デジタル大辞泉
「文学界」の意味・読み・例文・類語
ぶんがく‐かい︻文学界︼
2 文学にたずさわる人たちの社会。文壇。文界。
[補説]書名別項。→文学界
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ぶんがく‐かい【文学界】
(一)[1] 〘 名詞 〙
(一)① 文学の領域。文学の世界。
(一)[初出の実例]﹁文学界にも亦た有望の旗幟各方に現出せり﹂(出典‥泣かん乎笑はん乎︵1890︶︿北村透谷﹀)
(二)② 文学にたずさわる人たちの社会。文壇。
(一)[初出の実例]﹁今の文学界(ブンガクカイ)を一と通り見渡して﹂(出典‥文学者となる法︵1894︶︿内田魯庵﹀一)
(二)[2] 文芸雑誌。
(一)[ 一 ] 明治二六年︵一八九三︶一月から同三一年一月まで全五八号刊行。﹁女学雑誌﹂の文学部門が発展し、北村透谷、島崎藤村、戸川秋骨、馬場孤蝶、平田禿木(とくぼく)、上田敏らを同人として創刊。樋口一葉、田山花袋、国木田独歩、柳田国男らを客員に前期浪漫主義文学運動を推進した。
(二)[ 二 ] 昭和八年︵一九三三︶一〇月創刊。小林秀雄、川端康成、武田麟太郎、林房雄らが参加して同人誌として文化公論社から発刊。第二次世界大戦後の同二四年三月から文芸春秋新社︵のち、文芸春秋︶発行の商業文芸誌となる。
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文学界 (ぶんがくかい)
︵1︶明治期の文芸雑誌。1893年︵明治26︶1月創刊,98年1月終刊。全58冊。他に︽うらわか草︾1巻を臨時に発行した︵1896年5月︶。主宰者は星野天知。4号まで発行所を女学雑誌社としたのは,︽赤表 女学雑誌︾と交互に刊行された︽白表 女学雑誌︾︵︽女学雑誌︾の文学芸術部門︶から,この雑誌が独立したことによる。5号以降は文学界雑誌社と改称し,名実ともに文学の自立を指導理念とした。最初の同人は,理論的中核となった北村透谷,島崎藤村,平田禿木︵とくぼく︶,戸川秋骨,天知とその弟星野夕影︵せきえい︶。のちに戸川残花,馬場孤蝶が加わった。ロマン主義的な個性の重視と社会的関心の持続とによって,同人それぞれの才能を開花させた注目すべき雑誌であったが,透谷の死後,上田敏︵柳村︶が同人となり,芸術至上主義的傾向を強めたとされている。樋口一葉の︽たけくらべ︾を連載し,田岡嶺雲,大西祝︵はじめ︶の寄稿を仰ぐなど豊かな展開を示した。
執筆者‥野山 嘉正︵2︶昭和期の文芸雑誌。1933年10月,林房雄,武田麟太郎,小林秀雄,川端康成らを編集同人として文化公論社から創刊。この年には︽行動︾︽文芸︾も発刊され,文壇で︿文芸復興﹀が言われた時期にあたる。初期の︽文学界︾はプロレタリア文学側から︿転向﹀した林らと芸術派の小林らが共同編集したので,︿呉越同舟﹀と評されたりもした。36年から文芸春秋社の発行となる。当時の代表的な掲載作には小林秀雄︽ドストエフスキイの生活︾,北条民雄︽いのちの初夜︾,岡本かの子︽鶴は病みき︾等があった。同人にはさらに横光利一,島木健作,河上徹太郎,中村光夫,井伏鱒二,三好達治,亀井勝一郎らが加わったことから,︿文壇強者連盟﹀とみられ,昭和10年代の文芸誌としては文壇有力者の活動の拠点であった。44年,休刊。第2次大戦後は旧同人に丹羽文雄,石川達三らが加わって文学界社から再刊︵1947-48︶。なお49年,文芸春秋新社︵現,文芸春秋︶から発行されて今日にいたる︽文学界︾も,その後継誌とみられている。
執筆者‥保昌 正夫
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文学界
ぶんがくかい
文芸雑誌。(1)1893年︵明治26︶1月~98年1月、全58冊。発行所は4号まで女学雑誌社、以後文学界雑誌社。おもな同人は星野天知(てんち)、平田禿木(とくぼく)、島崎藤村(とうそん)、北村透谷(とうこく)、戸川秋骨(しゅうこつ)、馬場孤蝶(こちょう)、上田敏(びん)など。キリスト教的改良主義にたつ﹃女学雑誌﹄の若い寄稿家を中心に発刊され、やがて女学雑誌社から独立するとともに啓蒙(けいもう)主義的立場から脱し、主我的で反俗的な浪漫(ろうまん)主義の傾向を強めていった。後期浪漫主義を代表する﹃明星﹄に対して前期浪漫主義の拠点となった。初期は透谷の形而上(けいじじょう)的な評論、中期は客員格であった樋口(ひぐち)一葉の小説や、敏、禿木らの芸術至上主義的評論、後期は藤村の叙情詩によって代表される。(2)1933年︵昭和8︶10月~44年4月。全119冊。発行所は初め文化公論社、ついで文圃(ぶんぽ)堂、文芸春秋社と移った。いわゆる文芸復興期の機運のなかで小林秀雄、林房雄、武田麟太郎(りんたろう)、川端康成(やすなり)、深田久弥(きゅうや)、広津和郎(かずお)、宇野浩二を編集同人として創刊。のち小林と河上徹太郎を中心に同人を拡大して昭和10年代文壇の一大勢力となった。阿部知二(あべともじ)﹃冬の宿﹄、北条民雄﹃いのちの初夜﹄、小林秀雄﹃ドストエフスキイの生活﹄、中村光夫﹃二葉亭四迷論﹄など問題作が掲載されたが、末期には﹁近代の超克﹂を特集するなど戦時色を濃くした。1947年︵昭和22︶6月、林房雄らによって文学界社刊として復刊され、全18冊を出した。(3)1949年3月~。文芸春秋新社︵のち文芸春秋︶発行。現代を代表する文芸雑誌として多くの名作や新人を生み出している。
﹇東郷克美﹈
﹃笹淵友一著﹃﹁文学界﹂とその時代﹄上下︵1959、60・明治書院︶﹄
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文学界
ぶんがくかい
文芸雑誌。 (1) 1893年1月~98年1月。58号。巌本善治の﹃女学雑誌﹄から派生,独立した同人雑誌。明治20年代の浪漫主義運動を推進し,北村透谷や上田敏の評論,樋口一葉の小説,島崎藤村の詩が主要な収穫である。 (2) 1933年10月~34年2月,34年6月~44年4月。47年6月~48年12月。小林秀雄,林房雄ら同人によりプロレタリア文学退潮後の文芸復興を目指して創刊され,近代意識に立脚した個人主義,芸術主義を掲げて文壇の主導的役割を果した。創作では阿部知二,石川淳,北条民雄,島木健作,中山義秀ら,評論では小林,舟橋聖一,河上徹太郎,亀井勝一郎らが活躍した。49年3月からは文藝春秋新社発行の商業文芸雑誌となった。
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文学界
ぶんがくかい
明治期の文芸雑誌。1893年(明治26)1月創刊。98年1月第58号で終刊。発行所は最初は巌本善治(いわもとよしはる)の経営する女学雑誌社,第5号から文学界雑誌社。編集・経営にあたったのは星野天知(てんち),おもな執筆者は天知のほか星野夕影(せきえい)・平田禿木(とくぼく)・北村透谷(とうこく)・島崎藤村・戸川秋骨(しゅうこつ)・馬場孤蝶(こちょう)・上田敏らの同人,戸川残花(ざんか)・樋口一葉・三宅花圃(かほ)ら。その文学傾向によって3期にわけられ,透谷の評論,一葉の小説,藤村の詩がそれぞれの代表とされる。
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文学界
ぶんがくかい
②昭和期の文芸雑誌
1893年創刊。日本ロマン主義文学の母体となる。同人は北村透谷・島崎藤村・星野天知・平田禿木 (とくぼく) ・戸川秋骨らで,樋口一葉も寄稿した。透谷の評論,藤村の新体詩,一葉の小説などが特に有名。'98年1月,58号をもって廃刊となった。
1933年創刊。宇野浩二・川端康成・武田麟太郎・小林秀雄らの同人雑誌として発足したが,一時廃刊となり,第二次世界大戦後の'47年復刊。その後同人は解散し,文藝春秋社より文芸雑誌として刊行され,現在に至る。
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文学界
株式会社文藝春秋が発行する純文学を扱う文芸誌で、月刊で刊行されている。もともとは同人誌として1933年に創刊され、小林秀雄、林房雄、永井龍男らが関わっていた。純文学での新人の登竜門と位置づけられている文学界新人賞の主催でも知られている。2015年1月、同誌の15年2月号にお笑いタレントのピース・又吉直樹が執筆した小説『花火』が掲載され、話題となった。同号はこの効果で15年1月9日、2万3000部の増刷を決定。同号の発行部数は計4万部に達し、同誌の史上最高部数を記録した。
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世界大百科事典(旧版)内の文学界の言及
【詩】より
…詩の本来もつべき繊細微妙な香りや味わいは彼らの追求の主目的ではなかったから,その方面である程度満足すべき質をそなえた仕事は,森鷗外らの新声社同人による訳詩集︽[於母影]︵おもかげ︶︾(1889)の出現をまたねばならなかった。1893年,北村透谷,島崎藤村,上田敏らが︽[文学界]︾を創刊,キリスト教およびルネサンスへの関心を中核にもつ浪漫主義運動を展開,啓蒙的・社会改良的功利主義を批判して,文学・芸術独自の価値にもとづく作品活動を主張した。藤村の︽若菜集︾(1897)の恋愛詩はその代表的な成果である。…
【女学雑誌】より
…とくに巌本が編集人となってからはその傾向が著しく,女性の地位向上,婚姻制度の改良,廃娼,矯風などについて,社会改良的な論を展開した。中島(岸田)俊子,田辺竜子らの女性執筆者を育てたこと,北村透谷,島崎藤村らの雑誌《文学界》の母体となったことなど,その後の文学,思想,ジャーナリズムにも影響を及ぼした。【井上 輝子】。…
【ロマン主義】より
…彼はロマン主義の本質を,未知な世界や異常な事物などに対する好奇心などの伝奇性に求めているが,そこから森鷗外元祖説は導かれているのである。これに反対して,勝本清一郎は,〈正統なロマン主義〉の性格が,〈自由を求める精神,形式を破壊する精神,保守的勢力に対して革命的な精神,動的な自己主張の精神〉(〈《文学界》と浪曼主義〉)にあると考え,北村透谷の劇詩《楚囚之詩(そしゆうのし)》(1889)から《[蓬萊曲](ほうらいきよく)》(1891)へ展開する過程に,その顕著なあらわれを見ている。この勝本の立場からは,佐藤春夫がロマン的作品として高く評価する鷗外青年期の訳詩集《[於母影](おもかげ)》(1889)や小説《[舞姫]》(1890)は,その静的な形式美,節度,保守,妥協への希求,抒情への傾向において,酷評されざるをえない。…
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