日本大百科全書(ニッポニカ) 「商船三井(株)」の意味・わかりやすい解説
商船三井(株)
しょうせんみつい
1964年︵昭和39︶海運集約により大阪商船と三井船舶が合併して発足した大阪商船三井が1999年︵平成11︶ナビックスラインと合併して商船三井と改称。この合併により、不定期船の運航規模は約100隻、この分野ではほぼ世界一となり、国際競争力を高めることになった。資本金653億円︵2008︶、売上高1兆9457億円︵2008。連結ベース︶。
1964年発足当時の大阪商船三井の資本金は131億円、所有船腹131万重量トン、運航船腹244万重量トンで、定期船、不定期船、専用船、油槽船の各部門を有し、当時、日本郵船に次ぐ総合海運会社となった。1995年︵平成7︶にはコンテナ化に伴い、コンテナ・ターミナルや陸上運送にも進出、所有船腹約357万重量トン、運航船腹約1863万8000重量トン。合併直前の1998年の資本金は587億円。
大阪商船は1884年︵明治17︶設立。瀬戸内海航路から出発し近海航路を開拓、1909年︵明治42︶北米航路、1913年︵大正2︶インド航路に進出。第一次世界大戦後の不況期には大型ディーゼル貨客船、快速貨物船を建造して船質の画期的改善を図り、業績をあげた。1950年︵昭和25︶の民営還元後は南米移民船にも力を入れ、また、計画造船で船隊整備に努めた。
三井船舶は三井物産から独立した会社である。1876年︵明治9︶工部省船を委託された三井物産は、官営三池炭の輸出にあたり、石炭を中心として世界的不定期船会社に成長した。さらに1920年︵大正9︶定期航路に進出、1942年︵昭和17︶船舶部を独立させ、三井船舶とした。1960年︵昭和35︶欧州同盟に正式加盟、また完全自動化船の建造に先鞭(せんべん)をつけた。
﹇田付茉莉子﹈
﹃日本経営史研究所編﹃商船三井二十年史 1984―2004﹄︵2004・商船三井︶﹄
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