佐藤紅緑(読み)サトウコウロク

デジタル大辞泉 「佐藤紅緑」の意味・読み・例文・類語

さとう‐こうろく【佐藤紅緑】

 
18741949()()  

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精選版 日本国語大辞典 「佐藤紅緑」の意味・読み・例文・類語

さとう‐こうろく【佐藤紅緑】

 

(一)()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤紅緑」の意味・わかりやすい解説

佐藤紅緑
さとうこうろく
(1874―1949)


()()退()190639()()191419171921()()19221930()192728()()19291934()193031



 19671967

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百科事典マイペディア 「佐藤紅緑」の意味・わかりやすい解説

佐藤紅緑【さとうこうろく】

 
()退1906
麿  

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20世紀日本人名事典 「佐藤紅緑」の解説

佐藤 紅緑
サトウ コウロク

明治〜昭和期の小説家,劇作家,俳人,児童文学者



生年
明治7年7月6日(1874年)

没年
昭和24(1949)年6月3日

出生地
青森県弘前市親方町

本名
佐藤 洽六

学歴〔年〕
弘前中中退

経歴
明治26年上京し、27年日本新聞社に入社、子規に俳句の手ほどきをうける。28年帰郷し、東奥日報、陸奥日報、東北日報を経て、31年富山日報主筆となり、以後も万朝報などの記者を転々とする。37年「蕪村俳句評釈」を刊行。39年戯曲「俠艶録」、小説「行火」を発表して注目され、作家となる。大正12年外務省嘱託として映画研究のため外遊。昭和2年少年小説「あゝ玉杯に花受けて」を発表し、少年少女小説の大家となる。大衆小説、婦人小説、少年少女小説と幅広く活躍し、著書は数多く、代表作に「富士に題す」「乳房」などがあり、句集も「花紅柳録」などがある。晩年「ホトトギス」同人に迎えられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤紅緑」の意味・わかりやすい解説

佐藤紅緑
さとうこうろく

[生]1874.7.6. 弘前
[没]1949.6.3. 東京
俳人,小説家。本名,洽六 (こうろく) 。中学中退後上京し陸羯南 (くがかつなん) の書生を経て新聞記者となった。一方,正岡子規の門に入り『俳句小史』 (1902) ほかの俳論書を刊行。 1906年発表の小説『行火 (あんか) 』,戯曲『侠艶録』により当時全盛の自然主義の新人として認められたが,次第に義理人情の世界を描く大衆小説に転じて,『虎公』 (15) ,『麗人』 (30) に代表される新聞小説を多く書いた。さらに『あゝ玉杯に花うけて』 (27~28) の爆発的成功により少年少女小説に新生面を開いた。作風は総じて複雑な社会を正義感を貫いて乗切る行動性で貫かれ,社会小説の先駆者ともいわれる。詩人サトウ・ハチロー,小説家佐藤愛子の父。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤紅緑」の解説

佐藤紅緑 さとう-こうろく

1874-1949 明治-昭和時代の俳人,小説家。
明治7年7月6日生まれ。サトウハチロー,佐藤愛子の父。正岡子規に俳句をまなぶ。明治39年小説「行火(あんか)」でみとめられ,のち家庭小説に転じ,「あゝ玉杯に花うけて」「英雄行進曲」など少年少女向けの作品で人気をえた。昭和24年6月3日死去。76歳。青森県出身。弘前中学中退。本名は洽六(こうろく)。作品はほかに「少年讃歌(さんか)」「一直線」など。
【格言など】二人行けど秋の山彦淋しけれ(「紅緑句集」)

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367日誕生日大事典 「佐藤紅緑」の解説

佐藤 紅緑 (さとう こうろく)

生年月日:1874年7月6日
明治時代-昭和時代の小説家;俳人
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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