日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨーロッパ通貨統合」の意味・わかりやすい解説
ヨーロッパ通貨統合
よーろっぱつうかとうごう
European Monetary Union
1970年代に主要諸国は相次いで変動相場制へ移行したが、経済統合を進めるヨーロッパ共同体︵EC︶は、域内では固定相場制、域外では変動相場制という共同フロート制を採用した。しかし、その後、離脱する国が出るなど足並みがそろわなかったので、結束を強めるため、79年に域内における為替(かわせ)相場の変動幅を中心相場から上下各2.25%︵1993年に上下各15%へ拡大︶の枠内に維持することを義務づけたヨーロッパ通貨制度︵EMS︶を創立した。こうしたなかで、EC諸国は80年代になっても石油ショックから抜け切れず、経済が停滞し続け、悲観的空気が支配した。この状態を打破すべく85年に﹃域内市場白書﹄が発表され、これを契機に統合は加速した。その結果、92年末にはモノ、サービス、ヒト、カネの域内自由移動を認める市場統合が完成した。
ECはさらに究極的な政治統合をめざして、1992年にヨーロッパ連合︵EU︶条約︵マーストリヒト条約︶を締結した。世界各国が重大な関心を寄せたのは、その前段階となる通貨統合で、99年1月に経済通貨同盟︵EMU︶が発足、同時に単一通貨ユーロが導入された。
単一通貨制度のねらいは、加盟国間の貨幣的決済を一国内のそれと同じにすることである。それが実現すれば、為替リスク、為替手数料が消滅して取引コストは軽減され、各国間の経済交流はいっそう促進される。また各国間の価格比較が容易になるので競争が促進され、経済の活性化も期待される。単一通貨ユーロを発行するヨーロッパ中央銀行も設立され、ユーロ圏の通貨・金融政策を統括することになる。こうしてEUは経済的に一つの国になる。
ただし統合にあたっては、加盟国の経済的な基礎的諸条件に大きな格差があると無理が生ずる。EU条約はそのため参加基準を設定した。物価上昇率、長期金利水準、財政赤字幅、公的債務残高、為替相場の安定度のそれぞれについて限度が設けられた。これらの基準を満たして1999年1月から参加したのは、ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、アイルランド、フィンランド、オーストリア、スペイン、ポルトガルの11か国である。2001年1月からはギリシアが参加した。イギリスとデンマークは、基準を満たしてはいるが参加は見合わせ、スウェーデンは基準を満たしていない。
こうして当時のEU加盟15か国の3分の2以上が参加する大ユーロ圏が誕生した。参加国のGDP︵国内総生産︶総額は、ほぼアメリカに匹敵し、単一通貨ユーロはドルと並んでもっとも有力な国際通貨となった。さらに2002年2月末までに加盟国通貨の紙幣・硬貨をユーロに切り替える作業が終了、一般の人々も普段の買い物などの際、ユーロを使用するようになった。
﹇土屋六郎﹈
﹃桜井錠治郎著﹃EU通貨統合―歩みと展望―﹄︵1994・社会評論社︶﹄▽﹃田中素香編﹃EMS‥欧州通貨制度﹄︵1996・有斐閣︶﹄▽﹃山下英次著﹃ヨーロッパ通貨統合﹄︵2002・勁草書房︶﹄
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