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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…これは“辻説法”に象徴されているような,宗祖日蓮の積極的な布教の中心が,まず鎌倉の商工業・交易地や街頭と深いかかわりをもっていたことを示唆し,当時,日蓮の門弟たちの教えが,鍛冶番匠の宗教だと非難された事実を思い起こさせる。日蓮にややおくれて一遍もまた,鎌倉での布教にその運動の成否をかけようとしたが,幕府によって鎌倉入りを阻止され,結局は郊外の片瀬の地で多くの人びとを教化した。鎌倉仏教の興起と都市鎌倉は,やはり深い関連があったのである。…
…萱堂聖は法灯国師(臨済宗法灯派の派祖,心地覚心)によって結ばれ,唱導説経を特色とした。千手院聖は遊行聖一遍を祖として勧進にすぐれ,その経済力によって室町時代の高野聖はほとんど時宗化された。しかし室町時代末期になると,高野聖の宗教的機能が低下したばかりでなく品性も悪化し,世の嫌われ者になった。…
…彼は往生の当否は称名よりも,阿弥陀仏への絶対的な信心にあるとし(信心為本),しかも《歎異抄(たんにしよう)》のなかで〈善人なをもて往生をとぐいはんや悪人をや,しかるに世のひとつねにいはく,悪人なを往生す,いかにいはんや善人をや〉,阿弥陀仏の〈願をおこしたまふ本意,悪人成仏のためならば,他力をたのみたてまつる悪人,もともと往生の正因なり〉と,絶対他力と悪人正機の説を述べた。法然・親鸞におくれて元寇のころ,念仏門に新境地を開いたのが,時宗の宗祖一遍である。一遍は,念仏往生の鍵は信心の有無,浄や不浄,貴賤や男女に関係するのではなく,すべてを放下(ほか)し,〈空〉の心境になって,名号(みようごう)(念仏)と一体に結縁(けちえん)することにあると説いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」