1871年(明治4),それまでの刑部省弾正台を引き継いで新設された中央官庁。司法卿(初代,江藤新平),大少輔以下の官職のもとで,聴訴・断獄の事務をつかさどり,後には検察や警察行政をも担当し,また75年には大審院を設けて後の裁判所の機能をもその機構のなかに含めた。85年内閣制度が施行されると司法卿は廃止され,かわって司法大臣(初代,山田顕義)が任命された。翌年,官制改革があり,総務のほか,民事,刑事,会計各局が置かれ,同省が大審院以下の諸裁判所を管轄することになった。87年司法省の官制はさらに整備され,検事局を監督するとともに刑事,民事,戸籍,監獄,矯正や釈放者の保護など,検察,裁判,弁護,行刑など,広範囲な司法制度全般にわたる諸権限を集中し,その官庁機構の基礎を固めた。以後,内部の部局として民事,刑事,監獄その他各局の変更があったが,その主要な特徴は,帝国憲法に規定されたように司法権は統治者としての天皇に帰属し,〈天皇ノ官吏〉としての司法大臣が裁判所をその監督下に置いていたため,国民の基本的権利が制限されていた点である。そうした司法権に対する行政権の優位,司法権の独立に対する相対的制限を前提とした戦前の司法制度は,戦後の日本国憲法制定により,国民の基本的人権を尊重する立場から1948年,司法省が廃止され,新たに法務庁(後の法務省)の設置が実現した。
執筆者:石塚 裕道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
近代において司法行政事務を担当した政府の中央官庁。1871年(明治4)7月,刑部省・弾正台を廃止して太政官の1省として設置。裁判権を管掌。長官は司法卿(初代江藤新平)。75年大審院の設置により裁判権を移譲し,司法行政機関として裁判所の監督,検察の統轄にあたった。85年内閣制度の確立により内閣の1省となった。初代司法大臣は山田顕義。翌年司法省官制を公布,省内に大臣官房および総務・民事・刑事・会計の各局がおかれた。その後監獄業務を内務省から移管し,監獄局を設置。昭和期に入り少年犯・思想犯保護業務を管轄。敗戦後の1947年(昭和22)日本国憲法施行とともに全面的機構改革が進み,48年廃省となり法務庁が新設された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…なお,行政組織上検察を包む体制となっており,また,裁判所との連絡や司法制度等をも担当している。 1871年(明治4)設置の司法省が1948年法務庁に,さらに49年法務府に改められ,52年法務省とされて今日に至っている。その内部組織は大臣官房および民事局,刑事局,矯正局,保護局,訟務局,人権擁護局,入国管理局の7局からなっている。…
※「司法省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...
6/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新