佐藤春夫(読み)サトウハルオ

デジタル大辞泉 「佐藤春夫」の意味・読み・例文・類語

さとう‐はるお〔‐はるを〕【佐藤春夫】

 
18921964  

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精選版 日本国語大辞典 「佐藤春夫」の意味・読み・例文・類語

さとう‐はるお【佐藤春夫】

 

(一)退退
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤春夫」の意味・わかりやすい解説

佐藤春夫
さとうはるお
(1892―1964)


2549()()()稿191043()()()()()()()1911退143()1617西()()()()

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改訂新版 世界大百科事典 「佐藤春夫」の意味・わかりやすい解説

佐藤春夫 (さとうはるお)
生没年:1892-1964(明治25-昭和39)

詩人,小説家。和歌山県新宮の生れ。生家は代々の医家。慶応大学予科中退。1910年に与謝野寛・晶子夫妻の新詩社同人となり,同年,永井荷風を慕って慶応大学に入学,以来《スバル》《三田文学》に詩や評論を発表して早熟の才を示した。この時期の詩はのちに《殉情詩集》(1921)に収められた。大正期に入ると散文への転身をはかり,17年,スランプに苦しむ自身の心象風景を描いた《病める薔薇(そうび)》を発表,これはたびたび改稿加筆されて,19年《定本・田園の憂鬱》として完成された。実質的な処女作である。しかしこの間に春夫は《西班牙(スペイン)犬の家》(1917),《或る女の幻想》《李太白》《指紋》《お絹とその兄弟》(以上1918)など多くの唯美的な作品を発表し,すでに文壇の流行作家になっていた。以後,夢と現(うつつ)との境の《美しい町》(1919),《田園の憂鬱》の後日譚《都会の憂鬱》(1922),私小説的な《佗(わび)しすぎる》(1923),頽廃的な白昼夢《女誡扇綺譚(じよかいせんきたん)》(1925),谷崎潤一郎夫人千代子との恋愛始末記《この三つのもの》(1925-26),新心理主義の手法をとった《神々の戯れ》(1927-28),《更生記》(1929),機械による人間性の喪失を予見した未来小説《のん・しやらん記録》(1929)等々,一作一作主題も方法も異なる作品を発表して多面的な才能を示した。30年に千代子と結婚。以後はしだいに東洋的な文人趣味に傾き,歴史小説《掬水譚(きくすいたん)》(1935),《有馬晴信》(1942),《戦国佐久》(1950),《極楽から来た》(1960),伝記小説《晶子曼陀羅》(1954),《小説智恵子抄》(1956-57)などに人間洞察の深さを示し,また《女人焚死(によにんふんし)》(1951),《日照雨(そばえ)》(1952)などに唯美趣味・怪奇趣味の極致を示した。ほかに評論集《退屈読本》(1926),史論《近代日本文学の展望》(1950)などがある。繊細な抒情と厳しい批評眼をあわせそなえた才人で,その活動は文学のあらゆる領域に及んでいる。一言で評すれば,華やかな憂鬱の文学といえるだろう。
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百科事典マイペディア 「佐藤春夫」の意味・わかりやすい解説

佐藤春夫【さとうはるお】

 
退19211916西退1960
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤春夫」の意味・わかりやすい解説

佐藤春夫
さとうはるお

 
[]1892.4.9. 
[]1964.5.6. 
1910 (1911)  (13) 13退17西 ()  (1稿)  (22)  (25) 退 (26)  (54)  (56)  (60)  (2728)  (29)  (29)  (50) 4860  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤春夫」の解説

佐藤春夫 さとう-はるお

1892-1964 大正-昭和時代の詩人,小説家。
明治25年4月9日生まれ。生田長江(ちょうこう),与謝野(よさの)鉄幹らに師事。「スバル」「三田文学」などに詩を発表,小説「田園の憂鬱(ゆううつ)」で注目される。大正10年「殉情詩集」を刊行。また評論随筆集「退屈読本」,中国詩を訳した「車塵(しゃじん)集」などがある。昭和35年文化勲章。昭和39年5月6日死去。72歳。和歌山県出身。慶応義塾中退。作品はほかに「都会の憂鬱」「晶子曼陀羅(まんだら)」など。
【格言など】あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ/―男ありて/今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり/さんまを食(くらひ)て/思ひにふける と。(「秋刀魚の歌」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「佐藤春夫」の解説

佐藤春夫
さとうはるお


1892.4.91964.5.6

退()西()1919(8)60(35)()退()362

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旺文社日本史事典 三訂版 「佐藤春夫」の解説

佐藤春夫
さとうはるお

1892〜1964
大正・昭和期の小説家・詩人
和歌山県の生まれ。慶大中退。初め叙情詩,のち小説に転じた。芸術至上・唯美主義的趣味とロマン主義的情感に生きた作家。代表作に詩集『殉情詩集』,小説『田園の憂鬱』など。1960年文化勲章受章。

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世界大百科事典(旧版)内の佐藤春夫の言及

【児童文学】より

…その主流はロマンティックな未明童話を頂点とする物語性のゆたかなメルヘンで,子どもの現実生活をリアルに描いた作品は少なかった。代表的な作家には,秋田雨雀,芥川竜之介,有島武郎,宇野浩二,佐藤春夫,豊島与志雄たちがいる。 大正期には児童中心主義の児童観に応ずる童心文学の主張が支配的で,それが典型的に現れたのは北原白秋,西条八十,野口雨情に代表される童謡においてであるが,この近代的詩形が日本の伝承童謡の復興を詩の精神としたことは注目すべきである。…

【殉情詩集】より

佐藤春夫の第1詩集。1921年(大正10)刊行当時までの詩約100編の中から23編が選ばれている。…

【推理小説】より

…概してフランスの推理小説はなぞ解きパズルよりは,人間心理や物語性,社会・風俗に重点を置いている。
[歴史――日本]
 明治時代の黒岩涙香などの翻訳・翻案によってイギリス,アメリカ,フランスの探偵小説(と当時は呼ばれていた)が日本に紹介されたが,創作の優れた作品といえば,大正期の谷崎潤一郎《途上》(1920),芥川竜之介《藪の中》(1922),佐藤春夫《女誡扇綺譚》(1925)などを待たねばならない。これらの作家はもちろん推理小説的作品だけを書いたわけではないが,後に日本最初の推理小説作家と呼ばれた江戸川乱歩,横溝正史(1902‐81)らは,上記の作品によって大きな刺激を受け,とくに怪奇,幻想の特色を受け継いだのであった。…

【田園の憂鬱】より

佐藤春夫の中編小説。1917年(大正6)雑誌《黒潮》に《病める薔薇(そうび)》の題で冒頭の部分が発表され,のち改題して改稿加筆され,19年新潮社刊。…

※「佐藤春夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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