十人両替(読み)ジュウニンリョウガエ

デジタル大辞泉 「十人両替」の意味・読み・例文・類語

じゅうにん‐りょうがえ〔ジフニンリヤウがへ〕【十人両替】

 
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精選版 日本国語大辞典 「十人両替」の意味・読み・例文・類語

じゅうにん‐りょうがえジフニンリャウがへ【十人両替】

 

(一)   1738
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「十人両替」の意味・わかりやすい解説

十人両替
じゅうにんりょうがえ


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「十人両替」の解説

十人両替
じゅうにんりょうがえ

近世の大坂で本両替屋仲間行司のうちから選任され,御用を勤めた者。1662年(寛文2)天王寺屋五兵衛・小橋屋浄徳・鎰屋(かぎや)六兵衛の3人に輸出用小判買上を命じたのを端緒とし,70年大坂東町奉行石丸定次らが金融の統制をはかるため,資産・徳望ある10人を十人両替として登用したことから正式に発足した。その後も本両替仲間行司のうちから幕府が選任したが,実際には10人の定員に満たないことが多い。帯刀や家役減免などの特権があるが,煩雑な職務のため忌避されたからである。職務は,本両替仲間の紛争仲裁などの統轄,公金取扱い,金銀相場の報告など奉行所との連絡,新旧貨幣引替え,金銀相場・米価の調節,御用金上納関連の業務などであった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十人両替」の意味・わかりやすい解説

十人両替
じゅうにんりょうがえ

江戸幕府が大坂の本両替仲間のうちから,仲間の取締りと同時に公金の取扱い,米の買上げ,御用金の調達などの公用をつとめさせるため選任した 10人の御用両替商。制度としては寛文2 (1662) 年に始るが,天王寺屋,泉屋,鴻池屋ら 10人がそろったのは同 10年のことであった。欠員は補充されるたてまえであったが,江戸時代後期には必ずしも定員を維持してはいなかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「十人両替」の解説

十人両替
じゅうにんりょうがえ

江戸時代,大坂の代表的両替商
1670年大坂の両替商仲間が10人を選出したのに始まる。幕府御用で公金や為替を扱い,金銀相場を支配し,仲間を取り締まった。天王寺屋・平野屋・鴻池 (こうのいけ) 屋などが世襲で就任。

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世界大百科事典(旧版)内の十人両替の言及

【手形】より


使便便使(166173)使

【天王寺屋五兵衛】より

…姓は大眉氏。初代光重(1623‐94)は大坂に盛行した手形の創始者と伝えられ,1670年(寛文10)同地に組織された十人両替に選任された。以後天王寺屋は幕末までほぼ一貫してその地位にあり,幕府の御用両替として公金の出納を取り扱うとともに,雲州松平家,讃州松平家などの蔵元,掛屋を務めるなど,金融業界きっての名門であったが,明治維新の経済変動により倒産した。…

【両替】より

…両替屋名称の公認はこの年のことである。大坂には幕府公金の出納・貸付けを担当した十人両替,本両替(仲間両替),銭売買のみを務めた銭両替(南両替,三郷銭屋仲間)がいた。3者の間には上下関係,取締り関係がある。…

※「十人両替」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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