日本歴史地名大系 「岐阜市」の解説 岐阜市ぎふし 面積:一九六・二〇平方キロ 県の南部中央西寄りに位置。長良川が濃尾平野に出る長良川扇状地の扇頂部を中心に市域が形成された。市中央部を長良川が北東から南西へ流れ、北部西寄りを鳥(と)羽(ば)川を合せた伊(い)自(じ)良(ら)川が南流し、南西部で長良川に合流する。また市域南部を荒(あら)田(た)川が西流し、南西端で長良川に合流し、南限を境(さかい)川が西流する。東は関市・各(かか)務(みが)原(はら)市、北は武(む)儀(ぎ)郡武(むげ)芸(が)川(わ)町と山(やま)県(がた)郡高(たか)富(とみ)町・伊自良村、西は本(もと)巣(す)郡本巣町・糸(いと)貫(ぬき)町・北(きた)方(がた)町・穂(ほづ)積(み)町および安(あん)八(ぱち)郡墨(すの)俣(また)町、南は羽島市と羽島郡柳(やな)津(いづ)町・笠(かさ)松(まつ)町・岐(ぎな)南(ん)町に接する。近世には長良川左岸部の大半が厚(あつ)見(み)郡に属し、東方の一部が各(かか)務(み)郡に属した。右岸部の大半は方(かた)県(がた)郡に属し、北東部が山県郡、北西端の一部が本巣郡に属した。JR岐阜駅一帯を中心にして交通網が各地に延びる。南部をJR東海道本線・国道二一号が横断し、東にJR高山本線・名鉄各務原線、北東に名鉄美濃町線・国道一五六号、北西に名鉄揖(い)斐(び)線・国道三〇三号、南に名鉄名古屋本線・国道二二号が延びる。市街地中央には標高三二八・九メートルの金(きん)華(か)山がそびえ、当市のシンボル的存在である。 市名は織田信長が斎藤氏の稲葉山城︵金華山城︶を攻め、井(い)ノ口(くち)を改めて岐阜としたことに由来。岐阜の名は沢彦宗恩が選んだ三つの候補のなかから信長が決定したものといわれるが︵安土創業録︶、﹁土岐累代記﹂に﹁岐阜ト号スル事ハ、往古ヨリノ称号ニテ、明応ヨリ永正迄ノ旧記ニ多クノスル﹂とあるように、まったく新たな命名ではなく、以前から用いられていた井ノ口の別名の一つを採用したものである。同書によれば今(いま)泉(いずみ)・忠(ちゆ)節(うせつ)・井ノ口・宗(そう)田(でん)を岐阜と称したという。ただし明応八年︵一四九九︶の土岐成頼画像東陽英朝賛︵瑞龍寺蔵︶に﹁当如金華降神彰人瑞乎竜章、岐阜鍾秀現仏身乎鳳質﹂とあるのをみると、元来岐阜とは守護土岐成頼の居城革(かわ)手(て)城をさしたものらしい。信長治下では﹁言継卿記﹂永禄一一年︵一五六八︶一一月一〇日条に﹁三州徳川左京大夫所へ沢路隼人佑差下、予岐阜へ下向之次也﹂とある。 〔原始・古代〕市域東部に広がる段丘地帯と北部山麓部に幾つかの先土器時代の遺跡がある。古宮(ふるみや)・琴塚北(ことづかきた)・琴塚東・椿洞(つばきぼら)の各遺跡などでナイフ形石器が採取されている。昭和六〇年(一九八五)から発掘調査された寺田(てらだ)遺跡と日野(ひの)遺跡は隣接する低位段丘に位置し、ナイフ形石器・尖頭器・彫器・削器など共通する石器組成を示し、火熱を受けた礫群が多数検出された。 岐阜市ぎふし 2006年1月1日:岐阜市が羽島郡柳津町を編入⇒【柳津町】岐阜県:羽島郡⇒【岐阜市】岐阜県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岐阜市」の意味・わかりやすい解説 岐阜〔市〕ぎふ 岐阜県南西部,濃尾平野の北部にある中核市。県庁所在地。 1889年市制。 1949年岩野田村,1950年黒野村ほか7村,1955年厚見村,鏡島村の2村,1958年日置江村,芥見村の2村,1959年合渡村,1961年三輪村,1963年網代村をそれぞれ編入。 2006年柳津町を編入。建仁1 (1201) 年,二階堂氏が長良川南岸の金華山に築城 (→岐阜城 ) 。戦国時代には斎藤道三の城下町。永禄 10 (1567) 年織田信長が斎藤氏を滅ぼして入城し,岐阜と改称。そののち城下町,商業町として発展。第1次世界大戦後は繊維関係の大工場が誘致され,商工業が著しく発展した。第2次世界大戦後,岐阜駅前に大繊維問屋街が形成され,以来既製服の取り引きが活発。ほかにも食料品,製紙,一般機械,金属製品など各種の工業が行なわれる。ちょうちん,うちわは古くから特産。市内を流れる長良川の鵜飼い,金華山上の城址,柳ヶ瀬の繁華街など観光都市としての性格も強い。南部の加納は中山道の宿場で,関ヶ原の戦い後に置かれた加納藩の城下町でもあり,和傘の産地として知られる。国宝の金銅獅子唐草文鉢を有する護国之寺をはじめ古社寺も多い。長良川鵜飼用具は国の重要有形民俗文化財。また琴塚古墳,老洞・朝倉須恵器窯跡,加納城跡はそれぞれ国の史跡に指定されている。願成寺の中将姫誓願ザクラは国の天然記念物。JR東海道本線,高山本線,名古屋鉄道名古屋本線,国道21号線,22号線 (名岐バイパス) が通る。面積 203.60km2。人口40万2557︵2020︶。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報