御成敗式目(読み)ゴセイバイシキモク

デジタル大辞泉 「御成敗式目」の意味・読み・例文・類語

ごせいばい‐しきもく【御成敗式目】

 
1232()()51  

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精選版 日本国語大辞典 「御成敗式目」の意味・読み・例文・類語

ごせいばい‐しきもく【御成敗式目】

  1. 鎌倉幕府の基本法。貞永元年(一二三二)に制定されたので貞永式目とも。執権北条泰時が太田康連、斎藤浄円らの評定衆に命じて編纂。五一か条から成る。幕府の支配下にあった、守護・地頭・御家人の権利・義務、所領の訴訟や、対朝廷・本所関係などの重要事項について、慣習法や判例を成文化したもので、この後に必要に応じて発布された法令は追加法と呼ばれる。室町幕府法や戦国家法にも強い影響を与え、広く武家法の基本となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御成敗式目」の意味・わかりやすい解説

御成敗式目(全文)
ごせいばいしきもく


  
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御成敗式目
ごせいばいしきもく

鎌倉幕府の基本法典。51か条。1232年(貞永1)制定。公家(くげ)法、本所(ほんじょ)法と並立する武家法の最初の成文法典であるが、武家法全体としてみれば、こののち式目に追加して種々の立法がなされたほか、慣習法にゆだねられていた分野も多い。

[羽下徳彦]

名称

「御成敗式目」が正式の名称で、裁判規範であることを明示している。初め式条といい、のち単に式目ともいう。俗に制定時の年号によって「貞永(じょうえい)式目」ともいわれる。公家・本所側では関東式目ともいった。

[羽下徳彦]

制定

承久(じょうきゅう)の乱(1221)後11年を経た貞永元年7月10日の制定。執権(しっけん)北条泰時(やすとき)の発意により、評定衆(ひょうじょうしゅう)中の法律知識のある人々、矢野倫重(ともしげ)、佐藤業時(なりとき)、斎藤浄円(じょうえん)、太田康連(やすつら)らが中心となって進められ、評定衆の合意を経て確定された。式目編纂(へんさん)者としては、泰時を中心とし、前記の人々を含む13人のほか、6人などの説もあるが、前者が妥当であろう。ほかに、当時鎌倉にあった公家の儒者清原教隆(きよはらのりたか)が1人で担当したとする説があるが、これはのちに清原氏が京都で式目の講説をしたところから生まれた虚説である。

[羽下徳彦]

目的


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内容


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意義


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改訂新版 世界大百科事典 「御成敗式目」の意味・わかりやすい解説

御成敗式目 (ごせいばいしきもく)


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御成敗式目」の意味・わかりやすい解説

御成敗式目
ごせいばいしきもく

 
1 (1232) 5115135117  

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百科事典マイペディア 「御成敗式目」の意味・わかりやすい解説

御成敗式目【ごせいばいしきもく】

貞永(じょうえい)式目とも。1232年,執権北条泰時の指導の下に制定された鎌倉幕府の基本法典。51ヵ条。守護・地頭の職務内容や民事・刑事・訴訟手続法など多様な内容をもち,土地の取得時効法など従来の公家法・荘園法とは異なる独自の武家法理が成文化された。以後鎌倉幕府が発布した法令は追加法(式目追加)と呼ばれた。法理的には日本武家法の根本法典として,室町幕府法や戦国家法に至るまで大きな影響を与えた。
→関連項目鎌倉幕府建武以来追加建武式目式目追加塵芥集大犯三箇条武家法

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御成敗式目」の解説

御成敗式目
ごせいばいしきもく

「貞永式目」「関東御式目」「式目」とも。1232年(貞永元)に制定された鎌倉幕府の基本法典。内容は守護・地頭のこと,所領支配の効力,訴訟手続,犯罪とその処罰,百姓や奴婢の支配など51カ条。現在知られるものは原形ではなく,現在の第35条までを51カ条に配列したものを原形とする説がある。必ずしも体系的・網羅的なものではなく,当初から補充が予定されていた。実際,その後随時立法され,それらは式目追加とよばれた。室町幕府も,式目追加として同じく随時立法している。式目制定の趣旨について,主導者であった執権北条泰時は,裁判の公平を期するため,あらかじめ裁判の基準を御家人たちに周知させる,その基準は武家社会の良識で,律令格式とは異なるところもあるが,律令格式を否定するのではなく,この法を武家社会にのみ適用させる,とのべる。その背景には,承久の乱(1221)以後,全国各地に進出した地頭御家人が,荘園領主など異質の世界の人々との接触で,種々のトラブルにまきこまれるようになったことがある。泰時にとっては,評定衆(1225設置)たちとの評定の場を拠点に動きはじめた執権政治を,より確かなものにする必要もあった。式目は守護を通じて各国内の地頭御家人に伝達され,それを通して広く社会に浸透した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御成敗式目」の解説

御成敗式目
ごせいばいしきもく

1232(貞永元)年制定された鎌倉幕府の根本法典。最初の武家法
「関東御成敗式目」ともいい,成立年号をとって,ふつう「貞永式目」という。執権北条泰時が評定衆の三善康連 (やすつら) らに命じて編纂させた。51条。御家人の権利・義務や所領の訴訟などについて,源頼朝以来の慣習法・判例など武家社会の正義を平易に成文化したもので,制定の趣旨は,泰時の弟重時あての消息にくわしい。以後も随時立法され,式目追加と呼ばれた。室町幕府もこれを基本法典として室町幕府が立法したものは建武以来追加とされた。武家法制の法源として,後世に多大の影響を及ぼした。

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世界大百科事典(旧版)内の御成敗式目の言及

【悪口】より

…日本の前近代社会でも,それぞれの身分や地域社会に,とくに忌避され慣習的な罰の対象となっていた悪口があったであろうが,ほとんど史料的痕跡をとどめていない。 その中で御成敗式目がその第12条で,悪口を罪として規定したことは,日本の悪口史上きわめて重大なできごとであった。なぜならこの法典が,日本前近代法の中で全く例外的に長く広く社会的な有名な法でありつづけたために,一つには後代のいくつかの成文法に影響を与えて悪口罪を制定させ,また同時に本来は歴史の表面に出る可能性のなかった多くの悪口を,悪口か否かの法廷論争を通じて歴史に記しとどめたからである。…

【片鬢剃】より

…中国古代では髡(こん)刑という剃髪刑がもちいられていたが,日本の律令国家は,例外的にこれをもちいたほかは髡刑を継承しなかった。片鬢剃が登場するのは,《御成敗式目》の刑罰としてであり,〈辻女捕(つじめとり)〉を犯した郎従以下のものにこの刑が科せられた。この刑がどのような法源より式目に登場するのか不明であるが,江戸時代初頭の秋田藩の鉱山人夫に対する刑として,そった頭に墨や朱をぬる多様な形態の片鬢剃刑がひろく採用されており,この刑罰が,中世東国の武家社会の基層部に慣習的刑罰の一形態として存在したことが想定されるのである。…

【鎌倉時代】より

…僧兵の強訴などにあたっては,従来は朝廷が作成した収拾案の下で,幕府は防御を担当するだけであったが,乱後は収拾案までも幕府が提示し,事態解決の中心的役割を果たしている。1232年(貞永1)執権北条泰時の時代には《御成敗式目》が制定された。この式目は幕府の勢力範囲に限って適用されたものであり,朝廷の支配下では律令の系統をひく公家法,貴族・社寺の支配下では本所法が行われていたし,《御成敗式目》も国司・領家の支配に幕府が干渉しないことを規定している。…

【寛喜の飢饉】より


1232(1)

【執権政治】より

…すなわち執権を2名に増員し(うち1名が連署),評定衆を新設し,さらに頼経を元服させ,翌26年に頼経は征夷大将軍に任命される(摂家将軍)などであり,ここに執権政治が確立した。32年(貞永1)には最初の武家法典である《御成敗式目》が制定され,裁判の基準が定められた。この時期の執権政治は,複数執権制や評定衆制に見られるように,従来の独裁に代わる合議に特色がある。…

【承久の乱】より


調1232(1) 

【塵芥集】より

…その体裁は,前書き,本文,稙宗の署名に続き,家臣の起請文が付けられている。これは,《御成敗式目》の伝本の一系統の体裁に一致し,また本文の一部の条文,前書き,起請文は,式目の文章をそのままひきうつして和文化したものであることが知られる。そのため古くからこの法典における式目の影響の強さが強調されてきたが,その実質的効力をうけついだ条文はわずか5ヵ条にすぎず,この点で《塵芥集》が他の家法よりその影響が濃厚であるとはいえない。…

【成敗】より

…中世武家が1232年(貞永1)に初めて制定した法律は〈御成敗式目〉と称せられている。〈成敗〉という辞句を公式に法制用語として使用したのはこれが最初であろう。…

【年紀法】より

…正確には〈二十箇年年紀法〉という。《御成敗式目》第8条に〈一,御下文(くだしぶみ)を帯ぶるといえども知行(ちぎよう)せしめず,年序を経る所領の事 右,当知行の後,廿ヵ年を過ぎば,大将家の例に任せて,理非を論ぜず改替にあたわず。しかるに知行の由を申して御下文を掠め給るの輩,かの状を帯ぶるといえども叙用に及ばず〉(原漢文)とあるのが,明文的規定の嚆矢(こうし)である。…

【武家法】より


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【北条泰時】より


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※「御成敗式目」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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