女学雑誌(読み)ジョガクザッシ

デジタル大辞泉 「女学雑誌」の意味・読み・例文・類語

じょがくざっし〔ヂヨガクザツシ〕【女学雑誌】

 
1818857371904252624  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「女学雑誌」の意味・読み・例文・類語

じょがくざっしヂョガク‥【女学雑誌】

 

(一)[1] 稿
(二)[2]    
(一)[] (1900)
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「女学雑誌」の意味・わかりやすい解説

女学雑誌 (じょがくざっし)

1885年に創刊され,1904年まで続いた日本初の本格的女性誌。とくに明治20年代のオピニオン・ジャーナリズムの一翼を担ったことで知られる。初代編集人の近藤賢三は,1884年に《女学新誌》を創刊したが,婦人論が活発になった風潮をみてそれを1年で廃刊し,新たに《女学雑誌》を創刊した。近藤は86年に死亡したが,第30号から巌本善治が主宰し,第524号からは青柳猛(有美)が引き継いだが第526号で廃刊した。雑誌の内容としては,文明開化の時代にふさわしい女性の地位の向上を訴える啓蒙的な論文が中心となっていた。とくに巌本が編集人となってからはその傾向が著しく,女性の地位向上,婚姻制度の改良,廃娼,矯風などについて,社会改良的な論を展開した。中島(岸田)俊子,田辺竜子らの女性執筆者を育てたこと,北村透谷,島崎藤村らの雑誌《文学界》の母体となったことなど,その後の文学,思想,ジャーナリズムにも影響を及ぼした。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「女学雑誌」の意味・わかりやすい解説

女学雑誌
じょがくざっし


()1885187190437254810()()23()()()()()()()()()()()()1892196667



32 1973

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「女学雑誌」の意味・わかりやすい解説

女学雑誌【じょがくざっし】

 
188518841904526()
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「女学雑誌」の解説

女学雑誌
じょがくざっし


1885(18)1()()19042526

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「女学雑誌」の意味・わかりやすい解説

女学雑誌
じょがくざっし

1885年7月に創刊された女性向け雑誌。編集のほとんどを明治女学校の校長巌本善治が担当し,男女同権論や自由恋愛論など,婦人解放の立場に立った啓蒙的な活動をしていたが,その後は北村透谷,石橋忍月,山路愛山,内田魯庵らを登場させ,明治浪漫主義文芸運動の母体となった (1903年には『文学界』が分離独立していった) 。 1904年2月終刊。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「女学雑誌」の解説

女学雑誌
じょがくざっし

明治時代の女性専門雑誌(1885〜1904)
女子教育家・女性啓蒙運動家である明治女学校の巌本善治 (いわもとぜんじ) によって主宰され,キリスト教的立場からの女権拡張・男女平等を主張した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の女学雑誌の言及

【巌本善治】より

…兵庫県出身で,1883年受洗。86年から《女学雑誌》を主宰,誌上で形式的な西欧模倣を批判しながらも男女同等を説き続け,それを阻む芸娼妓の公許,婦人の無教養,向上心の欠如,男性中心の婚姻制度,婦人職業の未発達などの解消を主張し,婦人の団体活動を勧奨した。同誌は北村透谷,島崎藤村らの《文学界》創刊(1893)の契機を用意するなど,明治文学史上でも注目される。…

【女性雑誌】より

…第1は,知識層をおもな読者とする女性評論誌の系譜である。日本で最初の本格的な女性雑誌は1885年創刊の《女学雑誌》である。《女学雑誌》は,キリスト教思想を背景に,女権伸張,女子教育の普及,近代家族制度の移植などを主張する啓蒙雑誌として出発し,明治20年代のオピニオン・ジャーナリズムの一翼をになった。…

※「女学雑誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android