ブラウン(英語表記)Karl Ferdinand Braun

デジタル大辞泉 「ブラウン」の意味・読み・例文・類語

ブラウン(Robert Brown)

 
17731858  

ブラウン(Gordon Brown)

[1951~ ]英国の政治家。労働党。大学講師・テレビ記者を経て、1983年に下院議員に当選。1997年から10年間ブレア政権の蔵相を務め、不況から安定成長へと経済を回復させた。2007年にブレアの後任として首相に就任。→キャメロン

ブラウン(Samuel Robbins Brown)

[1810~1880]米国の改革派教会の宣教師。1859年(安政6)来日、横浜でブラウン塾を開き、教育・伝道に努め、植村正久ら多数のキリスト教指導者を育成。また、新約聖書の翻訳に尽くした。1879年(明治12)帰国。
 

Karl Ferdinand Braun

 
185019181909G  
 

brown

 

[]  

 

John Brown

 
17351788  

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精選版 日本国語大辞典 「ブラウン」の意味・読み・例文・類語

ブラウン

  1. [ 一 ] ( John Brown ジョン━ ) アメリカ合衆国の奴隷制廃止運動家。奴隷の蜂起を画策してバージニア州ハーパーズフェリーの連邦武器廠を襲撃したが、失敗に終わり、処刑された。(一八〇〇‐五九
  2. [ 二 ] ( Karl Ferdinand Braun カール=フェルディナント━ ) ドイツの物理学者。ブラウン管の発明、電気計の改良、無線電信の研究などの業績がある。一九〇九年マルコーニと共にノーベル物理学賞受賞。(一八五〇‐一九一八

ブラウン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] brown ) 褐色。茶色。
    1. [初出の実例]「第三十六等 フラウンと云色に製す」(出典:西洋料理通(1872)〈仮名垣魯文〉三)

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改訂新版 世界大百科事典 「ブラウン」の意味・わかりやすい解説

ブラウン
Karl Ferdinand Braun
生没年:1850-1918


H.L.F.von187097W.W.K.1909G.1898A.SlabyAEG21903141U


ブラウン
Wernher von Braun
生没年:1912-77

ドイツ生れのアメリカのロケット技術者。ビルジッツの生れ。少年のころに読んだH.オーベルトの《惑星間空間へのロケット》に刺激を受け,宇宙ロケットの研究を志す。ベルリン工科大学に学び,34年にはベルリン大学から液体ロケットに関する研究により学位を取得,一方,この間オーベルトの助手として小型ロケット実験を行っていた。彼の研究は早くからドイツ陸軍の注目を引き,1932年ベルリン工科大学在学中からドイツ陸軍の文官として採用され,やがてペーネミュンデにおいてロケット兵器V2号を開発するチームを率いることになった。V2号は本来宇宙旅行用として構想されていたもののうちのもっとも小型のものであったが,現在の宇宙用ロケットの先駆をなすものである。第2次世界大戦後,その設計チームとともにアメリカに渡り,残ったV2号の実験を継続,50年からはハンツビルの米陸軍ミサイル開発部隊の指導をした。55年アメリカに帰化。当初アメリカは彼をあまり重用しなかったが,ソ連のスプートニクに対抗していたバンガード計画の失敗が続いたことから,彼のチームが急きょかり出され,58年アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号の打上げを成功させた。その後NASAの発足とともに,ロケット開発の中心マーシャル宇宙飛行センターにおいて,アポロ計画用サターンV型ロケットの開発を指導,69年のアポロ11号による人類の月面着陸の成功に多大の貢献をした。次いでNASAの将来計画副長官として有人火星飛行計画を作成したが,アメリカの宇宙予算削減に伴い受け入れられず,72年半ば失意のうちにNASAを去り,フェアチャイルド社へ移った。
執筆者:


ブラウン
George Brown
生没年:1818-80


183843L.M.R.515821855西︿2︿︿J.A.64︿調656773退80


ブラウン
Ernest William Brown
生没年:1866-1938

アメリカの天文学者。イギリスの生れ。1887年にケンブリッジ大学の数学卒業試験を上位の成績でパスして特別研究員となった。91年にアメリカに移り,93年ハバーフォード単科大学数学教授となり,学生時代にG.W.ヒルの理論を学んで以来,ずっと関心をもってきた月運動論の研究に専念した。97年に母校ケンブリッジ大学の学位を取得,またローヤル・ソサエティ会員となった。1907年にブラウンは月運動表の計算と出版に理解を示したイェール大学に移り,32年まで数学教授を務めた。ブラウンの月運動論はヒルの理論を引き継ぎ発展させたもので,研究論文は1896-1910年に数次にわたって発表され,またそれに基づいた《月運動表》全3巻は1919年に刊行された。そしてそれまで用いられてきたP.S.ハンセンの表にかわって,1923-59年各国の天体暦に採用された(1960年以降はコンピューターで直接ブラウンの理論式を計算する方式に変更された)。1923年科学アカデミー会員に選ばれ,37年ワトソン牌受賞。著書に《月運動論》(1896),《惑星理論》(シュックC.A.Shookと共著,1933)がある。
執筆者:


ブラウン
Charles Brockden Brown
生没年:1771-1810

アメリカ最初の職業的作家といわれる。フィラデルフィアのクエーカー教徒の商人の家に生まれ,法律を学んだが,1797年に女権論を出版したのを皮切りに健筆をふるった。彼の小説では《ウィーランド》(1798),《エドガー・ハントリー》《オーモンド》《アーサー・マービン》(いずれも1799)の4編が有名である。先の2編は18世紀末にイギリスで流行したゴシック・ロマンスの型をアメリカの舞台に応用したもので,今日にいたるまで連綿とつづくアメリカ文学におけるゴシック的伝統のさきがけと考えられる。しかしその健筆ぶりにもかかわらず収入は乏しく,そのため雑誌編集を試みるが成功せず,フィラデルフィアの家に戻って家業を手伝いながら執筆活動や雑誌編集をつづけた。J.F.クーパー,N.ホーソーン,E.A.ポーなどはブラウンの影響をどこかに受けているという意味で,歴史的には逸することのできない作家である。
執筆者:


ブラウン
John Brown
生没年:1800-59


underground railroad使1855565591021122


ブラウン
Thomas Browne
生没年:1605-82


︿16431646西姿1658


ブラウン
Lancelot Brown
生没年:1716-83

風景式庭園を完成させたイギリスの造園家,建築家。ノーサンバーランド州出身で,1740年にバッキンガムシャーのストウStoweの庭園師となり,ケントとともに造園に携わる。以後,クルーム・コート(ウォーセスターシャー,1752),ブレニム宮殿(オックスフォード近郊,1769),クレアモント邸(サーレー,1772)など200を超す庭園計画に携わる。敷地のもつ〈可能性〉を十分生かした土地改造方法を唱えたことから,〈ケーパビリティ・ブラウンCapability Brown〉とあだ名される。自然美を造園の基準にすべきだという彼の考え方は,レプトンHumphry Repton(1752-1818)へと引き継がれた。
執筆者:


ブラウン
John Brown
生没年:1735-88


1824Alexander Monro1697-176751780Elementa Medicinae︿


ブラウン
Ott Braun
生没年:1900-74


1192628323949=1975


ブラウン
Ford Madox Brown
生没年:1821-93


184445︿


ブラウン
Samuel Robbins Brown
生没年:1810-80

アメリカの改革派教会宣教師。中国の澳門(マカオ)で宣教し,一度帰国のあと1859年(安政6)来日,67年(慶応3)の帰国まで英語の教授と宣教にあたった。62年(文久2)には日本語会話修得のための《コロクイアル・ジャパニーズ(英和俗語辞典)》を出版した。69年(明治2)再び来日し横浜修文館で英語を教えたが,73年塾を開設,井深梶之助,植村正久,本多庸一ら日本基督教会の指導者となる人々を育てた。新約聖書翻訳の委員ならびに委員長として努力したが,病気のために完成を見ずに79年帰国した。
執筆者:


ブラウン
Robert Brown
生没年:1773-1858


1798-1805M.J.1838T.1839


ブラウン
Nathan Brown
生没年:1807-86

アメリカ・バプティスト自由伝道協会の日本派遣宣教師。ビルマ(現ミャンマー)とアッサムで23年間宣教,アッサム語訳の新約聖書を完成(1838)した。のち帰国し,《アメリカン・バプティスト》誌の主筆となり奴隷制度の廃止にも努めた。1873年来日,横浜第一浸礼教会を設立。聖書邦訳の共同委員会に加わったが,〈バプテスマbaptisma〉の訳語を〈洗礼〉ではなく〈浸礼〉とすることを主張して辞任,79年独自に新約聖書の日本最初の全訳刊行を果たした。横浜で没。
執筆者:


ブラウン
Robert Browne
生没年:1550ころ-1633


︿Brownists


ブラウン
Edward Granville Browne
生没年:1862-1926


1887-88調綿87

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図書館情報学用語辞典 第5版 「ブラウン」の解説

ブラウン

 
1862-191420Manual of Library Economy1902, 19073192071961Subject Classication1906

出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報

百科事典マイペディア 「ブラウン」の意味・わかりやすい解説

ブラウン

米国のソウル,ファンク歌手。貧しい家に生まれ,プロ・ボクサーなどを経験した後,〈フェイマス・フレイムス Famous Flames〉の前身となるバンドを結成,ゴスペル・ソングの影響を受けたリズム・アンド・ブルースを演奏した。1956年発表の《プリーズ,プリーズ,プリーズ Please, Please, Please》,1958年発表の《トライ・ミー Try Me》で注目を集め,黒人大衆音楽の中心的存在となった。1960年代後半からは,〈ジェー・ビー・ズ JBs〉を率いて16ビートを基調としたファンクへと移行,1970年に発表した《セックス・マシーン Sex Machine》に見られるスタイルを確立した。黒人としてのアイデンティティを強く表明した歌詞にも特徴があり,後の黒人音楽の発展のみならず黒人文化へも大きな影響を及ぼしている。
 

 
191936A4V219551960NASA()
 

ブラウン

イギリスの政治家。スコットランドの牧師の家に生まれ,オックスフォード大を卒業。1983年労働党から下院議員選挙に出馬して当選し,ブレア政権で10年間財務相を担当して実績をあげる。2007年ブレアの後継者として労働党党首,首相に就任した。外交・内政ともブレア政権を引き継ぐ方針を打ち出したが,2008年地方選で労働党は大敗を喫し,党勢立て直しを迫られている。
→関連項目イギリス労働党
 

 
17981799180017991799  
 

 
188318951887=18971909  

ブラウン

米国のオランダ改革派教会宣教師。中国伝道ののち1859年来日。ブラウン塾を開いて神学教育に当たり,井深梶之助植村正久等を育てた。新約聖書翻訳委員長として聖書邦訳に尽力。1879年帰国。
→関連項目明治学院
 

 
18461852185318521865  
 

 
 

ブラウン

英国の医師,随筆家。信仰と理性の問題を扱った《医師の宗教》(1643年),俗信・迷信を批判した《迷信論》(1646年),霊魂不滅論を展開した《壺葬論》(1658年)などは17世紀散文の代表的文体といわれる。

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朝日日本歴史人物事典 「ブラウン」の解説

ブラウン

没年:1880.6.20(1880.6.20)
生年:1810.6.16
幕末明治のキリスト教牧師,英語教師,聖書翻訳者。アメリカのコネティカット州イーストウィンザー生まれ。父は職人でティモシィ,母は賛美歌の作詞者でもあった信仰篤いフィービ・ヒンスデイル。アマースト大学,エール大学に学び,ニューヨークのユニオン神学校を卒業後,1838年から47年までマカオ,シンガポール,香港で伝道。帰国後はダッチリフォームド教会の牧師。安政6(1859)年,満49歳で家族と共に開港直後の横浜に来て,日本語研究とキリスト教伝道と聖書翻訳事業に着手した。新潟の英学校,横浜の修文館,私塾「ブラオン」塾などで英語を教え,教え子からは井深梶之助,押川方義,植村正久,本多庸一など,日本プロテスタント史上の重要人物が輩出した。またヘボン,グリーンと協力して新約聖書の日本語訳に取り組んだ(1880年刊)。明治12(1879)年帰米,マサチューセッツ州モンソンにて永眠。

(加納孝代)


ブラウン

没年:明治19.1.1(1886)
生年:1807.6.22
明治期のアメリカ・バプテスト派の宣教師。アメリカ初の海外派遣宣教師のA.ジャドソンの要請に応じ,1832年ビルマに赴き,のちインドの奥地アッサムに転じてアッサム語新約聖書,文法書などを出版。1855年帰国し『アメリカン・バプティスト』編集者,海外伝道通信書記,奴隷解放論者として活躍。明治6(1873)年来日,同年の禁教令撤廃直後,横浜第一浸礼教会(横浜教会)を設立,初代牧師となる。聖書翻訳委員に選ばれるが,「バプテスマ」の訳などで対立,委員を辞し,J.ゴーブルの方針を継承し,平仮名で大衆向け新約聖書『志無也久世無志与』を同12年に単独刊行した。2番目の妻シャーロットは夫の死後,C.A.サンズの女子寄宿生を引き継ぎ,いまの捜真女学校の草創期を支えた。<参考文献>『関東学院百年史』『捜真女学校九十年史』

(小檜山ルイ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

化学辞典 第2版 「ブラウン」の解説

ブラウン
ブラウン
Brown, Herbert Charles

ロンドン生まれのアメリカの化学者.両親はウクライナ出身のユダヤ系移民.1938年シカゴ大学より学位を取得後,同大学の研究助手を経て,ウェイン大学助教授,そして1947年にはパーデュー大学教授となり,1978年名誉教授となった.シカゴ大学研究助手時代にH.I. Schlesinger教授とともにホウ素化合物とその反応について研究し,ホウ素化合物ジボランの簡単で収率の高い合成法を考案した.また,テトラヒドロホウ酸ナトリウムの簡単な合成法も発見したが,この試薬は,以後きわめて用途の広い還元試薬として利用されるようになる.1955年には,ジボランを炭素の二重結合をもつ有機化合物と反応させて有機ホウ素化合物を合成したが,この生成物は有機合成化学において,大変有用性の高い物質である.以上の功績により,1979年ノーベル化学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

色名がわかる辞典 「ブラウン」の解説

ブラウン【brown】

 
JIS  

出典 講談社色名がわかる辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブラウン」の解説

ブラウン Brown, Donald

1905-1980 アメリカのジャーナリスト。
1905年6月24日生まれ。昭和8年来日,「ジャパン-アドバタイザー」(現「ジャパン-タイムズ」)の記者となる。21年GHQ民間情報教育局情報課長として再来日。日本アジア協会副会長をつとめ,日本文化を海外に紹介した。おおくの蔵書は横浜開港資料館に所蔵されている。昭和55年5月17日日本で死去。74歳。オハイオ州出身。ピッツバーグ大卒。

ブラウン Brown, Samuel Robbins

1810-1880 アメリカの宣教師。
1810年6月16日生まれ。安政6年(1859)アメリカのオランダ改革派教会から派遣されて来日,明治2年再来日。新潟英学校,横浜修文館でおしえたのち,6年横浜にブラウン塾をひらき,植村正久(まさひさ),本多庸一(よういつ)らをそだてた。12年帰国。1880年6月20日死去。70歳。コネティカット州出身。ユニオン神学校卒。

ブラウン Brown, Nathan

1807-1886 アメリカの宣教師。
1807年6月22日生まれ。ビルマ,インドのアッサムでの伝道をへて明治6年(1873)来日,横浜の山手に横浜第一浸礼教会(現日本バプテスト横浜教会)を設立。独力で日本初の全訳新約聖書「志無也久世無志与(しんやくぜんしよ)」を完成させた。明治19年1月1日横浜で死去。78歳。ニューハンプシャー州出身。ウィリアムズ大卒。

ブラウン Brown, Albert Richard

1839-1913 イギリスの航海士,技師。
慶応2年(1866)P&O汽船の航海士として来日。明治2年灯台と浮標設置のための灯台船船長として工部省にやとわれる。7年台湾出兵の際は兵員輸送にあたり,18年日本郵船誕生でゼネラルマネージャー。22年離日。1913年12月死去。74歳。ハンプシャー州出身。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブラウン」の解説

ブラウン
John Brown

1800~59

アメリカの奴隷制廃止論者。奴隷に武器を与えてみずからの解放のために立ち上がらせることを計画し,少数の同志とともに1859年ヴァージニア州にある連邦兵器庫を襲ったが,捕えられ死刑に処せられた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ブラウン」の解説

ブラウン

生年月日:1866年11月29日
アメリカの天文学者
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ブラウン」の解説

ブラウン

ジョン=ブラウン

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブラウンの言及

【プロイセン】より


 192033Otto Braun(18721955)

【宇宙飛行】より

…とくに第1次世界大戦後は宇宙飛行を目標にした研究が盛んになり,23年にいたって,H.オーベルトは《惑星間空間へのロケット》という本を出して,この中で理論だけでなく,具体的な提案を行い,またみずから小型のロケット実験を開始した。このときこのグループの一員であった少年フォン・ブラウンは,後にV2号という本格的なロケット兵器を開発したが,彼自身はあくまで宇宙飛行のためのロケットと考えていた。彼はドイツの敗戦によってアメリカの捕虜となり,以後はアメリカでロケットの研究を続けた。…

【オーベルト】より

…これは29年に出版された《宇宙飛行への道》とともに彼の深い見識を示したものであり,その当時イオンロケットの出現をも予測していたほどである。彼は1927年に設立された〈ドイツ宇宙旅行協会〉の顧問であったが,そこで当時助手の一人であったW.vonブラウンと出会っている。40年ドイツ市民権を得た彼は,ペーネミュンデでブラウンらとともにV2(A4)ロケットの開発に参加した。…

【アメリカ文学】より



(19)
 18C.B.西W.(1809)(1824)

【月運動論】より


E.W.1600使5

【庭園】より

…この設計は最初ブリッジマンCharles Bridgeman(?‐1738)によって行われ,彼は庭と外界の境に一種の堀割であるハハーHahahを導入して,何さえぎるものなく眺望が周囲の自然にとけ込んでいくように工夫した。ストーは以後,ブリッジマンと協同したバンブラー,ケント,ギブズ,ブラウンといった名手たちがつぎつぎに手を加えた記念碑的な庭園となる。風景式庭園のさまざまな相を一つに集めた庭として,いまに伝えられている。…

【ブレニム宮殿】より


L. 

【被子植物】より


R.Brown(1827)A.Braun(1864)

【裸子植物】より


A.P.de Candolle(1813)()()R.Brown(1827)1851W.Hofmeister

【ウィーナー過程】より

…時間とともに変化する偶然現象の数学的模型である確率過程のうちで,もっとも代表的なものである。初め,イギリスの植物学者R.ブラウンが顕微鏡で水中にある花粉から出る微粒子を観測しているうちに,それらが激しい不規則運動をしていることを発見した。この運動は,後に水の分子が微粒子と無数といってよいほど頻繁に衝突することによって起こるものであることがわかり,ブラウン運動Brownian movementと呼ばれるようになった。…

【被子植物】より


R.Brown(1827)A.Braun(1864)

【ブラウン運動】より

…この運動を初めて観察したのはイギリスのニーダムJohn Tuberville Needham(1713‐81)で,1740年のことといわれているが,当時はこの動く微粒子が動物の精子にあたるのだろうと考えられていた。その後,1826年になって,イギリスの植物学者R.ブラウンがこの動く微粒子の運動をもっとよく調べようとした動機も,植物の受精の研究だった。微粒子の運動が水の対流や振動にひきずられて起こっているのだとは思えない。…

【裸子植物】より


A.P.de Candolle(1813)()()R.Brown(1827)1851W.Hofmeister

【会衆派教会】より

…かつては組合教会と呼ばれた。16世紀イギリスのR.ブラウンらの〈分離派〉改革運動に起源をもつものでイギリスにも残るが,アメリカでさかんになった。アメリカの植民地時代の初期ピューリタン,ピルグリム・ファーザーズやマサチューセッツに上陸した人々の教派である。…

【キリスト教】より

… イギリスにおいてルター,カルバンの改革思想をうけつぎ,国教会の不徹底な改革を徹底させて近代化の道を開いたのはピューリタン(清教徒)である。R.ブラウン,グリーンウッドJohn Greenwood(?‐1593),バローHenry Barrow(1550ころ‐93)らは国教会から出て独立派independentsとなり,会議制的な長老派をも退けて個々の教会の自主性をたっとび,教職・平信徒の区別のない〈万人祭司〉を実現しようとした。これが会衆派教会(コングリゲーショナル・チャーチ)の基となった。…

【ピューリタン】より

…ただし,ピューリタンの範囲を正確に定義するのは困難で,国教会からの非分離派のカルビニスト(後の長老派),分離派のカルビニスト(後の独立派),分離派の非カルビニスト(後の諸セクト)の三者を包含する用語とするのが通説である。 エリザベス時代は,エリザベスの巧みな行政とともに,教会政治的にはホットギフトJohn Whitgift,思想的にはR.フッカーの活動によって抑止され改革の目的が達成されず,かえってR.ブラウンらの過激なピューリタン(国教会からの分離派)を生み出した。エリザベスの死後ジェームズ1世が即位したとき,ピューリタン牧師たちは〈千人請願〉を提出し改革の推進を求めたが,《欽定訳聖書》作成の願望以外はすべて受けいれられず,国教会体制はさらにひきしめられて継続することとなり,不満なグループはオランダやニューイングランドに移住するようになった。…

※「ブラウン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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