日本大百科全書(ニッポニカ) 「教育改革」の意味・わかりやすい解説
教育改革
きょういくかいかく
educational reform
国家・社会の変化と教育改革
教育改革は、近代国家の成立過程およびそれ以降に、国が教育に深く関わるようになってから、さまざまな国家や社会の需要や要請に対応し、教育制度、とりわけ学校制度を中心として行われる改革である。以下に欧米諸国等の教育改革を歴史的に整理してみる。(1)初等教育段階を義務化する時期、(2)中等教育段階が大衆化して(前期)中等教育段階を義務化する時期、(3)高等教育段階が大衆化して生涯学習化する時期、等に教育改革が行われる。さらに、(4)高い経済成長から低い経済成長、停滞、後退へと転換し、それが一定期間継続すると、「小さな国家」がモデルとなり、財政支出を抑制するために教育改革が行われる。
(1)は国により異なるが、欧米諸国では19世紀後半に教育義務、就学義務が制度化されていった(第一の教育改革)。(2)は20世紀中葉であり、とりわけ1960年代は欧米諸国で「教育爆発の時代」とよばれる時期であった(第二の教育改革)。(3)はおおむね1970年代以降であり、高等教育研究者のマーチン・トロウMartin Trow(1927―2007)による高等教育のユニバーサル段階(同一年齢の者の50%以上が高等教育に進む段階)の考え方や、生涯教育、生涯学習の理念が各国の教育政策で実施に移されていった時期である(第三の教育改革)。(4)は石油ショック以降の1980年代以降の英米を中心としたNPM(New Public Management、新公共政策)の考え方に代表され、少ない歳入に見合う少ない支出の「小さな政府」が目ざされ、公共部門の事業縮小と市場原理による活性化が意図される(第四の教育改革)。
近年の教育改革に関連する動向に、同じような時期に教育改革が進行することがある。OECD(経済協力開発機構)等の国際機関による情報の共有化が進み、他国の成果を参考とした教育改革がほぼ同時進行している。その典型的な事例として、OECDのピサ調査(義務教育終了段階の15歳の生徒を対象とする学習到達度調査)等による教育改革があげられる。
こうした教育改革は、国によってはいくつかの段階が同時並行で行われる場合もある。
[坂野慎二]
第一の教育改革
第一の教育改革である義務教育制度の導入は、欧米諸国における市民革命による近代国家の成立と、産業革命による経済・生産システムの変化によって引き起こされていく。ドイツでは諸邦や地域ごとに義務教育制度が発達していく。古くは17世紀に義務教育令が出されているが、今日的な意味での義務教育制度は、プロシアでは1794年の一般国法、1848年憲法等によって成立していく。イギリスでは、工場法等による児童労働の保護と、慈善による教育の提供が相まって、1870年の初等教育法によって義務教育制度が成立する。アメリカでは、自治体ごとの教育令は17世紀から散見されるが、義務教育制度として発達していくのは、19世紀後半になる。
日本における第一の教育改革の義務教育制度の導入は、いつごろといえるだろうか。明治維新(1868)以前には、藩校や寺子屋といった、自由意思による学校制度があった。明治政府が1872年(明治5)に学制を定めてから、1879年の教育令とその改正、1886年の諸学校令とその改正等によって、近代的な教育制度がつくりあげられていった。明治政府は1889年に大日本帝国憲法を発布して国家体制を整えるとともに、1890年の教育勅語によって、教育の目的・目標を明らかにした。1890年代には小学校の就学率が上昇したことを受け、1907年には小学校を4年から6年へと延長し、義務教育の期間を6年とした。教育内容は、1881年制定の小学校教則綱領等で整備され、1903年には教科書が国定となった。
[坂野慎二]