加藤繁(読み)カトウシゲシ

デジタル大辞泉 「加藤繁」の意味・読み・例文・類語

かとう‐しげし【加藤繁】

 
18801949  

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精選版 日本国語大辞典 「加藤繁」の意味・読み・例文・類語

かとう‐しげし【加藤繁】

 

(一)
 

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20世紀日本人名事典 「加藤繁」の解説

加藤 繁
カトウ シゲシ

 

  





13(1880)93



21(1946)37






()




39



()



15



3940調69141116退


 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤繁」の意味・わかりやすい解説

加藤繁
かとうしげし
(1880―1946)

東洋史学者。とくに中国経済史の開拓者として知られる。島根県松江市生まれ。1906年(明治39)東京帝国大学文科大学支那(しな)史学選科卒業。臨時台湾旧慣調査会補助委員、慶応義塾大学教授、東京帝国大学教授を歴任。主著『唐宋(そう)時代に於(お)ける金銀の研究』2冊(1925~26)は、唐・宋時代に金銀地金が貨幣的機能をもって使用された事実を、くまなく集めた関係史料に批判解釈を加えて明らかにした精密な研究で、その方法と内容とにおいて画期的業績といわれ、文学博士号を得、学士院恩賜賞を贈られた。そのほか『支那古田制の研究』『支那経済史概説』『史記平準書・漢書食貨志訳註(やくちゅう)』『旧唐書食貨志・旧五代史食貨志訳註』があり、没後門下生の編集した論文集には『支那経済史考証』2冊がある。中国社会経済史学界に与えた影響は大きい。

[星 斌夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤繁」の意味・わかりやすい解説

加藤繁 (かとうしげし)
生没年:1880-1946(明治13-昭和21)


調2

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤繁」の意味・わかりやすい解説

加藤繁
かとうしげし

 
[]1880.9.3. 
[]1946.3.7. 
 1906調2536 (192526)  (25253)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤繁」の解説

加藤繁 かとう-しげし

 
18801946 -
139311,,2213767  

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百科事典マイペディア 「加藤繁」の意味・わかりやすい解説

加藤繁【かとうしげし】

 
 

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367日誕生日大事典 「加藤繁」の解説

加藤 繁 (かとう しげし)

生年月日:1880年9月3日
明治時代-昭和時代の東洋史学者。文学博士;東京帝国大学教授
1946年没

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