日像(読み)ニチゾウ

デジタル大辞泉 「日像」の意味・読み・例文・類語

にちぞう〔ニチザウ〕【日像】

 
12691342()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「日像」の意味・読み・例文・類語

にち‐ぞう‥ザウ【日像】

 

(一)[1]    
(一)[](1461)
(二)[2] 麿
 

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改訂新版 世界大百科事典 「日像」の意味・わかりやすい解説

日像 (にちぞう)
生没年:1269-1342(文永6-興国3・康永1)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日像」の意味・わかりやすい解説

日像
にちぞう
(1269―1342)


()()()7()()()12931()()()()()()12971364()()

  2017919

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朝日日本歴史人物事典 「日像」の解説

日像

没年:康永1/興国3.11.13(1342.12.11)
生年:文永6(1269)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。日蓮宗最初の京都弘通(布教)を行い,妙顕寺を拠点に教団発展の礎を築いた。京都妙顕寺開山,肥後房,肥後阿闍梨と号す。下総国(千葉県)平賀氏の出自。7歳で日朗に師事。のち身延の日蓮の弟子となり経一丸を賜り本尊を授与される。日蓮の滅後,肥後房日像と名乗り日朗のもとで研鑽。永仁1(1293)年,日蓮の遺命を奉じて京都布教を決行,日蓮の遺跡を巡拝しつつ北陸を経て同2年に上洛した。その途次,能登の真言僧を帰伏させ日乗と名乗らせた。上洛後,京都の有力町衆を信徒と化したが,叡山などの圧力も強まり,徳治2(1307)年の土佐配流をはじめとし翌3年の紀伊流罪,元亨1(1321)年の洛内追放に至る3度の弾圧を受けた。これを三黜三赦と呼んでいる。 その間,迫害にめげず延慶4(1311)年に綾小路大宮に造営していた法華堂を元亨1年に今小路に移して妙顕寺を開創。元弘3(1333)年,護良親王の令旨により後醍醐天皇の京都還幸を祈り,翌建武1年に妙顕寺を勅願寺とするという後醍醐天皇の綸旨を得た。東国だけの小教団は,ここで,中央政府の公認を受けた。次いで建武3(1336)年には,室町将軍家・北朝光厳院の祈祷所となるなど,妙顕寺は公武社会に不動の地位を占めた。暦応4(1341)年,光厳院の院宣を受け寺地を四条櫛笥西頬に賜って,妙顕寺をそこに移転。妙顕寺の流れを四条門流と呼ぶゆえんである。康永1(1342)年後事を弟子大覚に託し入寂。延文3(1358)年大覚の祈雨により,日蓮に大菩薩,日朗,日像に菩薩号を賜った。<参考文献>立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上

(佐々木馨)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日像」の意味・わかりやすい解説

日像
にちぞう

[生]文永6(1269)
[没]興国3=康永1(1342).11.
鎌倉時代の日蓮宗の僧。7歳で出家。兄の日朗に従って身延山に登り,日蓮から経一麿の名を授かった。日蓮の没後剃髪して日像と称し日朗に仕えていたが,のち日蓮の遺跡を巡拝。永仁2 (1294) 年京都に出て法華宗を宣揚した。諸宗の僧徒に憎まれ3度京都を追われたがそのたびに許され,嘉暦1 (1326) 年京都における日蓮宗の最初の寺院妙顕寺を創設,のち後醍醐天皇から寺領を賜わり,勅願寺に列した。著書は『秘蔵集』『宗旨弘通鈔』『法華講式』『本尊相承』など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日像」の解説

日像
にちぞう


12691342.11.13

()1293()1321()()

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日像」の解説

日像 にちぞう

 
12691342 -
6()(),,3(),()=3111374()寿  

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旺文社日本史事典 三訂版 「日像」の解説

日像
にちぞう

1269〜1342
鎌倉末期・南北朝時代の日蓮宗の僧
竜華院と号す。下総(千葉県)の人。1293年日蓮宗で初めて京都に布教し,町衆の帰依を得たが,比叡山の迫害をうけ追放された。のち許され京都に妙顕寺を建立した。

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367日誕生日大事典 「日像」の解説

日像 (にちぞう)

生年月日:1269年8月10日
鎌倉時代後期;南北朝時代の日蓮宗の僧
1342年没

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