ミュンツァー(読み)みゅんつぁー(英語表記)Thomas Müntzer

デジタル大辞泉 「ミュンツァー」の意味・読み・例文・類語

ミュンツァー(Thomas Münzer)

 
14901525  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ミュンツァー」の意味・読み・例文・類語

ミュンツァー

 

(一)( Thomas Münzer  ) 
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミュンツァー」の意味・わかりやすい解説

ミュンツァー
みゅんつぁー
Thomas Müntzer
(1489ころ―1525)


1520152315248Heinrich Pfeiffer1525Philipp von Hessen150415671525515()

 調

 2018119

719611983

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ミュンツァー」の意味・わかりやすい解説

ミュンツァー
Thomas Müntzer
生没年:1490ころ-1525

ドイツの宗教改革者,再洗礼派の神学者。チューリンゲンでの農民戦争の思想的指導者。ハルツのシュトルベルクに職人の子として生まれた。ライプチヒ大学,フランクフルト・アン・デル・オーデル大学に学ぶ。聖職者となり,早くから強烈な反体制的志向をもち,ルターが宗教改革を開始すると,まもなくルターの陣営に身を投じ,カトリック教権制を激しく攻撃した。しかしルターの教義を信奉したことはなく,一方で,ドイツ神秘主義の伝統に立って,霊魂の基体における神の啓示にのみ信仰と救済の根拠を認めた。他方,ルターの推薦で説教職に就いたツウィッカウでは,幻や夢の形で聖霊の啓示を受けて終末を預言する織布職人シュトルヒNikolaus Storchのグループ〈ツウィッカウの預言者たち〉との接触を経て,堕落した既成の抑圧・依存の秩序の早急な終末と,本来の平等な神の秩序の回復,すなわち,地上における神の国の設立を主張した。重なる追放と流浪の後,ザクセン選帝侯領の小都市アルシュテットの司祭となり,教会典礼の改革と,改革された典礼の最初のドイツ語訳を行い,市民の間に急進的な宗教改革の母体として同盟を組織した。しかし,既成秩序を容認するルターの弾劾を受け,さらにザクセン選帝侯権力に妨害されたため,チューリンゲンの帝国都市ミュールハウゼンに拠点を移した。以後は,すべての聖・俗支配者を〈背神の徒〉と断罪し,現存秩序の即時の革命的変革を主張。チューリンゲンに波及した農民戦争を,背神の徒に対する〈神の選ばれた者たち〉の聖戦と解釈し,この戦争に,地上における神の国の始まりを見て,積極的に参加。指導的役割を果たしたが,諸侯の連合軍に敗れて捕らえられ,1525年5月27日,斬首された。
ドイツ農民戦争
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュンツァー」の意味・わかりやすい解説

ミュンツァー
Müntzer, Thomas

[生]1490頃.シュトルベルク
[没]1525.5.27. フランケンハウゼン
ドイツの急進的宗教改革者,アナバプテスト,1525年テューリンゲン農民一揆 (→ドイツ農民戦争 ) の指導者。いわゆるツウィッカウの予言者の一人。マルチン・ルターの推挙でツウィッカウへ説教に行ったが激しい論争を起こし,同市を退去してプラハへ,さらにザクセンへ赴き,千年至福的神秘主義と急進的社会思想とを結びつけ「神なき者ども」に対する武装闘争を組織した。しかし同地退去を余儀なくされ,ドイツ南西部の森林地帯に逃れて農民戦争に備えた。フランケンハウゼンで敗れた彼は捕えられて拷問され,カトリックに改宗させられたうえ,処刑された。その急進的態度は人々に受け入れられなかったが,神学説は大きな影響を及ぼした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ミュンツァー」の意味・わかりやすい解説

ミュンツァー

ドイツの宗教改革者。ルターの妥協的な態度にあきたらず,再洗礼派の一派を形成した。教会や国家など,堕落した既成の秩序の終焉と,本来の平等をとり戻した地上における〈神の国〉の建設を唱えた。ドイツ農民戦争ではこれを聖戦と見て,農民を指導して戦ったが,敗れて刑死した。→宗教改革

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミュンツァー」の解説

ミュンツァー
Thomas Müntzer


14901525

退

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ミュンツァー」の解説

ミュンツァー
Thomas Münzer

1488/89〜1525
ドイツ農民戦争の指導者
16世紀初頭に宣教師となってから聖霊の直接啓示と再洗礼を主張し,聖俗二元論を認め保守化したルターの改革運動の不徹底を批判。宗教的秘密結社を結成し,南ドイツの農村をめぐって農民とともに蜂起したが,1525年諸侯軍と戦って敗北,捕らえられて斬首された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「ミュンツァー」の解説

ミュンツァー

生年月日:1868年4月22日
ドイツの古典学者,古代史家
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のミュンツァーの言及

【キリスト教】より

…しかし〈ツウィッカウの預言者たちZwickauer Propheten〉に見るような熱狂も最初から存在して,これを抑えざるをえないルターの改革は,たとい教皇を悪魔として退けるにせよ,現実にはカトリック教会の慎重な改組以上のものとはなりえないことも予見されていた。 1524年春には,それまで改革の協力者だったミュンツァーによって農民運動が起こり,最初は改革に結びついていたがやがて離れ,ルターからはげしく非難されたのみならずカトリック諸侯からさらにきびしく処置された。これを契機として改革運動が民衆から離れ,以後領邦君主の利害関係が反映したり,福音主義内部での教義論争に動かされて,改革が〈同盟と信条〉のレベルで行われたことは宗教改革の限界を示すものといえるかもしれない。…

【宗教改革】より


(1522)︿1525

【チューリンゲン】より

… 16世紀に入って,チューリンゲンはドイツ農民戦争の中心の一つとなった。ミュンツァーが,1525年4月,ミュールハウゼン市を中心として農民を組織し,同市の市民・農民合同団をはじめ,フルダ修道院領,ランゲンザルツァ,エルフルトなどに農民団が結成され,多くの修道院,城砦が焼き払われた。ヘッセン方伯フィリップらの封建軍がチューリンゲンに進撃し,フランケンハウゼンの戦で農民軍を撃破したのは同年5月15日のことである。…

【ドイツ農民戦争】より

…北フランケンには,ビルトハウゼン農民団が形成され,フランケン3農民団は,5月9日,ビュルツブルク司教のマリーエンベルク城を囲んだが,攻め落とすまでにはいたらなかった。 チューリンゲン地方では,ミュンツァーを中心として運動がすすめられた。ミュンツァーは1525年3月ミュールハウゼン市の市会を改組して〈永久市参事会〉を設立し,4月下旬ミュールハウゼン市民・農民合同団を成立させ,ほかにフルダ修道院領,ランゲンザルツァ,エルフルトなどに農民団が結成され,多くの修道院,城砦を焼き払った。…

※「ミュンツァー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」