日本歴史地名大系 「松山市」の解説 松山市まつやまし 面積:二八九・三一平方キロ 愛媛県のほぼ中央部。松山平野の南部を除いた全域と、その周辺部の山麓地帯を含み、中心市街地は石(いし)手(て)川の右岸に展開する。石手川は北にある高(たか)縄(なわ)山塊に源を発し、旧市街の南辺を西流し、市の西南境の出(であ)合(い)で重(しげ)信(のぶ)川に合流する。松山平野は石手・重信の両河川およびそれらの支流・分流によって広く灌漑されるが、ともに水量に乏しいので、とくに西南部地域のように溜池・泉などに頼る所が多い。 〔原始〕 松山平野が早くから開発されていたことは、最近における考古学的な遺構・遺物の発掘によって確認されている。まず縄文中期・後期の土器の破片が、道(どう)後(ごの)の(かん)冠(むり)山、祝(いわ)谷(いだ)の(にの)土(どい)居(のだ)壇(ん)、道後公園などで発見された。次いで縄文後期・晩期の土器の破片や石器などが、和(わ)気(け)の遍路橋・蓬(ほう)莱(らい)寺・勝(かつ)岡(おか)神社・梅(ばい)津(しん)寺(じ)丘陵地、久(く)米(め)の山田池、久(くた)谷(にの)の(た)谷(に)田(だ)池などの日当りのよい所に出土している。 弥生時代に入ると、前期の土器が御(み)幸(き)寺(じ)山南麓・冠山中腹・持(もち)田(だ)町・潮(しお)見(み)温泉・久(く)万(ま)ノ台などから発見されているので、弥生時代人は扇状地を利用して農耕に従事し、しだいに定住生活を営むようになったと考えられる。中期に進むと、祝谷土(どい)居(く)窪(ぼ)から木鍬・稲籾・麦種をはじめ、穴をもつ板・杭などが発掘されているので、彼らの住居跡を想定することができる。また櫛目文のある土器が祝谷の山腹・岩(いわ)崎(さき)町・東(しの)雲(のめ)神社の境内・大(おお)峰(みね)ヶ台(だい)などから出土している。後期になると、弥生人の生活の舞台は石手・重信両川の沖積地域に広がったようである。祝谷の山田池付近、道後に接する城北地域一帯、大峰ヶ台・久万ノ台をはじめとして、城南の地域にも拡大した。三つの井関遺構をもつ古(こで)照(ら)遺跡もこの期のものとして注目されている。この時代において重要な意義をもつ平形銅剣が道後公園の丘麓に三口、道(どう)後(ごい)今(まい)市(ち)北に一〇口、樋(ひま)又(た)に八口も発見されている。これらは、弥生共同体社会の解体に続く政治的統合社会の成立を示すもので、この平野が他の地域に先がけて新しい社会環境をつくりつつあったと解せられる。 古墳文化の発展に従って、共同体の統一的主長の存在と、その支配下の庶民の活動を思わしめるような壮大な前方後円墳が作られた。衣(きぬ)山(やま)の永塚、桑(くわ)原(ばら)の(のき)経(よう)石(せき)山(ざん)古墳、三島神社古墳をはじめ、高(たか)井(い)の(の)波(は)賀(か)部(べ)神社古墳は、それらを代表する規模をもつ。ほかに、湯(ゆや)山(ま)横谷の鈴鏡、伊(い)佐(さ)爾(に)波(わ)神社裏山の方格規矩文鏡、御幸寺山腹の舶載鏡のような優れた副葬品は、この平野における文化の発達を物語るものである。 松山市まつやまし 2005年1月1日:松山市が北条市、温泉郡中島町を編入⇒【北条市】愛媛県⇒【中島町】愛媛県:温泉郡⇒【松山市】愛媛県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松山市」の意味・わかりやすい解説 松山〔市〕まつやま 愛媛県北部,高縄半島の西側基部と忽那諸島の大半からなる中核市。 1889年市制。以後 1968年までに2町22村を編入,2005年には北条市,中島町を編入して市域を拡大。重信川右岸に広がる中心市街地の松山は,慶長7 (1602) 年加藤嘉明が築城するとともに方形の城下町として整備。明治4 (1871) 年廃藩置県により愛媛県が成立し,県庁所在地となった。第2次世界大戦前は伝統の伊予絣と農機具が製造されるのみであったが,戦後,伊予灘に臨む吉田浜の旧軍用地に製油所と化学繊維工場が建設されたのを契機に工業化が進展。三津浜港,高浜港,堀江港,北条港の主要港がある。 1972年工業用水不足を解消するため重信川の支流石手川にダムが完成。農業は温州みかん,伊予柑といったミカン栽培が中心。斎灘沿岸部と島嶼部では漁業が行なわれる。道後温泉,奥道後温泉,鹿島温泉などの温泉が多く,古くから開発された。正岡子規,高浜虚子,河東碧梧桐ら俳人の生地としても知られる。国の史跡で重要文化財指定の城郭をもつ松山城跡,同じく国の史跡である来住 (きし) 廃寺跡をはじめ,大宝寺 (本堂は国宝) ,太山寺 (本堂は国宝) ,石手寺 (二王門は国宝) ,伊佐爾波神社,宝厳寺など名高い寺社が多く,市内には四国八十八ヵ所第46番浄瑠璃寺から第53番円明寺までの札所がある。北部の腰折山はエヒメアヤメ自生南限地帯として国の天然記念物に指定されている。沿岸部,島嶼部は瀬戸内海国立公園に,東部は奥道後玉川県立自然公園に属する。JR予讃線,伊予鉄道が走り,国道11号,33号,56号,196号,317号,437号線が交差し,1997年2月には松山自動車道川西-伊予間が開通,松山インターチェンジが設置されるなど,交通の要地。重信川河口に松山空港がある。面積 429.35km2。人口51万1192︵2020︶。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報