デジタル大辞泉
「白樺」の意味・読み・例文・類語
しら‐かば【白×樺】
は白くて薄く、はがれやすい。葉は菱形または三角形。4月ごろ、暗紅色の雄花と紅緑色の雌花とが尾状につく。材は細工物に用いられる。かんば。かば。しらかんば。︽季 花=春︾﹁―の咲くとは知らず岳を見る/秋桜子﹂
[補説]書名別項。→白樺
[類語]樺の木・樺・岳(だけ)樺(かんば)
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しら‐かば【白樺】
(一)[1] 〘 名詞 〙
(一)① カバノキ科の落葉高木。北海道、本州中部以北の高原や河畔の日当たりのよい所に生える。幹は高さ二〇メートル、径六〇センチメートルに達するものもある。樹皮は白色で紙状にはげやすい。葉は三角形で長柄があり互生し、長さ四~九センチメートルで、縁に二重の鋸歯(きょし)がある。雌雄同株。春、葉に先だって尾状の花穂を出す。雄花穂は黄褐色で垂れ下がり、雌花穂は紅緑色で上向きに出る。果穂は円柱形で長さ三~七センチメートルになり垂れ下がる。材は建築、装飾、細工、木型、版木、薪用などに用い、樹皮はタバコ入、小刀鞘、細工物の外張り、なめし皮用タンニン、白樺油、染料などに用いる。しらかんば。かば。かんば。かばのき。︹大和本草批正︵1810頃︶︺
(二)② 植物﹁だけかんば︵岳樺︶﹂の誤称。
(二)[2] 文芸雑誌。明治四三年︵一九一〇︶創刊、大正一二年︵一九二三︶終刊。全一六〇冊。学習院の同期生武者小路実篤、志賀直哉らの回覧雑誌﹁望野﹂を中心に二年下の里見弴、園池公致らの﹁麦﹂、さらに一年下の柳宗悦、郡虎彦らの﹁桃園﹂が合流し、上級の有島武郎、有島生馬らが参加し成立した。人道主義、理想主義的傾向をもち、創作発表の場にとどまらず、外国の文学、美術の紹介に努めて大正期文壇の一大流派を形成した。→白樺派
しら‐かんば【白樺】
- 〘 名詞 〙 「しらかば(白樺)」の異名。《 季語・春 》
- [初出の実例]「山中や鹿の身よりの白かんば〈丈馬〉」(出典:俳諧・春秋稿(1780‐85)地)
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白樺
しらかば
同人雑誌。1910年︵明治43︶4月創刊、23年︵大正12︶8月終刊。全160冊。第二次世界大戦前の同人雑誌のなかで、最長、最大の力を発揮したもの。学習院出身の武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(なおや)、木下利玄(りげん)、正親町公和(おおぎまちきんかず)らの回覧雑誌﹃暴矢(ぼうや)﹄︵数号で﹃望野(ぼうや)﹄と改名。この﹃望野﹄時代がもっとも長く、末期は﹃白樺﹄と改題︶、下級生の里見弴(とん)、園池公致(そのいけきんゆき)、児島喜久雄(こじまきくお)、田中雨村(うそん)らの回覧雑誌﹃麦﹄、柳宗悦(やなぎむねよし)、郡虎彦(こおりとらひこ)らの回覧雑誌﹃桃園﹄が合併、それに有島武郎(たけお)、有島生馬(いくま)も加わり、公刊﹃白樺﹄としてスタートを切る。号を重ねるにつれて長与善郎(ながよよしろう)、岸田劉生(りゅうせい)、千家元麿(せんげもとまろ)、倉田百三(ひゃくぞう)、バーナード・リーチ、小泉鉄(まがね)、犬養健(いぬかいたける)、梅原龍三郎(りゅうざぶろう)、尾崎喜八、高田博厚(ひろあつ)、中川一政(かずまさ)、富本憲吉らも参加。﹁十人十色﹂の個性の伸長に力を入れ、落伍(らくご)者をほとんど出さず、小説、戯曲、詩歌、研究、翻訳、絵画などそれぞれの領域における第一人者を輩出させた。
創刊の時期は自然主義文学に対抗、エゴ︵自我︶を大胆に肯定し、旧習にとらわれない雰囲気が横溢(おういつ)、行き詰まった明治の文壇の天窓をさわやかに開け放った。創刊号の表紙は児島喜久雄の白樺の若木のスケッチ。以降、有島生馬、バーナード・リーチ、岸田劉生、富本憲吉らの絵や泰西(たいせい)画家の絵、口絵を存分に用い、ロダン号を特集、また白樺美術展など開催、美術と文学は同人にとってともに成長のばねの役割を演じた。とくに後期印象派を主とするヨーロッパ美術の紹介は同時代の人々に大きな影響を与えた。彼らは出発当初より先輩の文壇作家の権威を認めず、援助を仰がず、自分たちのみの力で広場を構築、﹁白樺﹂を逆に読まれ、バカラシと嘲笑(ちょうしょう)されても、楽天的に乗り切り、﹁和して同ぜず﹂の精神を堅持した。この﹃白樺﹄の人々の友情はときに絶交、また回復などのトラブルを含みつつも究極的には生涯にわたって永続。ただし最年長者の有島武郎は本質的には﹃白樺﹄の異分子的要素をもっていた。
武者小路の初期の﹁雑感﹂は平易なことばで信念をストレートに述べて迫力があり、戯曲﹃その妹﹄など発表。志賀は﹃網走(あばしり)まで﹄﹃剃刀(かみそり)﹄﹃范(はん)の犯罪﹄﹃城の崎(きのさき)にて﹄﹃小僧の神様﹄など短編小説を掲げ、里見弴も﹃君と私と﹄など発表。柳宗悦は初期はブレイクなどの研究、後期は日本の植民地政策批判を含んだ朝鮮民族美術などに関心を示し、長与は﹃盲目の川﹄や戯曲﹃項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)﹄など長編に力を入れ、木下利玄は短歌、千家元麿は詩、有島武郎は﹃或(あ)る女﹄前編にあたる﹃或る女のグリンプス﹄を連載。武者小路が日向(ひゅうが)の﹁新しき村﹂の創建に乗り出しても﹃白樺﹄は継続され、影響力は甚大で、その周辺には衛星誌も続出、大正文学の中心的存在となり、1919年︵大正8︶4月には10周年記念号を出した。1923年9月号の見本が若干刷り上がっていたようだが、関東大震災のため8月号で巻を閉じた。彼らの初期の単行本は洛陽(らくよう)堂より﹁白樺叢書(そうしょ)﹂の名で刊行、また﹃白樺の森﹄﹃白樺の園﹄﹃白樺の林﹄などの同人合著集もある。臨川書店より復刻版が出されている。
﹇紅野敏郎﹈
﹃本多秋五著﹃﹁白樺﹂派の文学﹄︵新潮文庫︶﹄
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白樺 (しらかば)
文芸雑誌。1910年︵明治43︶4月創刊,1923年︵大正12︶8月終刊。全160冊︵ただし関東大震災の直前に161冊目の見本数部が刷りあがっていたという︶。武者小路実篤,志賀直哉,木下利玄,正親町公和︵おおぎまちきんかず︶の︽暴矢︾︵すぐ︽望野︾と改題,最後は︽白樺︾︶と,里見弴,園池公致︵きんゆき︶,児島喜久雄,田中雨村らの︽麦︾,柳宗悦,郡虎彦の︽桃園︾の三つの回覧雑誌が合同し,公刊︽白樺︾として発足。発足時のメンバーはいずれも学年,年齢を異にするが学習院の出身者であった。彼らに年長の有島武郎,有島生馬が参加。さらに号を重ねるにつれて長与善郎,千家元麿,岸田劉生,小泉鉄︵まがね︶,倉田百三,犬養健︵たける︶らも参加した。十人十色,和して同せずの個性伸長の場となり,大胆にエゴを肯定し,おのれの内的要求をフルに発揮,戦前では最大の同人雑誌となる。
文学作品と同時に美術への関心を強くもち,︿ロダン号﹀︵1910年11月︶なども編み,初期は泰西美術,後期は東洋美術を広く紹介。岸田劉生などは︽白樺︾の出現によって第二の誕生をしたとまで語っている。創刊号には武者小路が漱石の︽それから︾受容についての論を巻頭に書き,志賀は好短編︽網走まで︾を発表。︽スバル︾︽三田文学︾︽新思潮︾などとともに反自然主義の拠点となる。木下杢太郎との間に展開された絵画の移入をめぐっての絵画論争も著名。同人は小説,戯曲,短歌,詩,絵画,研究,それぞれの領域で活躍,やがてしかるべきジャンルでの一流の人物となっていった。第1次大戦中は人道主義的要素も濃厚となり,周辺にはその影響を受けた衛星誌が輩出。︽白樺︾の全盛期には生田長江らの批判もあったが,有島武郎の︽或る女︾の前編︽或る女のグリンプス︾,武者小路の戯曲︽その妹︾,志賀の︽城の崎にて︾,長与の戯曲︽項羽と劉邦︾などもこの︽白樺︾に掲載され,近代文学史に残る名作の広場としての役割を果たした。︽白樺︾終刊後も彼らの友情は永続し,その影響は抜群で,いわゆる︿白樺山脈﹀を形成した。
執筆者‥紅野 敏郎
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白樺
しらかば
文芸雑誌。 1910年4月~23年8月。学習院の同級生であった武者小路実篤,志賀直哉らの﹃望野﹄を中心に,里見 弴らの﹃麦﹄,柳宗悦,郡虎彦らの﹃桃園﹄が合流し,さらに有島武郎,生馬らが参加して創刊された。そのほかやや遅れて長与善郎,大正期に入って岸田劉生,千家元麿らも参加。当時文壇の主流であった自然主義には批判的で,大宇宙の意志を信じ,目的論的世界観,主観主義的認識,自我中心的倫理の3原則のもとに各人の個性を生かそうとしたところに特徴があり,武者小路の理論と志賀の創作による実践がその支柱となった。かたわら美術評論や西洋美術の紹介にも力を注ぎ,次第に人道主義的色彩を強めて高村光太郎,尾崎喜八,倉田百三,木村荘八,中川一政ら多数の共鳴者による寄稿を得,広大な﹃白樺﹄圏を形成,大正中期に全盛時代を迎えた。さらに美術展,演劇運動,武者小路による﹁新しき村﹂の建設 (1914~18頃) などの実践活動へも発展したが,歴史的,社会的意識の欠落から労働運動,労働文学の勃興とともに魅力を失い,関東大震災を機に幕を閉じた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
白樺
日清紡ペーパープロダクツが販売する家庭用紙製品のブランド、またトイレットペーパーの商品名。再生紙を100%使用。業務用、個包装。シングルの55m、65m、150mがある。ブランドはほかに、ペーパータオルの「タオル白樺」がある。
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白樺 (シラカンバ・シラカバ)
学名:Betula platyphylla var.japonica
植物。カバノキ科の落葉高木,園芸植物
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
白樺
しらかば
大正時代の文芸雑誌
1910年に学習院出身の青年たちによって創刊され,'23年終刊。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報