日本大百科全書(ニッポニカ) 「李嶠」の意味・わかりやすい解説
李嶠
りきょう
(644?―713?)
中国、初唐期の詩人。字(あざな)は巨山。趙(ちょう)州︵河北省︶賛皇(さんこう)の人。15歳にして五経に通じ、20歳で進士に登第した。武后のとき︵690~705︶に同鳳閣鸞台(どうほうかくらんだい)平章事︵宰相︶となったが、玄宗の世︵712~756︶に滁(じょ)州︵安徽(あんき)省︶別駕(べつが)に左遷され、ついで廬(ろ)州︵安徽省︶別駕に移され、70歳で没した。文才に恵まれ、初め駱賓王(らくひんのう)、王勃(ぼつ)と交遊し、中ごろには蘇味道(そみどう)とともに﹁蘇・李﹂と並称され、晩年には文壇の長老となった。﹁文章の四友﹂︵杜審言(としんげん)、李嶠、崔融(さいゆう)、蘇味道︶の一人。わが国では平安朝以来、李嶠の詠物詩が読まれ、早くに中国で散佚(さんいつ)した﹃李嶠雑詠﹄は、今日、日本に伝存する。
﹇丸山 茂﹈