清原宣賢(読み)キヨハラノブカタ

デジタル大辞泉 「清原宣賢」の意味・読み・例文・類語

きよはら‐のぶかた【清原宣賢】

 
14751550()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「清原宣賢」の意味・読み・例文・類語

きよはら‐の‐のぶかた【清原宣賢】

 

(一)使
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清原宣賢」の意味・わかりやすい解説

清原宣賢(きよはらのぶかた)
きよはらのぶかた
(1475―1550)


()()3()()()14091467()10()()()()()殿()15()()()()()()()()()()()()()()()()()16()()()()1976

 2016519

清原宣賢(きよはらののぶかた)
きよはらののぶかた

清原宣賢

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朝日日本歴史人物事典 「清原宣賢」の解説

清原宣賢

 
19.7.12(1550.8.24)
7(1475)
3,()12(1480)3,,187,9(1500)6,1(1501)1,6,1(1504)殿8(),1(1521)4,2,6112(1529)2,,3,1(1532),14,,, ,,,,,,,,,,,,,,西<参考文献>(3410)  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「清原宣賢」の意味・わかりやすい解説

清原宣賢 (きよはらのぶかた)
生没年:1475-1550(文明7-天文19)


1550

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「清原宣賢」の解説

清原宣賢
きよはらののぶかた


14751550.7.12

()西

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清原宣賢」の意味・わかりやすい解説

清原宣賢
きよはらのぶかた

 
[]7(1475)
[]19(1550).7.12. 
32 (1522) 62 (29)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原宣賢」の解説

清原宣賢 きよはらの-のぶかた

 
14751550 
7()3()(),()2,,,(),()1971276()  

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旺文社日本史事典 三訂版 「清原宣賢」の解説

清原宣賢
きよはらのぶかた

1475〜1550
戦国時代の儒者
舟橋宣賢ともいう。吉田(卜部)兼倶 (かねとも) の子で清原宗賢 (むねかた) の養子。明経 (みようぎよう) 道の家学を継ぎ,新古2注の解釈により新生面を開く。また神道では『日本紀神代巻鈔』を著し,御成敗式目の注釈書『式目抄』をも著す。晩年は越前朝倉氏に招かれ,地方文化の興隆に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内の清原宣賢の言及

【式目抄】より


()1534(3)

※「清原宣賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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