日本の城がわかる事典 「唐沢山城」の解説 からさわやまじょう【唐沢山城】 栃木県佐野市にあった戦国時代の連郭式の山城(やまじろ)。関東七名城の一つ。同市の中心部の北約5kmの唐沢山︵標高247m︶の山頂の本丸を中心に、山全体を城域としていた。平安時代の927年︵延長5︶に藤原秀郷が築いたとの伝承があるが、最近、その起源は15世紀後半であるとの研究結果も発表されている。この城は藤原秀郷を祖とする佐野氏が代々城主をつとめてきた。佐野氏は戦国時代後期、小田原の北条氏と、関東管領職をついだ越後の上杉氏︵上杉謙信︶の二大勢力のはざまで、たびたび立場を変え、両勢力からの攻撃を受けた。しかし、北条氏や上杉氏の大軍による攻城戦を撃退し続けたことから、その堅城ぶりが評判となった。特に上杉謙信は、1561年︵永禄4︶から1574年︵天正2︶にかけて、10回にわたり唐沢山城を攻撃したが落城させることはできなかった。1590年︵天正18︶の小田原の役では、城主の佐野了白︵天徳寺了白、佐野宗綱の弟の房綱︶は豊臣秀吉方として参陣し、秀吉から佐野領3万5000石を安堵された。唐沢山城は関東の古城の中では珍しく高い石垣を持っているが、この石垣は了白の改修工事によるものと考えられている。その後、城主の佐野信吉は関ヶ原の戦いの後、徳川家康から旧領の3万5000石を安堵され、佐野藩主となった。1602年︵慶長7︶、唐沢山城の麓に、新たな城の佐野城が築かれ、居城を移したことから廃城となった。1883年︵明治16︶、山頂の本丸跡に藤原秀郷を祀る唐沢山神社が建立され、戦後の1955年︵昭和30︶には栃木県立自然公園が開設された。城跡には石垣、大手枡形、土塁、堀切、井戸などの遺構が残っている。東武鉄道佐野線田沼駅から徒歩約40~60分。◇栃本城、根古屋城、牛ヶ城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報