日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユーロ危機」の意味・わかりやすい解説
ユーロ危機
ゆーろきき
総論
前史
ユーロの導入
進展する金融統合と拡大するリスク
ユーロ危機の勃発
グローバル金融・経済危機の発生
ギリシア危機からユーロ危機へ
拡大するユーロ圏諸国間の格差
ユーロ危機の転機
スペインへの波及と銀行同盟構想
「ドラギ・マジック」とキプロス危機
銀行危機再発防止に向けた施策
ECBは2013年10月、2014年11月のSSM発足にあわせて、EBAとの協力のもと、ユーロ圏の大手銀行を対象とした包括的資産査定とストレステストを実施すると公表した。これを受けて、遅れていたヨーロッパの銀行の不良債権処理も本格化することになった。2014年10月に公表された結果では、SSMの監視対象となる大手130行のうち、イタリアの9行を最多に25行が資本不足と判定されたものの、ユーロ圏の銀行の健全性が高まっているとして、市場からは好感をもって受け止められた。
またグローバルなレベルでは、2008年の金融危機発生の後、EUも加わって新バーゼル合意(バーゼルⅢ)の策定が進められていたが、2013年6月の欧州理事会で、バーゼルⅢの自己資本比率規制をEUの法的枠組みに導入する自己資本比率指令(Capital Requirements Directive Ⅳ)が採択された(2014年1月より実施)。2013年12月には、キプロス危機を受けて、銀行の経営破綻に際して公的資金の投入による救済を避け、銀行の株主や債権者、経営者に破綻処理の負担を負わせるBRRD(Bank Recovery and Resolution Directive、銀行再建・破綻処理指令)も採択された(2016年1月より施行)。こうして、危機の鎮静化により、銀行危機再発防止のための一連の規制や法整備が進行することになった。
[星野 郁 2018年11月19日]
デフレ懸念の増大
ECBによる非伝統的金融政策
キプロス危機が収まって以降、ユーロ圏では、経済成長が緩やかに回復し始めた。一方で物価は下落を続け、2015年にはマイナスになるなど、デフレ傾向が鮮明となった。
ユーロ圏の物価の下落は、2013年初めごろから顕著となっていたが、ECBの利下げの余地は、それ以前の利下げによってすでに狭まっていた。ECBは2013年7月、将来の金融政策の方向性を説明する指針(フォワードガイダンス)の公表によって歯止めをねらったが、その後も物価の下落は続き、同行の目標とする2%のインフレ率の達成は困難になっていった。また、ECBの利下げによって、ドイツをはじめ北部ユーロ圏諸国の貸出金利は低下したものの、イタリアなど南ヨーロッパ諸国の貸出金利は高止まりし、単一通貨圏にもかかわらず、リテール(小口取引)金利の水準が乖離(かいり)する「金融の分断financial disintegration」現象が鮮明となった。これに加え、南ヨーロッパ諸国では銀行による貸し渋りも生じた。
ECBはこうした状況を打開するため、2014年6月よりマイナス金利を導入した。市中銀行の同行への預け金に対して利子を課すことで、資金を融資に振り向けるよう促すと同時に、ユーロ安への誘導をねらったのである。さらに、資産購入プログラムを通じて本格的な量的緩和にも踏み切った。2014年10月からは資産担保証券と担保付銀行債(カバードボンド)の買入れを、2015年3月からはユーロ圏諸国の国債や政府機関債の買入れを始め、ECBは月額600億ユーロの資金供給を行った。当初同プログラムの期間は2016年9月までとされたが延長され、2018年1月より300億ユーロに減額されて、9月末以降さらに150億ユーロに減額された後、12月末をもって終了する。また、LTORsの終了を受けて、2015年6月からは、融資を行う銀行への資金供給を目的として、期間4年の貸出条件付き長期資金供給オペレーション(TLTORs:Targeted Longer-Term Refinancing Operations)も開始され、2017年3月に終了した。このようにECBは、非伝統的金融政策も駆使しながら、デフレの解消に努めた。
[星野 郁 2018年11月19日]
ギリシア危機の再燃
2015年1月のギリシア総選挙で、反緊縮政策を掲げる急進左派連合(SYRIZA(シリザ))が勝利し、チプラスAlexis Tsipras(1974― )政権が誕生した。6月にチプラス政権は緊縮政策の緩和を求めて債権団との交渉に臨んだものの、決裂し、第二次金融支援も打ち切られた。チプラス政権は7月に国民投票を行い、緊縮政策の見直しに対する国民の支持を得て、債権団との交渉に臨んだが、再度屈服を余儀なくされ、8月に緊縮政策の継続を条件に第三次金融支援を受けることで合意。危機の悪化は回避された。
これ以降、2016年6月のイギリスの国民投票によるEU離脱(ブレグジット)の決定や、イタリアの銀行危機があったものの、景気拡大が続き、インフレ率も上昇してデフレ懸念は後退した。2017年に入ると、ユーロ圏の経済成長は加速し、アメリカのそれを上回るなど、危機からの回復が鮮明となった。
[星野 郁 2018年11月19日]
残された課題
ユーロ圏はユーロ危機を脱しつつあるものの、最終的な危機の克服までには多くの課題が残されている。
[星野 郁 2018年11月19日]
脆弱(ぜいじゃく)な南ヨーロッパ経済
南ヨーロッパ諸国の経済は、スペインを筆頭に回復傾向にあるとはいえ、成長の基盤は依然脆弱で、銀行が多くの不良債権を抱えると同時に、巨額の政府債務も存在している。また失業率も、低下傾向にあるとはいえ、若年層を中心に依然高水準にある。
イタリアは、かねてから銀行部門が脆弱であったが、2016年夏以降、同国の総資産規模第3位の大手銀行モンテ・パスキMonte dei Paschi di Sienaをはじめ、数行の経営危機が表面化した。また、巨額の政府債務を抱え、かつBRRDが2016年1月より施行されていたにもかかわらず、2017年夏にイタリア政府は巨額の公的資金を投入し、銀行の救済を図った。銀行危機とソブリン危機のループが断ち切られたとはいいがたい。ギリシアも2017年夏に債務返済に窮し、四度目となる金融支援要請を余儀なくされた。
他方、同じユーロ圏でも、ドイツやバルト諸国では好景気が続き、不動産バブルやインフレへの懸念も生まれている。ユーロ圏全体をみても、景気回復が進展しているにもかかわらず金融緩和が継続されていることで、リスクテイクの増大による資産価格高騰の兆しがうかがえる。ECBとしては、巨額の政府債務や不良債権を抱える南ヨーロッパ諸国の状況に配慮しなければならないが、インフレや資産バブルの兆候を前に、いつまでも金融緩和を継続するわけにはいかない。しかし、長く緩和を続けた後の引締めは、アメリカ同様、ユーロ圏に新たな波乱をもたらすおそれもある。ユーロ危機の収拾に絶大な貢献を果たしたドラギのECB総裁の任期も終了し、現総裁ならびに執行部は、むずかしい金融政策のかじ取りを余儀なくされている。
[星野 郁 2018年11月19日]