和辻哲郎(読み)ワツジテツロウ

デジタル大辞泉 「和辻哲郎」の意味・読み・例文・類語

わつじ‐てつろう〔‐テツラウ〕【和辻哲郎】

 
18891960  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「和辻哲郎」の意味・読み・例文・類語

わつじ‐てつろう【和辻哲郎】

 

(一)西
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「和辻哲郎」の意味・わかりやすい解説

和辻哲郎
わつじてつろう
(1889―1960)


()()18691931()1()19131915

 29()()1919()1920192619351952姿1927194619261938

 193498319371949193419351950()()195519612019611963195530

 2016916

2019611963252198919921935196419631981

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「和辻哲郎」の解説

和辻 哲郎
ワツジ テツロウ

 

,,,  





22(1889)31



35(1960)1226



()



45



()7



(2)25,28,30



2141536924退2530(2)(4)(8)(9)(15)(2)(9)(10)(3 1224)(25)(2 27)︿(27 )


 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「和辻哲郎」の意味・わかりやすい解説

和辻哲郎 (わつじてつろう)
生没年:1889-1960(明治22-昭和35)


1950195519191935西湿西西調︿

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「和辻哲郎」の意味・わかりやすい解説

和辻哲郎【わつじてつろう】

哲学者。兵庫県出身。東大哲学科卒業後,1925年京大助教授。1927年―1928年ドイツ留学,1931年京大教授を経て,1934年―1949年東大教授。1955年文化勲章受章。大正末年,非合理主義に向かう哲学の世界的傾向をいち早く洞察して,ニーチェ,キルケゴールの実存主義をとり上げ,日本に〈生の哲学〉受容の基礎を作った。同時に奈良飛鳥の仏教美術に新しい光をあてることによって伝統思想の新側面を見いだし,さらにハイデッガーの《存在と時間》に触発されて《風土》(1935年)を著すなど,多彩な思想的活動を展開した。また倫理学を人と人との間の学と捉える《人間の学としての倫理学》(1935年)を発表,いわゆる和辻倫理学を樹立するとともに,日本倫理学会を設立した。著書《古寺巡礼》《日本精神史研究》《原始基督教の文化史的意義》《原始仏教の実践哲学》《鎖国》《倫理学》《埋もれた日本》など多数。
→関連項目新思潮谷崎潤一郎帝国文学

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和辻哲郎」の意味・わかりやすい解説

和辻哲郎
わつじてつろう

[生]1889.3.1. 姫路
[没]1960.12.26. 東京
倫理学者。医師の次男に生れ,1912年東京大学卒業。東洋大学,法政大学で教えたのち,京都大学助教授を経て,ドイツ留学,31年京都大学教授,34年東京大学教授。初期には『ニイチェ研究』 (1913) ,『ゼエレン・キェルケゴオル』 (15) など実存主義者の研究を発表したが,のち『古寺巡礼』 (19) ,『日本古代文化』 (20) ,『日本精神史研究』 (26) などの日本文化に先駆的かつ斬新な視野を開き,また『人間の学としての倫理学』 (34) ,『風土』 (35) ,『倫理学』 (3巻,37~49) において個人のなかにではなく,人と人との関係たる間柄の学としての独自の倫理学を築いた。 55年文化勲章受章。著書にはそのほか『鎖国』 (50) ,『埋もれた日本』 (51) ,『日本倫理思想史』 (2巻,52) などがある。『和辻哲郎全集』 (20巻,61~63) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和辻哲郎」の解説

和辻哲郎 わつじ-てつろう

1889-1960 大正-昭和時代の哲学者,倫理学者。
明治22年3月1日生まれ。東京帝大哲学科に在学中,谷崎潤一郎,小山内薫らと第2次「新思潮」の同人となる。東洋大,法大の教授をへて,昭和6年京都帝大教授。9年東京帝大教授。この間,谷川徹三らと「思想」(岩波書店)の編集に参加。ハイデッガー解釈をとおして「人間の学」としての倫理学を確立し,「古寺巡礼」「風土」など文化史研究にも業績をのこす。日本倫理学会初代会長。30年文化勲章。昭和35年12月26日死去。71歳。兵庫県出身。著作に「日本精神史研究」「倫理学」など。
【格言など】真に勇気あり力ある者は,恐ろしい事実を見つめるとともにそれに堪える道を知っている(「偶像再興」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「和辻哲郎」の解説

和辻哲郎
わつじてつろう


1889.3.11960.12.26

1927(2)3134退50

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「和辻哲郎」の解説

和辻 哲郎 (わつじ てつろう)

生年月日:1889年3月1日
明治時代-昭和時代の哲学者;倫理学者;文化史家;評論家
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の和辻哲郎の言及

【エンリケ[航海王子]】より

…基礎資料である15世紀の《ギニア航海記》(1841)では,イスラム教徒の征討に熱心な十字軍士としての側面が強調されているが,ポルトガル南西端サン・ビセンテ岬付近のサグレスに航海学校を創設したり,インド遠征を企図したルネサンス的賢人だったという,いわゆる〈エンリケ伝説〉が19世紀までに形成され,ついにはポルトガルの運命を切り開いた予言者として神格化されるに至った。日本でも和辻哲郎が《鎖国》(1950)の中で17世紀外国に門戸を閉ざした当時の為政者を,15世紀ポルトガルの海外進出を指導したエンリケに対比させて独自の評価を与えたが,同時にエンリケ伝説がそのまま日本に紹介された。しかし,19世紀末以降の実証的な歴史研究によって,エンリケ伝説は次々と否定されるとともに,近年のエンリケ研究からは超人的・ルネサンス的イメージは後退し,より人間的・中世的側面が浮かび上がってきた。…

【実存主義】より

…ニーチェは1899年以来,吉田静致,長谷川天渓,登張竹風,桑木厳翼らによって紹介され,高山樗牛が晩年にニーチェ主義の立場をとった。和辻哲郎の《ニイチェ研究》(1913)と《ゼエレン・キェルケゴオル》(1915)とが日本での本格的研究の始まりであり,やがて直接ハイデッガーに師事した三木清や九鬼周造によって実存思想が輸入され,三土興三,吉満義彦らの実存思想家を生んだ。第2次世界大戦後は〈実存主義協会〉も組織されている。…

【存在論】より

…〈存在論〉は少なくとも1925年以来,ハイデッガーのOntologieに対する訳語として用いられている。29年和辻哲郎は,〈存在論〉の根本の問いは日本語では〈あるということはどういうことであるか〉であるとし,〈もの〉〈こと〉〈いう〉〈ある〉に関する見解を発表したが,これもハイデッガーの影響下のものである。31年和辻哲郎はハイデッガーのOntologieを〈有(う)論〉と訳し,今日でも若干の追随者がある。…

【ニーチェ】より

… 日本ではすでに1901年に高山樗牛が,《太陽》掲載論文《美的生活を論ず》の中でニーチェを持ち上げて以来,特に《ツァラトゥストラ》が,やがては《人間的な,あまりに人間的な》などのアフォリズム群が広く読まれはじめた。13年に出た和辻哲郎の《ニイチェ研究》は当時としては世界的に見てもきわめてすぐれた解釈である。しかし全体的には大正教養主義以降の知識人たちの中では,ニーチェはヨーロッパの思想史的コンテクストを離れて人生論的に語られることが多く,ようやく第2次大戦後になって氷上英広や,ハイデッガーを介した渡辺二郎らによって本格的研究が進み,ヨーロッパ思想の枠組みに置き入れ直されたニーチェとの思想的対決が行われはじめたといえる。…

【風土】より

…彼は《歴史哲学の理念》(1784‐91)の中で,各場所の森羅万象が風土に即していることを強調し,〈土地の高低,その性質,その産物,飲食物,生活様式,労働,衣服,娯楽,技芸などのすべてが,風土の描きだしたもの〉とみ,〈人間にも,動物にも,植物にも,固有の風土があり,いずれもその風土の外的作用を特有の仕方で受けとめ,組織し,編みなおすものである〉と論じて,人間史の基礎に主体的な風土を位置づけた。 日本では和辻哲郎が《風土》(1935)を著しユニークな風土論を展開した。西欧哲学の関心は,風土よりも時間や歴史に傾いていたが,和辻は,存在と時間の関係を論じたM.ハイデッガーの歴史への視点を場所へと移したのである。…

※「和辻哲郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」