海北友松(読み)カイホウユウショウ

デジタル大辞泉 「海北友松」の意味・読み・例文・類語

かいほう‐ゆうしょう〔‐イウシヨウ〕【海北友松】

 
15331615()()()()()()  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「海北友松」の意味・読み・例文・類語

かいほう‐ゆうしょう【海北友松】

 

(一)()
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「海北友松」の意味・わかりやすい解説

海北友松
かいほうゆうしょう
(1533―1615)


()()()()()()()()1573141()()()()()()()()()()()82()()

 6015994()()16027()()()()彿()()2062

 

11 19811997

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「海北友松」の意味・わかりやすい解説

海北友松 (かいほうゆうしょう)
生没年:1533-1615(天文2-元和1)


15731?-15821515-988293260994︿谿MOA1598-1677殿

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海北友松」の意味・わかりやすい解説

海北友松
かいほうゆうしょう

 
[]2(1533).
[]20(1615).6.2. 
53 ()  (16) 4 (1599) 7 ()  ()  ()  ()  ()  (MOA)   

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「海北友松」の解説

海北友松

 
1.6.2(1615.6.27)
2(1533)
5(3)(),1(1573)(,),,,40,,, (1599),,7(1602),,()(),(,)10(1582),<参考文献>,/(11),  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「海北友松」の意味・わかりやすい解説

海北友松【かいほうゆうしょう】

 
()1598-1677
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「海北友松」の解説

海北友松
かいほうゆうしょう


15331615.6.2

401599(4)()()()()()

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海北友松」の解説

海北友松 かいほう-ゆうしょう

1533-1615 織豊-江戸時代前期の画家。
天文(てんぶん)2年生まれ。海北綱親の子。京都東福寺で出家したが,主家浅井家滅亡ののち,41歳で還俗(げんぞく)。武門海北家の再興をはかるがはたせず,狩野元信(一説には狩野永徳)に師事,画家の道をあゆむ。南宋(なんそう)(中国)の画家梁楷(りょう-かい)らの影響をうけ,おおくの障屏画を制作。慶長20年6月2日死去。83歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は紹益。作品に「飲中八仙図屏風(びょうぶ)」「山水図屏風」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「海北友松」の解説

海北友松
かいほうゆうしょう

 
15331615

 

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の海北友松の言及

【安土桃山時代美術】より

…それはまたこの時代の障壁画に共通する傾向でもあった。 長谷川等伯,狩野光信のほか狩野山楽,海北友松らの活躍も加わって,慶長年間(1596‐1615)の障壁画制作は多彩をきわめた。なかでも山楽の大覚寺襖絵,友松の建仁寺襖絵などは永徳の豪放な画風がこれらの画家に引きつがれてさらに新しい発展をとげたことを示している。…

【減筆】より


 

※「海北友松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android