デジタル大辞泉
「横川」の意味・読み・例文・類語
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よこかわよこかは【横川】
(一)[ 一 ] 群馬県碓氷郡松井田町の地名。江戸時代は中山道松井田宿と坂本宿との間の間宿。明治二六年︵一八九三︶横川駅~軽井沢駅間のアプト式鉄道の開通により信越本線が全通し、アプト式電気機関車配属の横川機関区が置かれた。昭和三八年︵一九六三︶碓氷新線が開通したが、長野新幹線開通に伴い、信越本線は横川止まりとなり、機関区も廃止された。江戸時代に置かれた碓氷関所跡がある。
(二)[ 二 ] ⇒よかわ︵横川︶
よかわよかは︻横川・横河︼
(一)滋賀県大津市、比叡山にある延暦寺の三塔の一つ、根本中堂の北方の横川谷の峰にある堂塔およびその地域をいい、横川中堂︵首楞厳院(しゅりょうごんいん)︶が中心で円仁の創立。良源の住房四季講堂︵元三大師堂︶、源信の住房恵心院、日蓮の住房定光房などがある。北塔。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
横川
よかわ
東塔の北に位置する比叡山三塔の一。横河とも書き、北塔ともよばれる。最澄が定めた初期伽藍組織には含まれず、円仁によって開かれる。東塔・西塔の分離後も両塔の管轄下にあったが、天禄三年︵九七二︶良源により両塔からの分離独立がなされた。横川中堂を中心に北の兜(とそ)率(つ)谷︵都卒谷︶、南の般(はん)若(にや)谷、東に北から香(かぼ)芳(う)谷︵樺瓦谷︶・解(げだ)脱(つ)谷・戒(かい)心(しん)谷の三谷、戒心谷より南東に離れて飯(いい)室(むろ)谷、以上の六谷に分れ、飯室谷の北に別所安(あん)楽(らく)院が置かれた。
横川
よこかわ
[現在地名]七ヶ宿町 横川・長老
標高一七〇〇メートル級の刈田岳・不(ふぼ)忘(う)山などを水源とする横川は関(せき)集落の東南で白(しろ)石(いし)川に注ぐ。横川下流部には古く木地挽が小屋を掛けた横川集落がある。明治二年︵一八六九︶の古来之儀書上︵渡部秀明家文書︶には木地挽者として小椋蔵人之丞・佐藤太郎兵衛など六名の末孫の名がみえる。同書上によれば近江国愛(え)知(ち)郡︵現滋賀県︶を祖地とし、永禄年中︵一五五八―七〇︶に越後、元亀年中︵一五七〇―七三︶に会津・米沢山、天正二年︵一五七四︶刈田郡湯(ゆの)原(はら)村稲(いな)子(ご)に移り、慶長年中︵一五九六―一六一五︶に同村内峠(とう)田(げだ)、のち再び稲子、そして元文元年︵一七三六︶当地に移った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
横川 (よかわ)
比叡山の北方に位置し,東塔,西塔とともに延暦寺三塔の一つ。戒心,般若,解脱,香芳,兜率,飯室の6谷と別所安楽谷に分かれる。最澄のころは未開発で,円仁が天長年間︵824-834︶に籠居して︽如法経︾を書写し,根本如法堂を建立したのが起源である。949年︵天暦3︶横川首楞厳院︵しゆりようごんいん︶に住んだ良源と,檀越︵だんおつ︶の藤原師輔によって堂舎や僧侶の住房が整備され,多くの荘園も寄せられて寺観がととのえられた。良源は四季講や布薩︵ふさつ︶を行って天台教学の充実につとめ,住侶は数百人に達した。良源の弟子尋禅・源信・覚運らもこの地を本拠として活動し,とくに源信は首楞厳院を中心に念仏集団を組織して,華台︵けだい︶院で迎講︵むかえこう︶,霊山︵りようぜん︶院で釈迦講を行い,以降横川は天台浄土教の聖地となった。14世紀末,良源の墓所の周辺には坊舎が立ち並び,高野山奥之院のようであったという。1571年︵元亀2︶織田信長の焼打ちで灰燼に帰し,天正年中︵1573-92︶亮信が再興した。円仁以来の︽如法経︾の書写と埋経も中世・近世を通してさかんに行われ,14世紀末ころには霊山院で写経のための紙がすかれており,明治時代一時中断したが,1922年復興して現在も続いている。
→延暦寺
執筆者‥西口 順子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
横川【よかわ】
比叡山の三塔の一つ。横河とも書き,北塔とも称される。六谷に分かれる。中心横川中堂は首楞厳院(しゅりょうごんいん)とも呼ばれ,829年円仁の開創。四季講堂︵元三大師堂︶は良源を信仰する霊地。恵心院は源信の,定光房は日蓮の修行地。華厳院は道元剃髪(ていはつ)の地。守護神は山王権現とされる。
→関連項目延暦寺|西教寺|東塔
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横川
よこがわ
ラス台地にある。 1940年町制。 2005年国分市,溝辺町,牧園町,霧島町,隼人町,福山町の1市5町と合体して霧島市となった。主産業は農業で米,サツマイモ,タバコなどの栽培が行なわれ,ウシの飼育が盛ん。クリ,シイタケ,木材,竹材も産する。山ヶ野金山は 300年余にわたって採掘されていたが,1953年閉山。九州縦貫自動車道の横川インターチェンジがあり,鹿児島空港にも近く,企業誘致も進んでいる。
横川
よこかわ
で,現在もその跡が残る。JR信越本線横川駅は碓氷峠を越えるアプト式軌道の機関車交換駅として知られ (1963年アプト式は廃止) たが,1997年北陸新幹線の開通に伴い,横川-軽井沢間は廃線となった。峠の釜飯は名物として存続している。国道18号線と碓氷バイパスの分岐点で,近くに小根山森林公園がある。
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世界大百科事典(旧版)内の横川の言及
【松井田[町]】より
…碓氷峠の東にある中心集落の松井田は古くから交通の要衝として栄え,現在も周辺農村の商業中心で,妙義山観光の玄関口ともなっている。横川も碓氷峠を控えた交通の要地で,江戸時代には関所が置かれた。農業の中心はコンニャクで,ほかに米作,畜産,シイタケ栽培なども行われる。…
【延暦寺】より
…その後豊臣,徳川2氏が寺領を寄進して諸堂の復興を助け,1636年(寛永13)には根本中堂の復興が成り,しだいに旧観に復した。[園城]寺[日吉大社]
﹇堂塔﹈
近江,山城2国にわたる広大な山上の寺域は三塔(東塔,西塔,[横川]︵よかわ︶),十六谷に分かれる。東塔は,東・西・南・北・無動寺の五谷より成り,もっとも早く開かれた寺域で,一山の本堂である根本中堂をはじめ,大講堂,戒壇院,文殊楼,総持院,浄土院(最澄の廟所),無動寺等がある。…
【源信】より
…平安中期の天台宗の学僧。浄土教家として著名で,恵心僧都︵えしんそうず︶,横川︵よかわ︶僧都とも称された。大和国(奈良県)当麻郷に生まれ,父の名は卜部正親,母は清原氏。…
【横川関】より
…南北朝期から室町期にかけて比叡山麓の坂本に設けられた山門(比叡山[延暦寺])七ヵ所関の一つ。七ヵ所関とは本関,導撫関,講堂関,横川関,中堂関,合関,西塔関である。横川関は他の関と同様,[横川]の堂塔の修築費を捻出するために設けられた関である。…
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