすい解説

ボン
ぼん
Bonn


西308900200219901949西1969

 1317371949沿西沿13DAAD使

 

歴史


992113121244500017()179818151777181314

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボン」の意味・わかりやすい解説

ボン
Vonn, Lindsey

 
[]1984.10.18. 
199911142003 20042006 20070862009220103 2009103320124  

ボン
Bonn

ドイツ西部,ノルトラインウェストファーレン州南部の都市。ライン川沿岸に位置する。 1949年以降西ドイツの首都であったが,90年東西ドイツの統合に伴い,ベルリンが首都に定められた。北ドイツ低地のケルン湾入部からミッテルゲビルゲ (中位山地) に移る地点にあり,古来,交通・軍事上の要地で,ローマ人が城塞を築いた (50頃) 。4世紀にフランク人が修道院を中心に集落を形成。その後,周辺の漁業集落などを合せて中世都市を形成。 1273~1794年にはケルン選帝侯兼大司教の居地となった。 1700年頃に建設された選帝侯の城館は,1818年以来,総合大学に利用されている。美しい風景に恵まれ,年金生活者の多い住宅・別荘都市ならびに大学都市として知られてきたが,西ドイツの首都となって以後は変貌。ドイツ連邦共和国政府諸機関,外国公館が多数立地し,行政・住宅機能が急激に拡大強化された。左岸上流のバートゴーデスベルクや対岸のボイエル,ケーニヒスウィンター,バートホンネフなどで郊外化が進み,69年に市域を拡張した。市の中核は,広場・市庁舎・聖堂などのある旧市街,大学地区,連邦行政地区に分れている。工業では,陶磁器,事務用機器,化学製品,医科学機器の生産に特色がある。ベートーベンの生地で,音楽,演劇などの文化活動が盛ん。現在連邦議会および政府はなおボンに所在しているが,21世紀初頭には,いずれもベルリンへ移転の予定である。人口 31万9841(2010)。

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百科事典マイペディア 「ボン」の意味・わかりやすい解説

ボン

ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。ケルンの南約15km,ライン川に臨む。ボン大学,ポッペルスドルフ宮,ミュンスター教会やベートーベンの生家などがある。起源はケルト人の集落と推定され,ローマ時代は軍団の駐屯地であった。1265年―1794年はケルン大司教の居住地。1949年―1990年西独の首都,1969年隣接の10市町村を合併。32万7900人(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボン」の解説

ボン
Bonn


宿1218151949西

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旺文社世界史事典 三訂版 「ボン」の解説

ボン
Bonn

ドイツ連邦共和国の西部,ライン川に臨む都市
ケルン集落,ローマ要塞をへて,13〜18世紀にケルン大司教所在地として栄えた。1949年の憲法制定議会でここが西ドイツの臨時の政府所在地となったがドイツ統一により,90年に首都はベルリンに戻った。ベートーヴェンの生地としても知られている。

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