朝日日本歴史人物事典 「源顕兼」の解説 源顕兼 没年‥建保3.2(1215) 生年‥永暦1(1160) 鎌倉前期の説話集編者。父は源宗雅,母は石清水八幡別当光清の娘。建仁3(1203)年父の譲りにより刑部卿,承元2(1208)年従三位。建暦1(1211)年出家。﹃中外抄﹄を書写し,﹃明月記﹄によると﹁家の秘事﹂を披露するなど,故実に通じ,また射手や舞人を務め,諸芸に堪能な一面もある。和歌は正治2(1200)年﹁石清水若宮歌合﹂に参加,建仁1(1201)年後鳥羽院の和歌試﹁十首歌会﹂に詠進している(及第しなかったか)。出家後,故事に関する説話を集めて部類分けした﹃古事談﹄を編纂,先行文献から抄出する切り口に独自性がある。藤原定家と親しく,また﹃隆信集﹄に贈答歌が載る。﹃新勅撰集﹄に1首入集。 (今村みゑ子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源顕兼」の解説 源顕兼 みなもとの-あきかね 1160-1215 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。 永暦(えいりゃく)元年生まれ。村上源氏,源宗雅(むねまさ)の子。従三位,刑部卿(ぎょうぶきょう)。52歳で出家し,諸書から説話をあつめて﹁古事談﹂6巻を編集した。ひろく歌人と交遊,ことに藤原定家としたしかった。建保(けんぽ)3年2月死去。56歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の源顕兼の言及 【古事談】より …鎌倉初期の説話集。源顕兼︵あきかね︶編。1212年(建暦2)以後15年(建保3)2月までに成立。… ※「源顕兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」