下瀬火薬(読み)シモセカヤク

デジタル大辞泉 「下瀬火薬」の意味・読み・例文・類語

しもせ‐かやく〔‐クワヤク〕【下瀬火薬】

明治21年(1888)下瀬雅允まさちか創製した、ピクリン酸主体とした黄色火薬日露戦争日本海軍が使用。

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精選版 日本国語大辞典 「下瀬火薬」の意味・読み・例文・類語

しもせ‐かやく‥クヮヤク【下瀬火薬】

 

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改訂新版 世界大百科事典 「下瀬火薬」の意味・わかりやすい解説

下瀬火薬 (しもせかやく)


1859-191118931884mélinite88lyddite使8899使使1920使使TNT

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下瀬火薬」の意味・わかりやすい解説

下瀬火薬
しもせかやく
the Shimose explosive
the Shimose powder

下瀬雅允(まさちか)の研究により日本海軍の制式爆薬として1893年(明治26)に採用された軍用爆薬。その成分は長い間秘密とされていたが、下瀬火薬はピクリン酸そのものである。ピクリン酸は1885年フランス軍によって制式爆薬に採用された。下瀬は1888年にこれに着目し、ピクリン酸を弾丸に充填(じゅうてん)する方法を考案し、弾丸の炸裂(さくれつ)威力を各国に先んじて高めることに成功した。

 下瀬火薬の製造所は1899年に東京・滝野川(たきのがわ)につくられ、大量生産されて日露戦争で使われた。砲弾のみならず魚雷および機雷の炸薬として太平洋戦争終戦まで使われた。衝撃や摩擦に対する感度が高いこと、重金属と化合して非常に鋭敏なピクリン酸塩をつくること、腔発(こうはつ)(砲弾内の炸薬が発射の際の加速度により砲身内で爆発して砲身を破壊)しやすいことなどが、ピクリン酸すなわち下瀬火薬の欠点であった。

[吉田忠雄・伊達新吾]

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百科事典マイペディア 「下瀬火薬」の意味・わかりやすい解説

下瀬火薬【しもせかやく】

 
()1859-190918881893()使1920使TNT  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下瀬火薬」の解説

下瀬火薬
しもせかやく

おもに炸薬として使用された化成火薬。石炭酸から合成されるピクリン酸火薬で,フランスで1886年に発明され,軍が組成を秘密にして使用していたものを,海軍技手下瀬雅允(まさちか)がピクリン酸と看破し,生産方法を確立した。93年(明治26)海軍が採用を決定,98年から陸軍板橋火薬製造所で工業生産を開始,当時独立の火薬製造所をもたなかった海軍も,99年に下瀬火薬製造所を設けて量産した。日露戦争時に威力を発揮した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下瀬火薬」の意味・わかりやすい解説

下瀬火薬
しもせかやく
Shimose explosive

ピクリン酸を主成分とした炸薬,爆破薬。下瀬雅允が 1893年に発明し,日本海軍の制式爆薬とされた。下瀬火薬は日露戦争で使用され,大きな効果をあげたことから,その名は史上に顕著であるが,現在ではトリニトロトルエンに取って代られた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「下瀬火薬」の解説

下瀬火薬
しもせかやく

明治中期,下瀬雅允 (まさちか) が創製した強力火薬
下瀬は工部大学校化学科卒業後,海軍の技手となり,1888年新火薬の創製に成功。その後改良され,日露戦争の際威力を発揮した。

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