善光寺(読み)ゼンコウジ

デジタル大辞泉 「善光寺」の意味・読み・例文・類語

ぜんこう‐じ〔ゼンクワウ‐〕【善光寺】

 
6423159841707
1558  

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精選版 日本国語大辞典 「善光寺」の意味・読み・例文・類語

ぜんこう‐じゼンクヮウ‥【善光寺】

 

(一)[  ] ()()
(二)[  ] 祿
(三)[  ] ()
 

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日本歴史地名大系 「善光寺」の解説

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]長野市長野 元善町

()()寿()()()西()()
〔古代―中世〕

(()()())(()()())
<資料は省略されています>

とあって、欽明天皇一三年百済国より渡来した阿弥陀三尊仏が、推古天皇一〇年信濃国水内みのち郡に移ったとしている。また「伊呂波字類抄」には、

<資料は省略されています>





善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]甲府市善光寺三丁目

JR()()()()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]伊達市有珠町

()()西()()沿()()()西

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]宇佐市下時枝

()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]南関町小原 小山

()()()()()()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]福知山市字多保市

()()()()()西

     

()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]川口市舟戸町

()()()()()()()()()()()西()()稿

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]米沢市万世町堂森

()()()()()()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]新穂村瓜生屋

沿()()()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]東区筒井町三丁目

()()()()()

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]広見町小松

()()()()

 

善光寺
ぜんこうじ

[現在地名]旭川市五条通

()()()

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改訂新版 世界大百科事典 「善光寺」の意味・わかりやすい解説

善光寺 (ぜんこうじ)


寿西

 1315110481310104117

 10117938739121237310

 西

 1688-1704︿16611︿

 1195620011235︿20015972殿984216001514219925170052457707416436521151410516852151212112


1707471610mT17501759


西

 159831601100014宿宿4宿西西西沿304020070001綿

 187037497


善光寺 (ぜんこうじ)


3715592715646472331583168521741-441716-3613000415723061195


善光寺 (ぜんこうじ)

北海道伊達市にある浄土宗の寺。大臼山と号す。寺伝には慈覚大師の草創とするが,1613年(慶長18),松前慶広が祈願所として小堂を建立したのが当寺の始まりである。1804年(文化1),江戸幕府の蝦夷三官寺の一つに指定され,八雲から白老地方に布教した。寺宝として,円空作の観音像,隠れキリシタンの遺物の織部灯籠,2代住職鸞州のアイヌ語の《後世の枝折》,3代弁瑞の念仏踊の指導書たる《子引歌》をはじめ多くの文化財がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「善光寺」の意味・わかりやすい解説

善光寺(長野市)
ぜんこうじ


()()39()()()()6421()

 ()()()()姿()7()()55213()()()()()592628()()642()()()()

 ()15581()8210()()1598316011000()()17074()

 251437100()()()()()

鹿

1969


善光寺(山梨県)
ぜんこうじ

山梨県甲府市善光寺町にある浄土宗の寺。定額山(じょうがくざん)浄智(じょうち)院と号する。本尊は阿弥陀(あみだ)三尊像。甲府善光寺ともいう。長野善光寺第37世鏡空(きょうくう)を開山とし、1558年(永禄1)の開創。開基は武田信玄(しんげん)。信玄は長野善光寺の本尊を兵火から守るため、甲府に善光寺を建ててこれを移した。あるいは、村上義清(よしきよ)との戦いで長野善光寺の堂宇が兵火にかかったとき、本尊が朝日山に飛び移り無事であったので、この奇瑞(きずい)に打たれた信玄が本尊を甲府に迎えたともいう。本尊はその後岐阜に移されたのち、尾張(おわり)(愛知県)甚目(じもく)寺、遠江(とおとうみ)(静岡県)鴨江(かもえ)寺、京都方広寺などに奉遷され、1598年(慶長3)豊臣(とよとみ)秀吉の死去により長野へ戻された。一方、甲府善光寺の大本願上人(しょうにん)以下が信濃(しなの)に帰座したため寺勢は衰えたが、増上寺の仰誉(ぎょうよ)が中興。1796年(寛政8)再興された山門と金堂は国重要文化財で、長野善光寺のそれを模している。また領主浅野氏が奉納した一光三尊の金銅仏、および木造阿弥陀三尊像二組は国重要文化財。

[清水 乞]


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百科事典マイペディア 「善光寺」の意味・わかりやすい解説

善光寺【ぜんこうじ】

 
()()602()64116881704T()()3
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「善光寺」の解説

善光寺
ぜんこうじ

長野市元善町にある寺。定額(じょうがく)山と号す。創建の時期・由来は伝説につつまれ不明であるが,7世紀後半には建立されていたと推測され,百済伝来の一光三尊の阿弥陀仏を安置した堂に始まるという。近世以来,この堂を天台宗の大勧進と浄土宗の大本願の2宗の僧侶が護持する。鎌倉時代には北条氏の保護をうけて全盛をきわめ,親鸞・一遍をはじめ名僧が参詣した。戦国期には,武田信玄と上杉謙信の川中島の戦によって荒廃し,弘治年間には本尊が甲府に移される事態も生じたが,1598年(慶長3)に戻った。秘仏の本尊のほか,国宝の本堂,重文の山門・経蔵・前立本尊などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「善光寺」の意味・わかりやすい解説

善光寺
ぜんこうじ

 
 () 殿  

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デジタル大辞泉プラス 「善光寺」の解説

善光寺〔長野県〕

 
 
 

 
958  
 

 
 

善光寺〔茨城県〕

茨城県石岡市にある寺院。楼門は室町時代後期に建てられたとされ、国の重要文化財に指定されている。現在、本堂は半壊し立ち入り禁止。

善光寺〔愛媛県〕

愛媛県北宇和郡鬼北町にある曹洞宗の寺院。薬師堂、薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「善光寺」の解説

善光寺
ぜんこうじ

長野市元善町にある天台・浄土両宗の寺
その本尊は百済伝来の阿弥陀如来で,戦国時代より各地を転々とし,1598年に現在の地に帰った。天下の霊場として諸人の信仰を集め,善光寺参りが行われて,門前町長野が発達した。

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事典 日本の地域遺産 「善光寺」の解説

善光寺

(長野県長野市長野元善町491-イ)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「善光寺」の解説

善光寺
(通称)
ぜんこうじ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
善光寺開帳
初演
元禄7(大坂・岩井半四郎座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

事典・日本の観光資源 「善光寺」の解説

善光寺

(長野県長野市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

善光寺

(兵庫県神戸市灘区)
灘百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の善光寺の言及

【伊達[市]】より

…古くは伊達紋鼈(もんべつ)と呼ばれた。幕府直轄時代には有珠会所が置かれ,蝦夷三官寺の一つ,有珠の善光寺が建立された。本格的な開発は仙台支藩の亘理(わたり)藩伊達邦成家中により行われ,1870年(明治3)から81年までに約2700人が入地した。…

※「善光寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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