マルコーニ(英語表記)Guglielmo Marconi

デジタル大辞泉 「マルコーニ」の意味・読み・例文・類語

マルコーニ(Guglielmo Marconi)

[1874~1937]イタリアの電気技術者。ヘルツ電磁波を応用して無線通信装置を1895年に発明し、無線会社を設立。1901年に大西洋を越えての通信に成功した。1909年、ノーベル物理学賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「マルコーニ」の意味・読み・例文・類語

マルコーニ

  1. ( Guglielmo Marconi グリエルモ━ ) イタリアの発明家。一八九五年電磁波による無線通信機を発明、九七年にはロンドンマルコーニ無線電信会社を設立し、英仏間および大西洋横断の通信を成功させ、船舶の無線電信の道を開いた。一九〇九年ノーベル物理学賞受賞。(一八七四‐一九三七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルコーニ」の意味・わかりやすい解説

マルコーニ(通信機器メーカー)
まるこーに
Marconi plc

イギリスの大手通信機器メーカー。前身は同国最大の総合電機メーカーであったゼネラル・エレクトリックGeneral Electric Co.(GEC)。1990年代なかば以降、事業の重点をIT(情報技術)と通信に置いたのに伴い、1999年に社名をマルコーニに改称した。同社の歴史はイギリスの電気・電子産業の歴史そのものでもある。なお、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)とGECは無関係である。

[安部悦生]

19世紀の創業とその後の発展


1880Gustav Binswanger18551910ByngHugo Hirst186319431886General Electric Apparatus Co.188818891893

 19001900使GECGEC19061910194337

 GEC1500019191920National GridGECGECAllied Electrical IndustriesAEIEnglish ElectricEE


1960~1980年代

しかし、第二次世界大戦後はGECの好調にも陰りがみえ始め、規模の小さな同業のラジオ・アンド・アライド・インダストリーズRadio and Allied Industries(RAI)と1961年に合併することになる(形はGECによるRAIの吸収)。RAIのマネージング・ディレクターであったアーノルド・ウェインストックLord Arnold Weinstock(1924―2002)は、1963年にGECのマネージング・ディレクターに就任すると、GECの活性化に着手した。

 彼は他社の買収に積極的に打って出て、1967年GECよりもはるかに規模が大きかったAEI社を合併し、翌年にはEEを吸収した。AEIはブリティッシュ・トムソン・ヒューストンBritish Thomson Houston(BTH)、エジソン・スワンEdison Swan、メトロポリタン・ビッカーズMetropolitan-Vickersなどの有力製造子会社を擁し、EE社はマルコーニ、エリオット・ブラザーズElliot Brothersなどの著名な子会社を有していた。とくに今日のルーツとされるマルコーニ社は、無線通信の創始者で知られるイタリア人のグリエルモ・マルコーニによって設立されたWireless, Telegraph and Signal Co.(1897年創業)を起源とし、1946年にEE社に買収され、子会社となっていた。

 ウェインストックの下でGECは好業績をあげ、1980年代には15億ポンドの現金資産をもつ優良企業となった。1989年ドイツのジーメンスと共同で軍需関連メーカーのプレッシーPlesseyを買収、また同年フランスの通信機器大手CGE(現、アルカテルAlcatel)と共同で発電・送電など重電子会社のGECアルストムGEC Alsthomを設立した。ハーストと同様にGECの発展に大きな功績を残したウェインストックは1996年に引退して名誉会長となった。1992年時点で、GECの売上げは94億ポンド、利益は8億ポンドに上り、従業員数10万人を超えるイギリス最大の総合電機メーカーであった(イギリス国内だけで約7万5000人)。

[安部悦生]

1990年代の事業再編


1990GECGEC1990GECGEC Plessey Semiconductors

 1999Marconi Electronic SystemsBritish AerospaceBAE11IT2000IT200282003Marconi plcMarconi Corporation plc20054BT2006122006telent plc



19871997David J. Jeremy ed.Dictionary of Business Biography ; a biographical dictionary of business leaders active in Britain in the period 1860-19801984, Butterworths, LondonStephen ArisArnold Weinstock and the making of GEC1998, Aurum Press, LondonGretchen Antelman, Thomas Derdak ed.International Directory of Company Histories Vol. 1-50St. James Press, Chicago

マルコーニ(Guglielmo Marconi)
まるこーに
Guglielmo Marconi
(1874―1937)

イタリアの無線通信発明家、企業家。ボローニャの富裕な実業家を父として生まれ、少年時代は正規の学校教育を受けず家庭教師に学んだ。電気に興味をもっていることに気づいた母はリボルノ工科大学の教授を雇って家で教えさせ、彼は同大学でいくつかの講義を聞いた。1894年H・R・ヘルツが没し、彼の業績の記事を電気雑誌で読むうちに、ヘルツ波の応用を考え付き、父の住宅で無線電信の実験を開始した。まず、空気中でなくワセリンの中で火花放電させるリーギAugust Righi(1850―1921)の強力型発振器を採用して通信距離を延ばし、次に、1対の放電用金属球の一方を鉛直に高く張った針金つまりアンテナにつなぎ、他方を地面にアースする方法をとった。アンテナの上端にはアンテナの回路の電気容量を増すためのくふうをした。受信器のほうは感度を増すためにコヒーラー(検波器の一種)を改良し、これに鋭敏な電信用リレー(継電器)をつないでモールス印字器を作動させた。このようにそれまでのさまざまな発明を巧みに結合し、それを完成させたのは1895年末であった。同じころロシアのポポフも別に無線電信機を発明した。

 1896年母とともにイギリスに渡って無線電信に関する特許を取得、ロンドンの中央郵便局で最初の公開実験を行って成功した。1897年ロンドンにマルコーニ無線電信会社を創立、ドーバー海峡でイギリス―フランス間の通信を実現した。大西洋を隔てた送受信は1901年12月12日コーンウォール州ポルデュとニューファンドランドのセント・ジョンズとの間で歴史的な成功を収めた。初め無線通信は海底電信事業から激しい抵抗を受けたが、対船舶または船舶対船舶の通信で画期的な効果をあげ、無線電信の独壇場となった。

 単一アンテナによる同調式および多重電信同調の方式(1901)、磁気波器(1902)、水平指向性アンテナ(1905)などを発明し、その後は彼の会社にJ・A・フレミングら多くの科学者を顧問に迎え、通信距離の延長、同調の改善、空電、混信の除去など無線通信の技術的向上に努めた。1909年K・F・ブラウンとともに無線通信の発展に対する貢献によりノーベル物理学賞を受賞。1919年のパリ平和会議ではイタリア全権代表を務めた。1924年には大英帝国全土を短波ビームで結ぶ無線システムの提案が受け入れられて彼の会社が建設した。1933年(昭和8)世界周遊の途上で来日し、大歓迎された。

[山崎俊雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「マルコーニ」の意味・わかりやすい解説

マルコーニ
Guglielmo Marconi
生没年:1874-1937


H.A.Righi1850-1921189435km96︿1900調01西0709

 1GERCA11C.F.Franklin700︿1920

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百科事典マイペディア 「マルコーニ」の意味・わかりやすい解説

マルコーニ

イタリアの電気技術者。1895年A.S.ポポフとは独立に無線通信の実験を行い,1899年イギリス海峡横断の,1901年大西洋横断の無線通信に成功。1909年ノーベル物理学賞。また事業家としてもすぐれ,1897年ロンドンに無線電信会社(のちのマルコーニ無線会社)を創立。各国に子会社を有し,欧米の無線事業を独占,イタリアの政治にも活躍した。アメリカ・マルコーニ会社は1919年ゼネラル・エレクトリック社に買収され,新会社RCAとなる。
→関連項目電信ブラウン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルコーニ」の意味・わかりやすい解説

マルコーニ
Marconi, Guglielmo

[生]1874.4.25. ボローニャ
[没]1937.7.20. ローマ
イタリアの物理学者,電気技師。資産家の次男に生れ,リボルノの工業学校で物理学を学んだ。 H.ヘルツの電磁波の発見を知り,これを通信装置に応用することを試みて成功 (1895) 。 1896年ロンドンに渡り,イギリスでの無線電信の特許を取るとともに,イタリア,アメリカなどに無線電信会社を設立。さらに年々改良を加えて通信距離を延ばし,1901年大西洋をへだてた通信に成功した。 02年磁針検波器を,07年円板放電器を発明。第1次世界大戦中に短波の長所に注目し,その後は短波通信技術の開発に献身した。 09年 K.ブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞したほか,19年にはパリ講和会議のイタリア全権大使,29年に侯爵に叙せられるとともに上院議員に任命され,また 30年イタリア王立アカデミー総裁に選ばれた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マルコーニ」の解説

マルコーニ
Guglielmo Marconi

1874~1937

無線電信を完成したイタリアの電気技術者,発明家。ヘルツが発見した電磁波を利用して,1895年に無線電信の実験に成功した。さらに1901年には大西洋横断無線通信に成功した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マルコーニ」の解説

マルコーニ
Guglielmo Marchese Marconi

1874〜1937
イタリアの電気技術者
1895年無線電信機を発明。1898年イギリス・フランス間の,1901年には大西洋を隔てた無線通信に成功し,09年ノーベル物理学賞を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のマルコーニの言及

【電波】より

… ヘルツの実験は各国の物理学者により追試が盛んに行われたという。しかし,電波応用の歴史は,発明家G.マルコーニによって開かれた。マルコーニは20歳のとき,ヘルツの実験を知り,コイルやコヒーラー(鉱石検波管の一種)を用いて実験を行い,95年には,10m離れたところから,電波でベルを鳴らすような装置を作ることに成功したという。…

※「マルコーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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