出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
殖産興業政策の一環として設立された官営毛織物工場。1876年(明治9)の大久保利通内務卿による設立建議をもとに,79年に開業。羅沙・フランネルの生産と販売による輸入代替を目的とし,所長にはドイツでの実習経験をもつ井上省三を迎えた。外国人技師の高給など生産コストが割高のため成績は芳しくなかったが,技術者の養成などで民間工場の育成に貢献した。88年に陸軍省へ移管され,第2次大戦前まで軍用絨を供給した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…明治になって官吏や軍人の洋服着用が規定され,毛織物の需要が増して輸入が増えた結果,政府は1876年製絨所を創設してドイツから製絨機械を購入,また同国から技術者を雇い入れて78年東京千住に工場を建設,翌年操業を開始した。この千住製絨所は日本最初の毛織物工場であるが,88年陸軍省に移管され,以後もっぱら軍需用の羅紗や毛布の製造を続けた。民間では明治20年代に数社が設立され,ドイツ,フランス,イギリスの機械を導入して徐々に成長を遂げていった。…
…【山根 章弘】
[近代日本の毛織物業]
明治初期には,軍服や警察・官庁の制服など官需の高まりによって毛織物の輸入は巨額になり,日本の輸入総額の20%程度を占めていた。そこで政府は外貨の節減をはかるため,勧業寮の井上省三をドイツに派遣して生産技術を学ばせ,1879年から官営(内務省勧農局所管)千住製絨(せいじゆう)所の操業を開始し,井上が所長に就任した。千住製絨所は88年陸軍省直轄となるまで,その技術を一般に公開し,民間企業の勃興を促し続けた(同製絨所はその後陸軍製絨廠南千住工場となり,第2次大戦後の1945年大和毛織に払下げ前提で貸与され,48年払い下げられた)。…
…
【日本における歴史】
[綿糸,綿布]
日本においては,1867年(慶応3)に最初の機械紡績工場である鹿児島紡績所が薩摩藩によってつくられた。明治に入り,殖産興業の名のもと繊維工業の育成政策がとられ,72年(明治5)に富岡製糸場,79年に千住製絨所など官営の工場がつくられた。とくに,輸入が急増していた綿糸・綿織物の国産化は急務であり,政府は1878年に愛知紡績所,広島紡績所の設立を企画したほか,民間業者に対する機械の払下げ,機械輸入のための資金援助などによって綿紡績業の育成を図った。…
※「千住製絨所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
6/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新