品川弥二郎(読み)シナガワヤジロウ

デジタル大辞泉 「品川弥二郎」の意味・読み・例文・類語

しながわ‐やじろう〔しながはやジラウ〕【品川弥二郎】

 
18431900()()241891  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「品川弥二郎」の意味・わかりやすい解説

品川弥二郎
しながわやじろう
(1843―1900)


()14()929()()()()()()使()18692()()1873使1876()()1881()()1885使18871891()21892()189933226



19401993 

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「品川弥二郎」の意味・わかりやすい解説

品川弥二郎【しながわやじろう】

 
()1870188118912
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「品川弥二郎」の意味・わかりやすい解説

品川弥二郎 (しながわやじろう)
生没年:1843-1900(天保14-明治33)


︿18703使76852使9112︿

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「品川弥二郎」の解説

品川 弥二郎
シナガワ ヤジロウ


肩書
内相,枢密顧問官

別名
変名=橋本 八郎

生年月日
天保14年閏9月(1843年)

出生地
長門国(山口県)

経歴
松下村塾に入門。尊王攘夷運動に挺身し、明治元年戊辰戦争には奥羽鎮撫総督参謀として従軍。6年外務省書記官(ドイツ駐在)、15年農商務大輔、18年ドイツ公使、21年枢密顧問官を経て、24年松方内閣の内相。25年選挙干渉の責を負って辞任。その後西郷従道らと国民協会を組織し、副会頭。20年には京都に尊攘堂を設立した。

没年月日
明治33年2月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「品川弥二郎」の意味・わかりやすい解説

品川弥二郎
しながわやじろう

 
[]14(1843).9.26. 
[]1900.2.26. 
3 (1870) 5使 18768587使91922  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「品川弥二郎」の解説

品川弥二郎 しながわ-やじろう

1843-1900 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月29日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。尊攘(そんじょう)運動で活躍。維新後,ヨーロッパに留学。農商務大輔(たいふ)などをへて,第1次松方内閣の内相となる。明治25年の総選挙で選挙干渉をおこない引責辞任。新政府軍の軍歌「宮さん宮さん」の作詞者,信用組合の育成者としても知られる。子爵。明治33年2月26日死去。58歳。名は日孜。字(あざな)は思父。変名は橋本八郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「品川弥二郎」の解説

品川弥二郎
しながわやじろう


1843.9.291900.2.26

2使1891(24)122

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「品川弥二郎」の解説

品川弥二郎
しながわやじろう

 
18431900

1870'83'9112  

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

防府市歴史用語集 「品川弥二郎」の解説

品川弥二郎

 1843年に生まれ、松下村塾[しょうかそんじゅく]で学び、尊皇攘夷[そんのうじょうい]運動に参加した人です。明治維新[めいじいしん]後は政府で要職をつとめ、内務大臣[ないむだいじん]をつとめました。1900年に亡くなっています。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の品川弥二郎の言及

【国民協会】より

…(1)1892年,第1次松方正義内閣の下で行われた第2回総選挙で,品川弥二郎内相の選挙干渉に助けられて当選した政府系議員が,内相を辞任した品川を中心に同年6月に結成した保守的政党。軍備の拡充,実業の振興,国権の拡張をかかげる典型的な〈吏党〉であったが,条約改正問題で第2次伊藤博文内閣と対立して与党的地位を失った。…

【産業組合】より

…産業部門の成長が本格化しつつあった明治中期において,経済政策上の大きな課題は,食糧自給の確保や輸出伸張による外貨の獲得であり,また,家族自営業や小資本経営の維持・向上をとおして地方行政の安定を図ることであった。1891年ドイツの都市型信用組合を範として,品川弥二郎,平田東助の案出した,信用組合法案が内務省から提出されたが審議未了に終わった。その後,ドイツの農村型各種事業兼営協同組合を範として農商務省から提出され,成立したのが産業組合法である。…

【選挙干渉】より

…日本の総選挙史上では,大規模な選挙干渉がこれまで3度あった。 1892年の第2回総選挙では,松方正義内閣の内相品川弥二郎と次官白根専一とが指揮をとり,民党候補者に対して大選挙干渉を行った。品川は地方長官に対し,政府反対の議員の選挙区では有力な対立候補を立てて応援し,政府反対の議員の当選を極力妨害することを内訓しており,警察による戸別訪問や投票勧誘,民党候補者の演説会場襲撃,民党運動員に対する傷害行為等が行われた。…

【独協大学】より

…埼玉県草加市にある私立大学。1881年,ドイツ帝国の学問と法制を研究する独逸学協会が設立され,それを母体として83年協会委員長品川弥二郎が開設した独逸学協会学校(初代校長西周)を起源とする。ドイツ語およびドイツの法律・政治学の教授を標榜し,中学教育に重点がおかれ進学校となる。…

※「品川弥二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」