デジタル大辞泉
「改定律例」の意味・読み・例文・類語
かいてい‐りつれい【改定律例】
たもの。明治15年︵1882︶の旧刑法施行まで実施された。
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かいてい‐りつれい【改定律例】
(一)明治六年︵一八七三︶に公布された刑法。三巻一四律三一八条。司法卿江藤新平が中心となり、フランスなどの刑法を参考にして新律綱領を修正、補充したもの。同一五年旧刑法が実施されるまで行なわれた。
(一)[初出の実例]﹁其他明清の律より、新律綱領に之き、改定律例に之き﹂(出典‥一年有半︵1901︶︿中江兆民﹀附録)
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改定律例
かいていりつれい
明治初年のころの刑法典。明治政府は1870年︵明治3︶大宝律(たいほうりつ)、養老律(ようろうりつ)などに学び新律綱領をつくったが、これは﹁綱領﹂の名が示すとおり法典としての体裁を備えるものではなく、笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)といった前近代的な刑罰を維持していた。その後、1873年、新律綱領を基礎として改定律例が制定され、これら四つの刑罰を懲役刑に統一するとともに、条文ごとに法典としての体裁を整えた。ただ、近代ヨーロッパの刑法典と比較すると、改定律例も、華士族、僧、平民といった身分制を前提とするとともに、刑罰法規の遡及(そきゅう)適用や類推適用を認めるなど、およそ近代的な刑法典とはいえないものであった。その後、近代的な刑法典を編纂(へんさん)する必要に迫られ、1880年にフランス刑法典を範とした﹁旧刑法﹂が公布され、1882年に施行された。
﹇名和鐵郎﹈
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改定律例 (かいていりつれい)
1873年︵明治6︶6月13日に頒布,7月10日より施行された刑法典。全3巻,12図14律,全318条より成る。新律綱領︵1870︶の修正を図ったものであるが,旧刑法典の施行まで新律綱領と並び実施された。新律綱領と同様に,中国法系の刑法典に属するが,新律綱領と異なり,西洋法摂取が緒についた当時の状況を反映し,西洋とくにフランス刑法典の影響もみられる。たとえば,日本の刑法典として初めて条文に通し番号を付し,笞,杖,徒,流を近代的刑種たる懲役刑に改めている。また,刑の著しい緩和も図られている。82年旧刑法,治罪法の施行により廃止された。
→刑法
執筆者‥堀内 捷三
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改定律例
かいていりつれい
明治6年太政官布告 206号。 1873年6月13日に制定された刑法典。7月10日より施行された。全編12図,14律,318条。明治3 (1870) 年制定の新律綱領はその名の示すとおりあくまでも一時的なものであり,事実同法が行われて以後その足りない個所を補うための部分的改正・追加などの必要が相次ぎ,一方裁判担当者よりの法条適用にかかわる疑義およびそれに対する司法省側の見解も多数にのぼるなどの事情が生じた。そのためそうした状況をもふまえ再度法典の体系的整理が急務となり改定に着手,鶴田皓,水本成美,小原重哉,村岡良弼らによって作業が進められ,73年に制定公布された。全国に頒布された点や各条に条数を付し,時効の制度を明示した点など種々の特徴がある。また若干フランス刑法の影響がみられるなど,新律綱領に比べて新しい面がみられるが,律令法系の法典である点では仮刑律,新律綱領と軌を一にする。また改定律例は新律綱領に代るべき法典ではなく,これを修正増補したもので,両者相並んで81年末まで行われた。
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改定律例【かいていりつれい】
明治維新後公布された刑法典(1873年太政官布告)。新律綱領頒布(1870年)後の社会変化に応ずるため多くの単行刑律が発せられたが,これを集成し,新律綱領の補充として施行された。懲役刑の採用,逐条的規定など西欧の刑法典の影響が現れているが,1882年旧刑法施行により廃止。
→関連項目刑法
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改定律例
かいていりつれい
明治初期の刑法典。司法省を中心に編纂事業が進められ,1873年(明治6)6月13日に太政官布告として公布,7月10日施行。3巻318条からなる。新律綱領(1870年制定施行)を修正・増補したもので,新律綱領と並んで適用された。中国流の律にフランス流の刑法をとりいれている。それまでの笞・杖・徒・流を懲役に改め,刑罰を死刑と懲役刑とに体系化。新律綱領に比べて多少刑罰を軽くしたが,身分によって異なる刑罰はなお残している。82年1月1日に刑法(旧刑法)が施行されるまで効力を有した。
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改定律例
かいていりつれい
フランス刑法を参考とし,新律綱領の不備を改定・補充したもの。3巻14律318条。刑罰は緩和されたが,身分による刑罰差は残存した。1882年の刑法施行まで,新律綱領と併用された。
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世界大百科事典(旧版)内の改定律例の言及
【敵討】より
…新律綱領はその結果改正され,復讐は〈臨時奏請〉して処置することとなった。〈改定律例〉(1873)は祖父母,父母に対する〈行兇人(こうきようにん)〉(敵)を殺すことは謀殺とし,斬をもって処罰することとしたが,即時に敵を討つことは無罪であり,全面的な禁止ではなかった。明治初年の敵討には1871年の加賀藩執政本多政均(まさひさ)家臣の事件に見られるように,維新期の派閥,政論の対立による暗殺とその報復という面があり,国家的公刑罰権の確立とともに,この種の紛争を打ち切るためにも,政府は復讐禁止を目ざしたのである。…
【行刑】より
…1871年(明治4)には刑部省の小原重哉によるホンコン,シンガポールのイギリス獄制視察が行われ,翌年の〈監獄則幷図式〉に結実する。同年,それに先立ち,西洋法を参照して制定された懲役法により,笞・杖が短期自由刑たる懲役に代えられていたが,73年には先述の徒場は懲役場と改称され,同年の改定律例では,流・徒刑も刑期はそのままに(ただし終身が加わる)懲役に一本化された。先の小原監獄則は,従来用いられていた囚獄の語を監獄に変え,独房制を導入し,未決・既決,男女を分けるなど進歩的であったが,財政的理由等から本格的実施をみないまま効力を停止された。…
【刑法】より
…やがて,フランス革命の精神を反映した1810年のフランス刑法典が成立し,19世紀を通じて,近代刑法の模範とされたのであった。 日本では,明治維新後,1868年(明治1)に仮刑律が制定され,続いて[新律綱領](1870),[改定律例](1873)が制定されたが,これらは,中国法系の律の影響を強くうけたものであった。日本の刑法が近代化するのは,82年に施行された旧刑法によってである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」