精選版 日本国語大辞典 「若狭」の意味・読み・例文・類語 わかさ【若狭】 (一)北陸道七か国の一国。大化改新で一国となる。鎌倉時代、津々見忠季らのあとを受けて北条氏が守護となり、南北朝時代は足利氏が統一。江戸初期京極氏が、のち酒井氏が支配。廃藩置県で小浜県となり、敦賀・滋賀県を経て明治一四年︵一八八一︶福井県南西部となる。若州(じゃくしゅう)。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「若狭」の意味・わかりやすい解説 若狭[町] (わかさ) 目次 上中 三方 福井県南西部,三方上中︵みかたかみなか︶郡の町。2005年3月上中町と三方町が合体して成立した。なおこの時三方郡と遠敷︵おにゆう︶郡の一部が合体して三方上中郡となった。人口1万6099︵2010︶。 上中 若狭町南部の旧町。旧遠敷郡所属。人口8149︵2000︶。北川の上・中流に位置する。若狭湾と伊勢湾を結ぶ本州の地狭部に当たり,北川断層や多くの破砕帯からなっている。古くから開けた地で,4~5世紀の古墳が多く,西塚,上の塚,中の塚,上船塚,下船塚の5基の前方後円墳は史跡に指定されている。交通の要衝にあり古代から京都との交流が盛んで,若狭街道沿いの熊川は宿場町として発展,江戸時代には小浜藩の口留番所が置かれた。現在も街道筋は往時の面影を残している。農業を基幹産業とし,米作に加えて養鶏,酪農が行われ,林業にも依存する。無悪︵さかなし︶の安楽寺にある聖観音立像,脇袋の法順寺にある十一面観音立像は重要文化財。JR小浜線が通じる。 三方 若狭町北部の旧町。旧三方郡所属。人口9164︵2000︶。西は若狭湾に面し,中央部には三方断層崖下に形成された扇状地が開ける。三方五湖のうち三方湖,水月︵すいげつ︶湖,菅︵すが︶湖の三つが当町に属し,若狭湾に突出した常神︵つねかみ︶半島はリアス式海岸をなし,その西岸︵西浦という︶にある常神,神子︵みこ︶,塩坂越︵しやくし︶などは中世以来,若狭漁業の先進地であった。一方,三方五湖での漁業も水月湖,三方湖に臨む海山や鳥浜などを中心に古くより盛んで,近世には漁場や菱などの採取をめぐって相論も生じている。三方湖南岸の生倉︵いくら︶と成出︵なるで︶は,水月湖と久々子︵くぐし︶湖を結ぶ浦見川の開削︵1664完成︶によってできた干潟に開発された新田村である。湖岸では梅やブドウを産し,特に梅は︿福井梅﹀として出荷される。三方五湖,常神半島を中心とする一帯は若狭湾国定公園に含まれ,常神のソテツは国の天然記念物。鳥浜貝塚は︿縄文人のタイムカプセル﹀と称され,よく知られる。JR小浜線と国道27号,162号線が通じる。 執筆者‥上田 雅子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報